2018年12月7日金曜日

クリスチャントゥデイ異端捏造問題

根田祥一氏は僕との対話の中で「あなたが『根田捏造説』の発信元だったという事実を否定しないんですか? できませんよね、証拠を握っているんですから。そうやって恥の上塗りしていると、自分の吐いた唾が自分に降りかかってきますよ。」と述べました。

論理も理性も感じられない感情的でその場の思いつきで出たような言葉ですが、根田氏のこの言葉への応答を準備する中で一つ考えさせられました。

人は自分の口から出した裁きの言葉によって裁かれる。この言葉は2000年前のそのとき、パレスチナの地でなされたイエス様の発言の記録に留まることなく、今の時代この場所で実際に神様の起こす出来事を通して神様の言葉が生きていることを証明する神様の力そのものなのだと。

『根田捏造説』よりはむしろ『ニュースNジョイ捏造情報根田輸入事実』と呼ぶほうが正確でしょうがどっちにせよ、初耳の人には背景を含めて最初からきちんと説明する必要があると思い、皆さんの理解の助けになるかと思い以下の文を書くことにしました。

1.エレベーター

2004年6月、僕がまだクリスチャンになる少し前の出来事ですが。当時日本福音同盟(JEA)の事務所とクリスチャン新聞の事務所は御茶ノ水クリスチャンセンターのエレベーターに乗れば行ったり来たりできる距離でした。2004年当時クリスチャン新聞の編集長は根田氏です。根田氏はエレベーターに乗りさえすればJEAの事務所に行き、他の人がいない時を見計らって当時の総主事に自分が「調査した」と称する「資料」なるものを見せに行くことが容易にできる状況でした。当時JEAは「いち報道機関として活動を始めた『クリスチャントゥデイ』に関して、さまざまな問い合わせ」を受けており、どういう意思決定プロセスに基づいてかは不明ですが、クリスチャントゥデイについて根田氏が編集長を務める「クリスチャン新聞が」調査することになりました。

JEAの正式な意思決定プロセスである理事会で、クリスチャントゥデイについて調査することを論議し、「意思決定者である理事全員の意見を反映させた上で」調査に踏み切ったのでしょうか?それとも根田氏がJEAの事務所にエレベーターで行って総主事や他の少数の実務者や理事と二人で会話して調査するかしないか、調査するとしたらどのような手法で調査するのかを理事会を通さずに「勝手に決めてしまった」のでしょうか?

2.「編集権」と「公然面」

根田祥一氏が編集権を持ち、報道対象の取捨選択をする権限を持っていた2004年当時、根田祥一氏が何度も選んだ報道対象が、そして好意的にその活動を報道してきたのが西川重則氏です。西川氏は百万人署名運動の事務局長であり、百万人署名運動は革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)が主導する大衆運動であると警察白書に何年にも渡って繰り返し記述されています。

また、西川氏は中核派の労働組合である国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)の集会で連帯のメッセージを伝え、中核派の擁立した政治家である北島邦彦氏や齋藤郁真氏の選挙応援ポスターに顔と名前と肩書を出して連帯を表明し、中核派の機関紙である前進が看板のように活動を伝える人物です。

前進に記述された西川氏の活動や発言には、無神論の共産主義者に対して神の存在を説き、神はいないなどと主張して神を冒涜する罪を指摘し、無神論を捨てて神に立ち返り、イエス・キリストを信じて救われるようクリスチャンとして彼らにメッセージする姿はありません。もちろん前進が報じていないだけで舞台裏ではそのように西川氏が共産主義者を伝道している可能性もありますし、僕はそうであってほしいと願っています。

これら表面に現れる西川氏の行動は西川氏がクリスチャンを名乗りつつも同時に中核派の核心メンバーとして「公然面」で活動する活動家であることを示しています。警察白書などによると中核派は「非公然面」と「公然面」に組織が大別され、「非公然面」は爆弾、ロケット弾、人を殺傷し、物や建物を破壊するための凶器や武器を秘密裏に製造し、数十年に渡って日本国内でテロ、暗殺、放火、爆発事件などを繰り返して行っており、警察はローラー作戦で非公然アジトを摘発し、殺人犯の指名手配をして捜査、逮捕するなど力を入れて毎年対処しています。

中核派は暴力革命を通して日本国内で革命戦争を起こし、戦争で多くの人を殺してでも共産主義革命を達成させることを公に方針として掲げています。

「武器を作り、人を殺し、革命戦争を起こそうとする」という「非公然面」の正体を隠して「公然面」では「戦争反対の平和主義者」を名乗り、戦争に反対するなどの大義名分を掲げて大衆運動を通してできるだけ多くの支持者を得てあわよくば「オルグ」して活動家として取り込む、これが西川氏が事務局長を務める百万人署名運動の実態です。

根田祥一氏はこの西川氏の活動があたかも正義であり、クリスチャン新聞の読者が西川氏の「平和主義者」としての活動を肯定すべきであるかのような印象を与える記事を繰り返し流布してきました。

中核派が百万人署名運動を主導していることを知った上でこのような報道方針を採ったのなら、根田氏はクリスチャン新聞というキリスト教メディアを濫用してキリスト教界を扇動し、クリスチャン世論を無神論の共産主義者の活動に迎合させ、キリスト教界にシンパを大量生産する活動を意図的に行っていたことになります。

もちろん「私は中核派が百万人署名運動を主導していることは知らなかった。私は平和主義者だから彼らの暴力革命路線に知らずにも加担してしまった罪を謝罪し、悔い改める。今までの好意的な記事はすべて取り消し、今後は彼らの目指す革命戦争という人殺し行為に積極的に反対を表明する」と根田氏が表明し、これを実行に移すなら根田氏は自分が「本当に」クリスチャンの平和主義者であることをキリスト教界示すことができるでしょうし、そうであってほしいと僕は願っています。

3.敵を愛せよ

根田氏も西川氏もクリスチャンであると僕は信じたいですし、「彼らがクリスチャンを装った極左活動家である」などと断言するつもりはありません。彼らが「私はクリスチャンです」と信仰告白をすれば僕は証拠など要求せずに受け入れます。根田氏は僕の信仰告白を嘘呼ばわりし、僕を「クリスチャンを装った異端信徒」だと公に断言して日本中のクリスチャンの前で僕を中傷し、僕の信仰を踏みにじっていますが、僕の信じ、従おうとするイエス様は聖書を通して語りかけてくださいます「それでもあなたの敵を愛せよ」と。

だから根田氏が「私はクリスチャンです」という時、根田氏のように「それは嘘でしょう」とは言わず、「わかりました。信じます」と言いたいのです。根田氏という敵を愛するためにすすんで騙される者でいることに甘んじようと思います。「あなたはクリスチャンを自称してキリスト教メディアを濫用し、クリスチャンを自分の政治的イデオロギーに染めるために扇動する活動家だ」と、言うのには十分と思えるほどの状況証拠がありますが、それを言うのをぐっとこらえて忍耐するのが愛であり、復讐を神様に任せることなのかもしれません。

根田氏のように裁きの座に自ら座って断罪する者にならぬよう気をつけ、根田氏が冷静に自分を見つめ直す手助けをしていきたいと思います。

4.死刑判決

発行したばかりのクリスチャントゥデイは非常に保守的な論陣を張っており、明らかに根田氏の作る紙面とは政治的イデオロギーにおいて対立するものでした。万が一根田氏編集方針がキリスト教界を共産主義者の活動に迎合させ、共産主義者の社会運動にキリスト者を駆り立てるために扇動することであれば、クリスチャントゥデイはその目的を真っ向から否定する働きになります。

当然邪魔な存在、消えてなくなってほしい存在、どんな手段を使っても抹殺すべき存在になるでしょう。福音主義のキリスト教界の広告収入のパイの取り分が減るというのもCTに敵対する理由の一つになりうるでしょうが、政治的イデオロギーのほうがもっと根源的な動機である可能性もあります。根田氏の内心のことなので知りようもありませんが、状況証拠や根田氏の報道方針、活動、発言の論理的帰結としては妥当ではないかと思います。

このように2004年の時点でクリスチャントゥデイとクリスチャン新聞は同じ福音派を軸足をとったキリスト教メディア同士ではあっても、政治的イデオロギーにおいては互いの存在を決して受け入れることができないほど深刻な利害対立関係にあった可能性があることがわかります。つまり、JEAは殺すか殺されるかの利害対立にあるクリスチャン新聞に、「クリスチャントゥデイとは何か」を説明させる権限を与えたのです。

「クリスチャントゥデイは言語非道の悪でありキリスト教界から抹殺されて当然」と言わしめる権限です。JEAは福音派のほぼすべての教団が加盟する連合組織であり、事実上日本の福音派教会の最高権威、カトリックでいうバチカンのようなものです。そのJEAの権威によって根田氏が編集長を務めるクリスチャン新聞はクリスチャントゥデイを電気椅子に拘束させてもらい、まんまと電気椅子のスイッチをもらうことに成功し、いつでも死刑宣告と死刑執行をする許可を得たことになります。まるで「こっちが判決文をチェックすることはないから、あなたが自由に書いていいよ」とでも言われたかのように。

その死刑宣告の判決文がこれです。
日本福音同盟 Japan Evangelical Association
101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-1 OCCビル内
TEL 03-3295-1765 FAX 03-3295-1933 E-mail office@jeanet.org
2004年6月17日
JEA加盟団体各位
JEA協力団体各位
主の御名を賛美いたします。
最近、いち報道機関として活動を始めた『クリスチャントゥデイ』に関して、さまざまな問い合わせが皆さまからございました。数ヶ月間、調査結果を待っておりましたが、一昨日、韓国の新聞社「韓国基督公報」を通じて次の内容の事が明らかになりました。

韓国クリスチャントゥデイ新聞の常任理事、張在炯牧師は、統一協会の核心メンバーであることが判明。このことについての記事が韓国のオンライン新聞であるNews N Joyに出ている。基督公報の取材によれば、海外ネットワークとして日本と中国に力を入れているらしい。張在炯牧師は現在合同福音教団の総会長ですが、韓国基督教総連合会から異端として調査中である。(クリスチャン新聞提供)
上記の調査報告を深刻に受けとめ、JEAは今後、『クリスチャントゥデイ』の取材を一切受けないことといたしました。その事を関係者の皆様にご報告いたします。
主にありて
理事長 小川国光
総主事 具志堅聖

市民「死刑判決を下す前に裁判しましたか?」
権威「しました。」 

市民「いつどこに来なさい、裁判であなたの言い分を聞くから、と私に通知してから裁判をしましたか?」
権威「してません。あなたを裁判に呼ばないで勝手に欠席裁判をしました。あなたの言い分は元々聞く気がありありませんし、あなたに反論の機会を与えて議論になれば都合が悪く、最悪議論に負けるので、あなたを裁判に呼ばないで死刑判決を出しました。」 

市民「検察は誰ですか?誰が私の罪を調べたのですか?」
権威「私です。」 

市民「裁判官は誰ですか?誰が検察の訴えを聞いて罪状を判断し、判決文を書くのですか?」
権威「それも私です。」 

市民「誰がそんなことをする権限をあなたに与えたのですか?」
権威「私の人脈の一人である最高権威の要職にある人です。」 

市民「正規の意思決定プロセスを通してそのような権限を得たのですか?」
権威「いいえ。そんなプロセスを経て意思決定者の誰かが公正な裁判をするように言い出したら、あなたに死刑判決を出せないじゃないですか。私の目的は裁判で正義を保証することじゃなくて、ただ利害対立にあるあなたを殺す名分として死刑判決を出すことなんですよ。わかったらさっさと死んでください。」

北朝鮮における常識的な市民と権威の関係はこういうものなのでしょう。しかし、残念ながら2004年の福音派でもこのようなことがあった可能性があります。クリスチャントゥデイを裁く権限を得た根田氏率いるクリスチャン新聞が、当時JEAの理事であった峯野牧師から理事会で反対されることなく上記の文章をFAXで加盟団体である福音派の各教団と、協力団体に送り、聖なる公同の教会の一部として活動を始めようとするクリスチャントゥデイを、その体から切り離して壊死させようとした、という可能性です。臓器を体から切り取って捨てたらどうなります?腐って死ぬだけでしょう。クリスチャントゥデイをキリスト教界において、キリスト教社会において、社会的に殺したかったらすべての教会との関係を断絶させればよいということです。

5.根田氏とニュースNジョイ

根田氏が率いるクリスチャン新聞がJEAから調査権を得てJEAに提供した情報元が自称福音主義キリスト教メディアNews N Joy(ニュースNジョイ)でした。奇しくもちょうど昨日、2018年12月5日に韓国クリスチャントゥデイがニュースNジョイが金日成主義者によって運営されていたことを示す多数の証拠とともに報道されました。(https://www.christiantoday.co.jp/articles/26310/20181205/newsnjoy-north-korea.htm) 

日本ではカトリック信徒有志による「教会の政治的言動を憂慮する会」が日本カトリック正義と平和協議会がどのような活動をどのような団体とともに行ってきたかをできるかぎり網羅的に示した調査結果を公開しています。根田氏がクリスチャン新聞で報じてきた政治的イベントにはJEA社会委員会、日本キリスト教会靖国神社問題委員会、日本キリスト改革派教会大会社会問題委員会(西川重則氏の所属教団)とともに日本カトリック正義と平和協議会が頻繁に主催団体や協賛団体として名を連ねており、好意的に報道されています。日本カトリック正義と平和協議会の人脈リストに主体思想日朝友好代表団副団長岡部淳氏、日本教職員チュチェ思想研究連絡協議会全国事務局長であり、金日成誕生を記念する「4月の春の集い」準備委員会の大石忠雄氏、首相に北朝鮮への緊急支援要請をしたかながわ朝鮮問題研究ネットワークの廣瀬禮子氏、チュチェ思想国際研究所理事の武者小路公秀氏など北朝鮮と深い関係の活動家が列挙されている事実も見逃せません。(http://untijpj.la.coocan.jp/yamanouchi/jpj-yamanouchifile_03.html

韓国クリスチャントゥデイと対立関係にあり、互いの生死を賭けた報道合戦を繰り広げるニュースNジョイと根田氏が手を取るのは当然かもしれませんが、今後根田氏は日本のキリスト教界に対して、キリスト教の中心教理である神様の存在を否定し、革命戦争を掲げる中核派への態度や、無実のクリスチャンを信仰を理由に投獄し、苛烈な人権侵害を続け、大量に殺害している北朝鮮に対する態度を説明する責任に追われることになるでしょう。その北朝鮮の出先機関である韓国の主体思想派が運営するニュースNジョイと最初から手を取り合ってクリスチャントゥデイを抹殺しようとしたという非難にもなんらかの説得力をもって弁明していかなければならなくなりました。

6.社会的な唾

根田祥一氏はニュースNジョイの情報を口に含み、クリスチャントゥデイに死刑判決の唾を吐いてキリスト教界から抹殺しようとしたのですが、今回ニュースNジョイがキリスト教メディアを装った金日成主義者の扇動機関であることが判明したことによって、同じ唾が、彼がJEAを利用して福音派のすべての教団に送付させた「ニュースNジョイを典拠とする」FAXが、逃げようのない証拠、すでに多方面に撒き散らした汚い唾として、自分に降り掛かっている様子を私達は今見ています。その唾は全国津々浦々の教会の掲示板に、牧師の書斎に、教団事務所の壁に汚くこびりついており、これがあまりに広範囲に付着しているため、今更拭ってなかったことにはできません。

ニュースNジョイの言葉を利用し、自分の言葉としてクリスチャントゥデイや張在亨牧師を裁いたが、行為と同じ言葉によって自分が裁かれています。そのJEA名義の文章には張在亨牧師が「統一協会の核心メンバー」であることが判明などと書いておき、韓国基督教総連合会(CCK)の調査結果が出てこれを否定されると、統一協会と類似の自称再臨主異端だと言葉を変え、CCKの再調査でそれも否定され、結局証拠を示すこともなく口だけで自分の支援した裁判は敗訴し、福音派で身動きが取れなくなると日本基督教団の斎藤牧師と結託して教団議長に影響力を行使して似たような死刑判決を出させ、持てる人脈の限りを尽くしてクリスチャントゥデイの排斥のために活動した結果どうなりましたか?

あなたが理想的なキリスト教指導者かのようなイメージを描こうとクリスチャン新聞の紙面に映し出した西川重則氏は「中核派の核心メンバー」である疑いが出てきており、あなたと共闘するニュースNジョイは主体思想派であることが明らかになった。

根田さん、あなたこれからどうします?自分の間違いを認めてクリスチャントゥデイに謝罪し、日本全国教会行脚でもしてあなたがJEAを利用して撒いたFAXを1枚1枚回収してニュースNジョイと協力した事実を牧師やクリスチャンらに謝罪して回りますか?自分のしてきたことをそろそろ客観的に振り返って見てください。自分の良心に照らし合わせてどうすれば神様の前に正しく映るか考えて見る時期が来たのではありませんか?

7.これを読んでるクリスチャンの皆さんへ

「でも、クリスチャンなのに根田さんがそんな酷いことをするとは考えられません。根田さんは私にこんないいことやあんないいことをしてくれました。根田さんがそんな悪いことをするとは信じられません。」

そうですね。それが人脈の力です。それが村社会の力であり、村八分の恐怖であり、「人から来る恐怖」でしょう。私はあの人を知っているが、この人は知らない。知っている人が言うことを聞いておこう。あの人は知名度があるし、多くの人が尊敬している。知っているあの人とこれまで築いた人間関係を犠牲にしてまでこの人との関係をスタートさせるのは損だ。この人とは関わらないようにしよう。この人の言うことは合ってるかもしれないし、正義を伝えてるかもしれないが、この人と私の間には人間関係がない。この人が死のうが生きようが私の得にもならないし、損にもならない。

それなら「私の知っているあの人と私の関係」を、「その人脈から私が将来得ることのできる利益」を守るために、「私の知らないこの人」が悪いと言われているから、死ねと言われているから、それが正しいかどうかは考えるのは止めて、死なせておこう。この人を犠牲にしても誰も何も私に言ってこないのだし、私の得になる人間関係を安泰に守っておこう。私の知ってるあの人はどうしてもこの人を殺そうとしているから、邪魔すると自分もあの人に殺されるかもしれないしね。

それも一つの選択でしょう。「行動をしない」ことも立派な意思決定ですし、あなたには自由意志があります。「こういう状況だからしょうがない」「これしか選択肢がない」のではなく、あなたが自分で「しない」と決めるのです。僕はその「選択」をどうこう言う立場にありませんし、尊重します。それでオリベットアッセンブリーやクリスチャントゥデイが安易に死ぬわけでもありませんから。

自分の命を惜しみ、これを保とうとする者はこれを失い、自分の命を憎みそれを失うものはこれを得る。命を与えたり失わせたりする最終的な意思決定者は、死んだ者すら蘇らせ、石からもアブラハムの子孫を起こすことがおできになります。

これを読んでいるあなたは今「人を恐れるのか、それとも神を畏れるのか。」を試されているのかもしれません。

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