2012年9月3日月曜日

「再臨主論争」の情報源、精査に直面(5)

2012年8月17日付けの米クリスチャン・ポストの記事を紹介します。原文は"Sources in 'Second Coming Christ Controversy' Face Scrutiny”です。
http://www.christianpost.com/news/olivet-university-sources-in-second-coming-christ-controversy-face-scrutiny-80176/

匿名の情報源

CTはアメリカと中国から匿名の情報源となった人物らの言葉を引用した。これらの人物らは匿名であるにもかかわらず、かつてオリベット大学と関係を持つ団体や会社で「先輩の立場」にいた証拠を提供したと記されている。東アジアにおいて情報源として公に名前を出した人物らは全て、発言に信用を失った人物らだ。CTが匿名の情報源を用いることに対して、Holy Bible Societyのベイ氏は「顔のない人々にどのように対応すればいいのか?マタイ18章15節から17節を見ると、もし兄弟が間違いを犯したら教会に言えと書いてある。そして、ダビデ張が教会の協議会に行ったとき、彼を避難する主張は、根拠のないものだと見出された。なぜ、匿名の情報源となった人物らはこれを教会の前に持って来ずに、その代わりに後ろに隠れているのか?」と述べた。

特筆すべきことに問題となっているCTの記事の共同執筆者であるケン・スミス氏は「スミス氏の得た『オリベット内部者』や匿名の情報源となった人物らは、一人のオリベット大学の関係者らからも、張在亨牧師を再臨のキリストだとする信仰告白を直接聞いたことはない」と認めている。オリベット大学の学生部長であるナタナエル・トラン氏は「ケン・スミス氏はアンドュー・リン氏に関して、『内部者』とスミス氏が呼ぶ二人の人物による虚偽の主張をフェイスブック上に書き込んだが、伝聞にすぎなかったため後にスミス氏は書き込みを削除した。クリスチャニティ・トゥデイの記事が書かれた時、スミス氏がやったのと同じようにアメリカの人々の『信仰告白』について間接的な情報に頼ったのでは、と私は強く疑っている」と語った。

以下はケン・スミス氏がアンドュー・リン氏の弁護士に送ったEメール:

これは2012年7月20日にあなたがした連絡したへの返事です。この連絡の中であなたは私に4月19日に私が作成したフェイスブックの投稿を削除するように要求しました。この投稿は、ダビデ張に関してアンドュー・リン氏が行ったと推定される告白についてのものでした。私はその主張をその団体の中の2人の異なる情報源となった人物らが私に話したことに基いて誠意をもって作成しました。しかし、さらなる協議の上、私はどのようにして、彼らがその特定の事項を信じるようになったのかに関するさらなる詳細を知るようになりました。私には彼らがそのように信じるようになった理由が何であれ、彼らが私に対して話したことはやはり、大部分が間接的なな情報にもとづいており、直接の情報には基いていないことが分かるようになりました。私は主張をするときにこの重大な警告を含めることを怠っていました。私はそのときは気づいていませんでした。そのため私の弁護士の助言の上で、私はその特定のフェイスブックへの投稿を削除しました。

ケン・スミスより

CTは「この問題について話すことによって『情報源となった人物らが報復に直面する』ことに対する証拠を発見した」ので、情報源を匿名にすることが許されると主張した。しかし、CTは起こりうるとされる報復を示す「証拠」を立証しなかった。そして、東アジアで起こったそれぞれの事件において、張在亨牧師や、張在亨牧師に関連していると主張されている団体らが報復したことを示す証拠は存在したことがない。

(追記)この記事が公表されたことによって、CTは匿名の情報源となった人物のうち一人によってなされた張在亨牧師を再臨のキリストとする信仰に関して大幅に記事の内容を訂正した。訂正された記事は元の記事とは反対の内容であった。

元の記事:
事実、そのメンバーはその結論に至り一度はそれを受け入れ、彼もまた張在亨牧師を再臨のキリストと信じた。

訂正された記事:
事実、そのメンバーは「自分は張在亨牧師が再臨のキリストであるとは信じたことも告白したこともまったくなかったが、張在亨牧師が『終末論的に重要な人物』の一人である可能性があると一度信じたことならある」と言った。

ケン・スミス氏は2011年9月25日のブログ投稿に以下のように記していた。

「私はオリベット大学に腹がたった。そして、私は私が見つけた悪いことが実際よりももっと悪いことになってほしいと、ものすごく願った。そして、私が見つけた良いことが実際よりも良いものでなくなってほしいと、ものすごく願った。私は罪を負わせることのできるような情報を見つけたら、どんなものであろうと盛り込みたかった。たとい、それが真実でなさそうに思えたとしても。そして、私はオリベット大学の人々の潔白を証明するような情報はどんなものでも除外したかった。。。手短に言えば、私は正しい者になりたかった。そして、私はむしろ、他の人達にオリベット大学が間違っているのだと確信させるために不適切なまでに行き過ぎたことをしたかった。しかし一番悪かった行いは、これらの自分の行動を素直に認めず、逆にこれらの行動をさらに頻繁に実行しようとしたことだ。」

(続く)

(6)「張在亨牧師論争」なのか?―間違った呼称
http://nehemiaharchives.blogspot.com/2012/09/6.html

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