2018年6月15日金曜日

張在亨牧師と70年代の韓国のキリスト教界

  1970年台当時の韓国の「反共の」キリスト教界で起きた事象は現代の日本とは時代が違い、場所が違い、文化も違う「文脈」で起きた事象なのです。靴を履いてアスファルトで舗装された道を歩き、砂嵐もない現代の日本に生きる人が、イエス様が弟子の足を洗う場面を理解するときに、サンダルを履いて歩いて外から家に入るときには洗わないといけないくらい足が砂だらけになる2000年前の中東の「文脈」を一旦頭に入れないと理解が難しくなります。これと同じように、1970年台の「反共の」韓国キリスト教界の事象は「意外と」理解するのが難しいということを忘れてしまうと、安易に「現代の日本のキリスト教界が現代の日本の統一協会について持っている常識というバイアス」のかかった判断を、バイアスに無意識に、「自分にはバイアスがない状態で見ているという思い込みを持った状態で」してしまって「違和感」を感じることもあるでしょう。もし僕が言ったことに違和感があればそれも違和感の原因の一つかもしれません。 

 また、誤解を持たれるとかもしれないのでいいますが、だからといって僕が「日本のキリスト教界が現代の日本の統一協会について持っている常識は間違っている」と言っているわけではありません。僕は「その常識」は正しいと思っています。しかし、僕が言っているのは「その常識」が1970年台の反共の韓国キリスト教界と統一協会の関係に「そのまま」「全部」当てはまるかと言うと、そのままは当てはまらない事象や、一部分しか当てはまらない事象があるということです。 

 なので何度も前置きしますが、1970年台の韓国の反共のキリスト者らと統一協会の間で起きた事象を扱うときはどんな事象を扱うときも過去日本、現在日本、過去韓国、現在韓国の4通りの場合分けを意識して考えることが重要だと思います。過去の韓国のキリスト教界と統一協会の関係に関する事象を、「現在の日本ではこのように解釈するのが当たり前」「過去の日本ではこう解釈するのが当たり前」「現在の韓国ではこう解釈するのがあたり前」という視点で「うっかり」見てしまうと、「あり得ない、普通じゃない、理解できない、変だ、受け入れられない」ことが出てくるのは当然だと思います。 

 World Wide Webがはじまったのが1990年です。インターネットで検索して出てくる資料は90年以降に書かれたものが大部分でしょう。1970年台の韓国キリスト教界の状況を見るとき、文献を当たるにもデジタル化の壁、時代の壁、言語の壁、国家の壁があります。私達現代日本に生きるクリスチャンがこの問題を論じるにはデジタル化される前の、1970年台に韓国という場所で韓国語という言語で書かれた本、雑誌、教会発行の小冊子、セミナーのプログラム表、会議の議事録などを手に入れる必要があり、韓国語ができる日本人はそのまま読めますが、韓国語ができない日本人は誰かに翻訳を依頼しなければいけません。翻訳するにもデジタルのテキスト形式でないものは一旦ハングルにタイピングするか、Optical Character Recognition (OCR/光学文字認識)ソフトウェアを通してテキストデータにしてから機械翻訳にかける必要があります。

 これがこの問題で重要となってくる一次資料の収集と解析です。韓国語でウェブ検索をすると、1970年台の1次資料の写真を取ってPDF化したものを教会、教団、神学校、出版社などのウェブサイト上や掲示板にアップロードしたものを見つけることができます。ウェブで韓国のクリスチャンに頼らずやれるのはこれが限界でしょう。韓国のクリスチャンで協力してくれる人がいる場合はもっと調査範囲と収集可能な資料の幅が広がります。韓国の70年台の印刷物をウェブ上にないものの写真を取って、PDF化したり、テキスト化して日本にいる私達に送ってもらうことも可能です。そしてその上で70年台、韓国のキリスト教界で共産主義と実際に戦った牧師、信徒、学生らにインタビューすることも1次資料を集める上で重要な作業となります。インタビューは韓国語ができれば直接韓国語ですればいでしょうが、韓国語ができない人は通訳を依頼しなければいけません。 

 僕は記者としてこれらのことをやって、韓国語も学んで、1次資料を集め、翻訳し、解析し、判断材料にしてきました。それでも1970年台の韓国の反共のキリスト者の置かれた「文脈」を完全に理解したとは言えません。生まれてもない時代でしたし、その場にいなかったのですから。しかしある程度は理解したつもりです。だからといって僕が言っていることを鵜呑みにしてくださいと言っているわけでもありません。僕が言っていることはそういう1次資料に基づいているので疑義を呈する場合は反証となる1次資料があると良いということです。僕がなぜこのような方法での資料収集をするようになったのかの背景は以下のようなものです。 

 僕は国際基督教大学に2003年に入学し、2004年7月1日にクリスチャンになり、部活を辞めて2005年からクリスチャントゥデイの記者をやるようになりました。2005年にはすでに「CTは統一協会だ」という明らかな虚偽を問題提起者が噂として流布していました。問題提起者の主張が間違っており、風評被害によって迷惑しているのでこれを止めてもらうよう問題提起者らと会談を持ったこともあります。その会談に第三者として当時日本脱カルト協会理事、日本キリスト教協議会書記、日本福音ルーテル教会三鷹教会牧師で、統一協会の専門家として知られていた平岡正幸先生が参加されていました。平岡先生の牧会されていた三鷹教会はICUの敷地のすぐ横のルーテル神学校に併設された教会で大学から歩いていつでも行ける教会でもあり、この問題について意見を聞かせていただくために何度か訪問して話をしました。 

 会談の感想として平岡先生は以下のようにおっしゃいました。

「カルトかどうかは慎重にしないといけない。私は今のところ判断を保留する。会談に立ち会って。山谷さんの論陣は韓国側の資料にあるが、実際の資料を提示して話をしなければいけないと思った。お互い資料不足だったと思う。張氏が統一協会の信仰を持っていたかどうかが、最初の議論だった。それを含めて議論は全部が平行線だった。統一協会側の資料が、統一協会だから信用できないと言うことと、統一協会側の資料だから信用できると言うことで平行している。どちらも討論であって、資料によって明確化していけばいいと思う。議論の内容が大切だと思う。私が立ち会ったのは議論の内容を吟味しようと思ったから。CT側の主張では張先生がそう(統一協会の信仰を持っていなかった)言ったことだからとあるが、証明にならないところがある。もっと互いに資料を出し合うべきだと思う。もう一度討議するときがあれば、行く用意がある。会談全体に関してはそういう印象を持った。脱会者と似ているかどうか。統一協会の信者たちとずいぶん話をしてきたが、やっぱり確実な資料に基づいて進めていかないと、お互い(の主張の正当性を)認めることはできない。統一協会の資料は正しいものも、間違ったものもあると思う。吟味することが大切である。」

 「私は今はクリスチャントゥデイが統一協会系(別働隊もしくは外郭団体)だとは思ってない。2004年の春に新聞を発行したときは、そう思われた理由が会った。社説が、第一号で非常にファンダメンタルな感じで、ブッシュ大統領のような立場だった。そういう立場もアメリカにはある。クリスチャントゥデイの持っている立場としては強烈に統一協会を批判する立場だった。そのキャンペーンの張り方が通常ではなかった。それはやはり、過去に張先生が、疑惑をもたれていたので払拭したいという気持ちが強かったと思う。そういう形での払拭ではなく、資料としてしっかり提出しないといけないと思う。(クリスチャントゥデイには)そういうことが求められていると思う。」

 こういうわけで、1970年台の韓国の反共のキリスト者についての資料に基づいた議論をやっていく必要性が生じたということです。そして僕が1次資料にこだわる理由についてですが、日本で手に入る2次資料はネットで手に入るものでも、デジタル化されていないものでも、1970年台の韓国で起きた事象について、過去日本、現在日本、現在韓国の視点から書かれたもの、そして統一協会が信者を統制するために都合よく解釈し、脚色し、事実の取捨選択をした「統一協会の歴史認識」を事実検証することなく鵜呑みにした視点から書かれたもので溢れているからです。1970年台の韓国の資料や証言で、「執筆年代が80年台でもなく、90年台でもなく、70年台であり、執筆者が統一協会の信者でなく、当時その場にキリスト者としていた人である資料や証言」に当たることがバイアスを極力排除して当時の状況を「違和感なく」理解する上で助かりました。 

 統一協会が現在公式的に出している統一協会の歴史は、統一協会が彼らの「歴史認識」に都合良く脚色したものです。その歴史認識は「統一協会は最初から統一協会だった」というものです。統一協会としてはそうあってもらわないと困るのでしょう。韓国という国の成立の貢献度を独立運動の闘士のみに起因させ、日本の植民地政策が果たした学校設立、インフラの整備などの貢献度があたかも全く無く、全部韓国人が自力でやったかのようにする歴史認識と同じようなものです。韓国の特定の人には日本が学校作ったよとか言う人は都合が悪いのと同じように、最初期の統一協会はキリスト教から派生した一種の運動であり、多くのクリスチャンが参加していたなどとう言説、つまり反共のキリスト者の歴史認識は「過去現在の日本のキリスト者の統一協会に関する常識」から見るとおかしいこともあるでしょう。

 前置きがものすごく長くなって申し訳ないのですが、この問題に向き合うときに必要なことだと思います。これらを踏まえてですが、1970年台前後の韓国キリスト教界と統一協会の関わりを、つまり張在亨牧師が当時置かれた「文脈」を、「統一協会から見た視点」ではなく、「日本のキリスト者からみた視点」でもなく、「韓国のキリスト者から見た視点」で書かれた出来事の記録とその解釈や評価について読んで見る必要があると思います。

 知っておられる方々もいらっしゃるかと思いますが、韓国に韓国基督教歴史研究所という学術研究機関があります。1990年と91年に日韓のキリスト教の歴史のセミナーを東京とソウルで開催したり、教文館から「韓国キリスト教の受難と抵抗 -韓国キリスト教史1919-45年」と題した書籍が翻訳されて出版されていたり(https://www.kyobunkwan.co.jp/xbook/archives/13881)、富坂キリスト教センターの「日韓キリスト教関係史」研究会に参加する所員がいたり(http://www.ceam.asia/tcc/protcc.html)しますので、キリスト教の研究機関だと見てよいでしょう。この研究所が1991年7月から発行している学術誌で「韓国のキリスト教と歴史」という学術誌があります(http://www.ikch.org/site/journal/journal_info/)が、2004年3月に発行された第20号に収録された論文に湖南神学大学校(大韓イエス教長老会統合教団の神学校)の李進龜(イ・ジング)教授が執筆した「統一教会のクリスチャン認定闘争と宗教統一談論」という論文があります(https://www.dbpia.co.kr/journal/articleDetail?nodeId=NODE01093042)。李進龜氏は、湖南神学大学校神学部神学科の招聘教授教授で(http://en.htus.ac.kr/menu04/profile-visiting-ljg.htm)、日本でも「越境する日韓宗教文化 ― 韓国の日系新宗教 日本の韓流キリスト教」の第八章 統一教会の日本宣教――日韓比較の視座――の執筆も担当しています(https://www.ajup-net.com/bd/isbn978-4-8329-6757-1.html)。

 論文が長いので全部読むのは大変だという方のために一部引用します。機械翻訳をしたもので、日本語表現がおかしくなっているところは修正しました。(修正しきれていない点もあるかもしれませんので、ご指摘ください。)丸括弧は僕の補足です。

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(韓国)国内のキリスト教界は統一教会の任意の認識と態度を示した。キリスト教界が統一教会の存在を意識して警戒態勢を持つの決定的な契機を提供したのは、いわゆる「連帯事件」と「梨大事件」である。1955年に起きたこの事件は、当時の代表的なキリスト教系大学であった延世大学校と梨花女子大学の一部の教授と学生が統一教会に入信した事実が明らかになり、世人の注目を浴びた。学校当局は入校した教授と学生に統一教会から脱退することを勧めたが、これら従わなかった者らすべてを罷免し退学させる強硬措置を取った。22) 

 この事件の後プロテスタント教界は統一教会を既成教会を混乱させ、教会の基盤を侵食する「ガン的存在」と断定し、信者と教会の「保護」 の次元で警戒態勢を強化した。各教団は総会の次元で統一教会を「キリスト教を装った疑似宗教集団」と決意して、大規模な統一教反対キャンペーンを展開した。そして、このような運動をより効果的に展開するために「統一教会の汎教団の指導者協議会」、「文鮮明集団の韓国教会対策委員会」、「統一教会の韓国キリスト教対策協議会」のような汎教団的機構を創設した。 

 プロテスタント教界が取ったより具体的な措置としては、統一教会の「危険性」を信者に知らせる各種声明の頒布、統一教会関連雑誌や新聞への投稿を禁止、統一教会傘下企業の物品に対する不買運動、23) 統一教会に関連する、キリスト教の人たちの徹底捜索や懲戒などがある。このように、プロテスタント陣営統一教会を「要注意集団」とみなして一般社会とキリスト教から統一教を徹底的に孤立させる「ゲットー化」 戦略を使用するか、統一教会を「不可触集団」(untouchable)と規定する排除の戦略を駆使した。 

 一方、このような攻勢的な態度とは異なり、統一教の教義と世界観を「理解」の次元でアプローチする試みもあった。1968年クリスチャンアカデミー主催で開かれた対話集会が代表的な例である。統一教会を「学ぶ」の次元で始まったこの集まりには神学者30人、一般知識10人、 そして統一教の指導級人事10人余りが参加した。24) この席には統一教の教主文鮮明この直接参加し統一教会の理論的参謀の役割をしていた劉孝元が「原理講論」の内容を紹介する問題提起講演を行った。そして、その講演内容の参加者からの質問と統一教会側の回答に集まりが行われたが、当時のマスコミはこの集まりにかなりの関心を見せた。25) 

 その後も統一教会の公開的な議論の場、しばしば用意された。1969年と 1970年にそれぞれ開催された延世大学校神学大学院主催の神学公開講座26)とソウル大文理科大學の學林祭の行事の一環として、行われた公開討論会27)が代表的な例である。これらの公論の場で発表の機会を持った延世大学校の神学者だった徐南洞教授は「原理講論」について、かなり肯定的な評価を下した。 

 確かに原理講論は今までの韓国の神学界が産出した、神学書の中でその量においても、組織力においても、独創性においても、最高のものとして認められるにふさわしいものである。それだけではなく、原理講論は韓国的神学を志向している点においても独特で、その他の試みと提案に挑戦していて、世界の教会の新しい気流と「新しさ」に対する希望が他を抜きん出ている点などは、注視と研究の対象になりうる。28) 

  要するに「原理講論」は、その神学体系の膨大と組織力、想像力と独創性だけではなく、韓国的神学を目指して、さらに世界の教会の流れとも脈を同じくする新しい神学書という非常に肯定的な評価であった。 

 もちろん徐南洞教授が統一教会に賞賛だけをしたのではない。彼の論文では統一教の弱点と問題点についても細かく指摘している。彼の行なった統一教会批判の要旨は、① 神数理存在と見て、歴史を数理の調和として見ること、②「神の旨成就」で、神の責任分担を95%、人間の責任分担を5%と規定した点、 ③聖書の歴史批評の不在と黙示文学の過度強調、④領地主義的霊肉二元論⑤人類の歴史を6千年に見る非科学性⑥教会の更新と共産主義撲滅に重点を置いて韓国社会の不正と腐敗に無関心な点⑦だれか具体的な個人を指導者にする危険性などであった。彼の統一教会批判の核心は、その論文の結論部にある。 

  すでに心ある人らが、「教会の更新」という執達吏の張り紙を付け、「神の派遣」に出ようとする庭で、原理講論は再び聖フランシスが山の麓に立つ崩れゆくカテドラルの隣を通るとき受けた啓示の言葉をこだましている。「この教会を新たにせよ」29) 

  結局、このコメントは、現代神学が「教会の更新」の次元を越えて「世界の更新」という、より大きな課題に向かって進んでいるが、統一教会はまだ「教会の更新」という旧時代の課題にとどまっていることを風刺したものである。 

 このように徐南洞は統一教会の教義が持つ弱点と利点を一緒に認める態度を見せたが、大多数の神学者は統一教会の批判一辺倒の態度を取った。特にハンチョルハ教授は徐南洞教授が統一教会を過大評価していると批判し、統一教は現代神学のパラダイムとは無関係だけでなく、「セックスモチーフ」を持った神秘主義的「偶発宗教」に過ぎないと酷評した。30) 

 神学者イジョンソンも統一教会の「原理講論」は、「東洋の二元論を骨格に、聖書のメッセージを買う塊にして建てられた混合宗教の殿堂であり、統一教はキリスト教との距離が遠い一つの土俗宗教運動」と規定した。31)したがって統一教会が一つの「宗教運動」を展開することは、彼らの自由だが、その運動を「クリスチャン会議した運動」というのは「言語道断」であり、容認できないと攻撃した。同氏によると、統一協会の教義は、「非聖書」で「非キリスト教的」であり、統一教は 「クリスチャンの名前を口実にした疑似宗派"に過ぎない。32) 

 一方、第2バチカン公会議の後、他の宗教に対して開放的な態度を取りながら、宗教間の対話を強調してきローマ教皇庁も統一教会に対してだけ断固たる反対の態度を取った。教皇庁は、統一教会が営利事業、教主の脱税、信者募集での洗脳工作を行う「問題の集団」であり、「キリスト教を装った非キリスト教的集団」と規定した。 それとともにカトリック信者が統一教会に惑わされたり利用されないことをお勧めしている。33) 

 このようにカトリックとプロテスタント、保守神学、進歩神学を問わず、クリスチャン陣営全体が統一教の強力な批判的言説と反対運動を展開し、新生宗教集団の位置にあった統一教は生存戦略の次元で「認定闘争」を展開することになる。 

Ⅳ. 統一教会のキリスト教認定闘争 

 統一教会のキリスト教陣営の批判と攻撃は、「統一教会は、キリスト教ではない」という一つの命題に圧縮することができる。統一教は階層 文鮮明を 「再臨主」で偶像化する 「疑似宗教集団」であり、いくつかの宗教の要素を恣意的に組み合わせて作られた「混合宗教」であり、本格的な教義から外れ「異端」で、「血分け」と「ホンウム」を行なう「カルト」という非難と断罪はすべてこの命題を軸にして旋回している。つまり疑似宗教、 混合宗教、異端、詐教などの否定的な用語はすべて、この命題を強化させる強力な言説的効果を発揮している。 

 クリスチャン陣営によるこれらの「統一教会の非キリスト教化」(Dechristinization of Unification Church)の談話について、統一教会陣営は「統一教会のキリスト教化」(Christinization of Unification Church)談話で対抗した。 

――― 

 ここまで引用します。この続きには統一協会がどのような理論や言説でキリスト教認定闘争を行い、それに失敗し、キリスト教であることを諦め、異教・他宗教として自己規定をしていったのかの過程が叙述されています。張牧師が統一協会でキリスト教の福音を伝えていたころ、キリスト教を刷新する運動体という意味で、「統一協会は、キリスト教である」という認識を持ち、元々キリスト教の教会に通っていた人たちが統一協会の中で張在亨牧師の伝える福音、正統なキリスト教の教義を聞いたとして、「この過去の韓国の文脈」では、統一協会への攻撃だと認識することはないのです。 

 これをキリスト教の牧師先生が現在の日本や現在の韓国で統一協会に乗り込んでキリスト教の福音を述べ伝えたら統一協会への攻撃だと認識されるでしょう。現在統一協会はキリスト教ではない異教だと自己規定しているのですから。ただ、そう自己規定するようになったのも過程があり、その前の段階もあったという歴史的背景を知る必要があると思います。