2018年12月2日日曜日

異端審問

僕のTwitterのプロフィール文は以前Reporter of Christian Today でした。記者を辞めてからは単にChristianにしました。「自分は誰か?」「自己紹介するならどう紹介するか?」結局自分はクリスチャンだということ。これが言いたいのです。


国際基督教大学の第一男子寮にはいくつか伝統がありましたが、その一つに彼女ができた疑いが生じた寮生をソーシャルルーム(居間)の真ん中に立たせ、他の寮生が根掘り葉掘り馴れ初めの話を聞き出し、本当に恋人関係がしっかりしているのか、騙されただけではないのかなど聞き出す会、通称「異端審問」がありました。毎日ともに過ごす寮生活で実の兄弟よりも兄弟らしい親しい寮生同士の関係を彼女が奪っていくものだから寮の秩序を脅かすもの、寮の人間関係に対する裏切りのようなものという意味で面白おかしく異端と呼んでいたのかもしれません。


僕がイエス・キリストを自分の救い主として受け入れ喜んで寮に帰ってきたとき、あまりに上機嫌なので彼女ができたわけでもないのに「異端審問」にかけられました。寮生でもクリスチャンは数人しかおらず、ほとんどはノンクリスチャン。その親密さよりもっとイエス様と親密になったように見えたのか、次々にできたての僕の信仰を揺るがそうとする質問をされました。一つ一つ、ノンクリスチャンがキリスト教について抱く疑問や、僕がクリスチャンに今ならなくてもいい説などに対して弁論していきました。にわかクリスチャンですぐ棄教するのではないか。十字軍はどうなのか?僕がクリスチャンにならないように諦めさせようとしていろいろなことを言われましたが、その都度自分がなぜクリスチャンになったのか、言葉足らずにも説明しました。いくつ質問があったのか覚えていませんが夢中で答えていました。最終的に先輩たちが折れて「わかった。お前がそこまで信じるなら認めるよ。お前はクリスチャンだ。」と言われました。自分にとっては家族のように大事な寮の先輩、同輩、後輩たちに自分が得た救い、希望、喜びを証する「異端審問」になりました。


寮のみんなに自分をクリスチャンだと認めてもらったとき、本当に嬉しかったです。僕にとって大事な人たちが、自分にできた大事な信仰を、尊重し大事に扱ってくれたからです。この体験は僕の原体験となって今自分がクリスチャンであると名乗る原動力を与え続けています。


寮生のお遊びだった異端審問は一晩で終わりましたが、その後実際に始まった異端審問は14年継続し、まだ終わる気配を見せません。僕の人生のもうすぐ半分になるクリスチャン人生は2004年から2018年の今までずっと異端審問の人生でした。根田祥一氏を始めとする問題提起者らは僕をクリスチャンを装い、日本のすべてのクリスチャンを騙して自分をクリスチャンであるかのように見せかけようとしている「異端信徒」であると公言し、政治的根回しやキリスト教言論の濫用によって日本のあらゆる教団・教派に属するクリスチャンが僕を含めたクリスチャンの群れを、「クリスチャンとは認めない」ように画策し、活動しています。問題提起者は僕が公に名前を出してクリスチャンと名乗るのをどうしても潰そうとして、「あれは異端だ」と吹聴して回っています。


僕の答えは同じです。「僕は神様を信じず、むしろいないと思って神様に敵対する人生を歩んでいたにもかかわらず、神様は独り子であるイエス・キリストをこの世に使わしてくださり、イエス様は僕の罪のために十字架にかかって死んでくださり、三日目に復活され、神様の右の座につかれました。これを僕は受け入れ、救われた。だから僕は誰がなんと言おうがクリスチャンです。」


杖を持ち上げる、川に足を踏み込む、城の周りをぐるぐる回る、石5個拾ってそのうち1個投げる。。。人間にできることってそういうことですよね。けど神様がなんとかしてくれるって信じてできることをできるだけやった。僕はできるだけ書いて投稿する。神様が人の心に働きかけてくださることを信じて。

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