2022年5月26日木曜日

信条ではなく出自による教派差別

 私はクリスチャントゥデイ編集長の井手と申します。自己紹介として、証しを書きましたので、よろしかったらご一読ください:https://blog.christiantoday.co.jp/2019/12/hokuto-ide-testimony.html

クリスチャントゥデイを通して私が何をしようとしているのか、クリスチャントゥデイの目的は何か、キリスト教メディアとして、どのような方針で報道活動をしようとしているのか、お知りになりたい方は、編集長就任の挨拶にそのことを書きましたので、こちらからご覧になれます:https://www.christiantoday.co.jp/articles/27531/20191225/greeting-from-hokuto-ide-new-editor-in-chief.htm

編集長に就任してからもう1年半ほど経過しますが、その間、報道の指揮を取り、記事の編集をする以外に、自分でもいくつか記事を書きました。記事の対象の選び方、報じ方、論説の内容などに、私の信仰内容が反映されるような記事を書こうと意識したつもりです。クリスチャントゥデイという「木」を判断する際の「実り」の一つとして、判断材料の一つとしていただければと思います。こちらが私の書いた記事の一覧です:https://www.christiantoday.co.jp/reporter/ide-hokuto/

私のした仕事の中で特に私の信仰をより強く反映するものとして紹介したいのですが、日本宣教の推進に寄与するために私は「教会と駅」という宣教地図のプロジェクトを始めました。

https://www.christiantoday.co.jp/articles/29508/20210521/church-station.htm(記事)

https://blog.christiantoday.co.jp/2021/05/church-station.html (制作の経緯)

このプロジェクトは海外の福音派でも話題になり、Global Community of Mission Information Workersから機関誌への寄稿を依頼されたり:

https://www.globalcmiw.org/sites/default/files/2021-10/2021_v11n4_CMIW-Bulletin_UN%20v7.pdf

オックスフォード宣教研究所から講演を依頼されたりしました。

https://www.youtube.com/watch?v=f_dwuQcWBdE (講演動画)

https://www.slideshare.net/HokutoIde1/missioinformatics-how-information-technology-contribute-to-mission-study (講演スライド)


仕事内容には、私の信仰が間接的に反映されてはいますが、より直接的に反映するものもあります。日々の生活を通して、信仰的なことを考えたことを私はnoteに書いてきました。個人的な信仰的思索の記録をこちらに残してありますので、また別の判断材料として、検証していただければと思います:https://note.com/hokuto_ide

上記に上げたように公開した記事や信仰的な表明などを皆さんが精査した結果、確かな論拠をもって、私個人や、私が編集長を務めるクリスチャントゥデイは異端である、カルトであるとの確固たる判断をくだされるのであれば、反論はしますが、そのご意見は尊重します。ただ、これらをの実りを見て、異端でもカルトでもないと判断されるのでしたら、これを「キリスト教に偽装した嘘」などとは思わず、額面通り受け取っていただければ幸いです。こういう言い方をしないといけないくらい、十数年にも渡って、クリスチャントゥデイにかかわる人たちは、イエス・キリストを信じるという信仰告白を嘘呼ばわりされて来たのです。変な言い方かもしれませんが、ご了承下さい。


クリスチャントゥデイについて主張されていることを簡単にまとめると、「本当は異端カルトなのに、異端カルトじゃないふりをして正体を隠して、外見上、表面上は、一般のキリスト教の教会を装っている、裏では秘密教理として異端教理を口伝で、印刷しないで、証拠を残さないように教えている。我々はそれを知っているが、お前らは知らない。お前らは騙されてるだけだ。あいつらは嘘つきなのだ。我々だけがその嘘を見抜いた」そういう主張ですよ。

クリスチャントゥデイのスタッフや、あいのひかり教団の人たちを含め、当事者はみんな違うと言う。当事者はみな「自分たちはイエス・キリストを信じる」と信仰告白している。しかし、「いや、お前らは嘘をついている。お前らはイエス・キリストを信じていないのだ」と言う。それだけにとどまらず、「あそこの教会のふりをした奴らは、イエス・キリストを信じると口では言うが、本当は心では信じてない異端だから、キリスト教ではないので、交流するな。徹底的に仲間はずれにせよ。俺のこの主張に反対や疑念を持つやつは皆クリスチャントゥデイに騙されているのだ」と、言う。

そうやって、クリスチャントゥデイに関わる人達や、あいのひかり教団の人たちが、いくら「イエス・キリストを信じる」と信仰告白をしても、「クリスチャンではない。キリスト教徒ではない。キリスト教徒のふりをして、正体を隠した異端だ」と呼び、村八分にする。それ以外の教派や教団との関係を持てないようにする。キリスト教の団体に加盟できないようにし、キリスト教の行事に参加できないようにし、キリスト教の出版社で本を出せないようにし、共に礼拝に参加できないようにし、友人関係を作れないようにし、結婚できないようにする。会うことも、話すことも、単に知ることすら、忌避させるように仕向ける。

何かと似ていませんか?汚い出自という言われない理不尽な物語により、交友、婚姻、仕事においいて差別する。そうです。部落差別です。信条によらない出自に基づいた新しい教派差別制度をキリスト教の中でせっせと作って既成事実化しようとしてるんです。クリスチャントゥデイはそういうのを約20年間、福音派村という村でやられ続けてきました。福音派の偉い人たちは誰も差別扇動者を止めようとしませんでした。

もちろん信仰告白を額面通りに受け取ってくださった方々もいらっしゃいました。峯野先生は、クリスチャントゥデイの会長になってくださいました。堀内先生もクリスチャントゥデイに積極的に協力されました。宮村先生は編集長になってくださいました。福音派で有名な先生方です。しかし、そうやってクリスチャントゥデイに関与することで、少なからず攻撃されてました。ただ、差別扇動者を直接的に止めるっていうのは、誰もできなかったことです。逆に、差別扇動者に同調し、村八分の呼びかけを広める人たちは多くいました。

そうこうしてるうちに、福音派の外から、2018年あたりに差別扇動者に明確に反することを言う人たちが出てきました。溝田さんとか臼田先生とかです。彼らは福音派ではありません。主流派です。最初は僕もなんでだろうと不思議に思ってました。今では神様が呼んでくださったと思ってます。「福音派の中で自浄できないから、外から人を起こしてでも福音派に喝を入れてるのかな」と。僕は自分のことを福音派と思っています。一番距離的に近い身内のはずの福音派から、最も差別され攻撃されていますが、彼らはやはりいちばん近い身内だと思っています。なので、非常に情けない話です。

僕の証しに出てくるN先生に会いに行った時、クリスチャントゥデイと福音派のことをひとしきり話したら、自分の話をしてしてくれました。当時N先生をリンチをしたのはT大学の神学生ですし、それをもみ消してなかったことにしたのはT大学の教授会です。福音派の大スキャンダルです。そして、福音派の教会全部にこれから卒業するN先生を決して牧師として雇うなという手紙を送ったのも、T大学です。

クリスチャントゥデイに対して現在起きている福音派の差別と同様の差別を何十年も前に、N先生は経験していました。なぜか、そのN先生の教え子が僕だったわけです。神学校を卒業しても絶対牧師になれない未来を奪われたN先生に留学を勧めたのが宮村先生です。そして、アメリカの神学校の図書室で、偶然N先生は、古屋安雄牧師と出会います。N先生の事情を聞いた古屋先生が、某大学の教会の副牧師として、N先生を呼ぶことにしました。

日本で決して牧師になれないはずだったN先生が牧師になったのはそういう奇跡的なことがあったからです。古屋先生の本を見ると分かると思いますが、古屋先生自身は、福音派ではありません。主流派の方です。しかし、主流派の中では、福音派に最も理解を示してくださる方の1人だったと思います。そのような古屋先生をN先生に出会わせてくださったのも、神様であると僕は信じます。N先生は、二度と福音派はこりごりだと言ってました。僕はT大学はN先生に謝罪すべきだと思います。N先生と話したときも、これは公にすべきですと、強く話したのですが、N先生はもういいから自分は関わらないと言ってました。本当は誰かが記事に書いて報道すべきだとも思いましたが、まだその時は僕は編集長でもなかったですし。1人の大学院生として、学部時代の恩師に会った時の話なのでこれくらいに留めましょう。

何が言いたいかというと、福音派の村八分は、クリスチャントゥデイにはじまったことじゃなくて、前から似たようなことをしていたということです。しかも、その被害者が某キリスト教系の大学の教授兼牧師だったN先生と、その教え子である僕だった。しかも、N先生は宮村先生の教え子です。宮村先生はクリスチャントゥデイの編集長になった後、一部の福音派の人々から攻撃されるようになり、著作集も途中からあまり売れなくなりました。人脈を切るようなまねもされ、自分の教え子たちからも罵られ散々な目にあいました。

なんか、3代にわたってこういうことが起きてるんです。宮村、N先生、井手。こういう系譜の末席になぜか自分がいるわけで、その意味を考えるに、「細縄の鞭になれ」ということかなと、勝手に自己理解をしてます。N先生は福音派から「去る」という選択をしましたが、僕は去ろうとは思いません。どう考えても僕は福音派だし、それ以外の自分のアイデンティティーがないので。なので、福音派全部を敵にまわしても、自分は福音派だと主張し続けると思います。これは、「人間のグループとしての福音派」と、「信条としての福音派」の違いです。信条として、僕は福音派なんです。


早い話、これです:https://www.christiantoday.co.jp/statement.htm(クリスチャントゥデイの信仰告白)


信仰告白

1. 私たちは、新旧約聖書が66巻から成り、霊感された神の言葉であり、原典において何ら誤りがなく、信仰と生活の唯一の規範であり、正典であることを信じる。

2. 私たちは、神が唯一全能であり、父と子と聖霊の三位格をもつ三位一体であり、永遠に存在される方であることを信じる。

3. 私たちは、アダムが神のかたちに創造され、サタンの誘惑により罪の中に堕落し、その罪により全人類に罪が入ったことを信じる。

4. 私たちは、主イエス・キリストが真の神にして聖霊によって処女マリヤからお生まれになった真の人であること、罪のないこと、奇跡の御業を行われたこと、私たちの罪のために身代わりとなって十字架上で死なれ、肉体をもって復活されたこと、天にのぼり大祭司として御父の右に座しておられること、彼ご自身が栄光のうちに再び来られることを信じる。

5. 私たちは、救いとは、罪の許し、キリストの義の転嫁、行為によらずただ信仰により得られる永遠のいのちであることを信じる。

6. 私たちは、信じた者と信じなかった者が復活し、信じた者は永遠のいのちと喜びに至り、信じなかった者は永遠の刑罰に至ることを信じる。

7. 私たちは、教会すなわちキリストの体が、救われて生まれ変わった者、聖霊によって新生した者によって構成され、これらの人々のためにイエス・キリストが天において私たちをとりなし、再び地上に来られることを信じる。

8. 私たちは、イエス・キリストの再臨は切迫したものであり、イエス・キリストご自身が目に見えるかたちで来られることを信じる。

9. 私たちは、罪の中に堕落した人間が聖霊による新生を通してのみ救われることを信じる。

10. 私たちは、イエス・キリストが全世界に出て行って全ての国民に福音を宣べ伝え、信じた者たちにバプテスマを施すように教会にお命じになったことを信じる。


「人間のグループとしての福音派」もこれと基本的には同じ信仰告白を持ってるわけですが、クリスチャントゥデイが同じ信仰告白をすると、認めたくない。仲間じゃなくて、ヨソモノだと規定したい。けど、信条が同じだから、ヨソモノだと呼びにくい。そういえば彼らは、海外に関係している。アメリカだったり、韓国だったり。出自です。信条は同じだけど出自がダメだと言えば良い。汚い出自という物語を作って差別を正当化すればよいじゃないかと。


大韓イエス教長老会合同福音教団は韓国の福音派の教団です。韓国の福音派の教団である合同福音が宣教師を日本に派遣しました。韓国から日本に宣教師が派遣される方式でよくあるのが、日本にすでにある教会に混ざってその教会の働きを手伝って協力する形で、派遣するやり方です。また、新規に教会開拓をするにしても、教派的に近い日本の教会や教団と連絡を取り合って協力しながらやる方式が多いと思います。

合同福音の人は日本の教会に知り合いがいませんでした。知り合いの知り合いくらいはいたでしょうが、そういうつてをたどることをしないで、日本にただ宣教師を送り、信徒ゼロの状態から、路傍伝道をしてノンクリスチャンの人に福音を宣べ伝え、新規教会開拓をしました。それで教会に来た人たちは全員ノンクリスチャンです。

ノンクリスチャンの人たちが日本の教会のことを全く知らない韓国人宣教師から、聖書のこと、キリスト教のことを学び、クリスチャンになりました。例外的にクリスチャンホームで育った人も3人くらいいますが、それ以外は全員ノンクリスチャンの家庭を背景に持つ人達でした。僕もその1人です。なので、信条的には、福音派ではあるのですが、人脈的には全く断絶された陸の孤島的な教会でした。それが東京ソフィア教会などの、合同福音系の開拓教会です。

なので、日本の福音派の人たちが、東京ソフィア教会のような教会を見ると、たしかに信条的には同じなのですが、違う点が多いことがありました。今では日本の他の教会のことを学び、用語も日本のものに改定し、あいのひかり教団の教会は以前と比べるとずいぶん日本の教会らしくなったと僕は感じています。

日本の教会は、戦後直後に大量に信徒になった人が1世の世代を構成し、その後ノンクリスチャンを路傍伝道、友人伝道、家族伝道して、クリスチャンになるように教会に導く動きが激減し、現在の世代はほとんど皆2世、3世のクリスチャンホーム育ちで、日本的キリスト教文化を常識として育っています。合同福音系は、ほぼ100%ノンクリスチャン家庭育ちの1世で、韓国的なキリスト教文化しか知らないで育っています。

なので、例えば教会用語にしても、合同福音の開拓教会では、当時用語が韓国の教会用語を日本語に直訳したものが多く用いられており、日本の教会用語とは異なる言い回しや異なる用語を使っていた場合もありました。宣教師も日本人信徒も、日本の教会文化を知る人は誰も居ないので、それで誰も不思議に思わずに、そのままになっていました。


合同福音の宣教師が初めて来日したのが1997年です。その後教会開拓をほそぼそとやってました。合同福音はアメリカにも宣教師を派遣して、教会開拓をしていました。学生伝道もしていて、大学の近くで路傍伝道して、興味関心のある学生と共に聖書研究をする宣教師もいました。高柳泉さんは、日本バイブルバプテストフェローシップの教会員の家庭で育ったクリスチャンでしたが、米国カリフォルニア大学に留学していた時、近くで路傍伝道していた合同福音の宣教師に出会い、聖書を学びたいので、聖書研究に参加していました。場所が重要なのですが、そこはシリコンバレーです。

当時のシリコンバレーは今もですが、学生が在学中に立ち上げたウェブサイトが元となってYahooやGoogleをはじめとするインターネット系のベンチャー企業、(今風に言うとスタートアップ企業)が雨後の筍のように大量にできていました。なにせ会社をつくるのに事務所も資本金も何もいらないわけですから、アイディアとパソコンの技術さえあればいくらでも新規性の高い事業を始めることのできる情報産業の革命が起きていた震源地だったわけです。

高柳さんのいたカリフォルニア大学でも同じでした。高柳さんと一緒に聖書研究をしていた学生たちも何かネット起業してみようという流れになりました。合同福音の宣教師たちは、韓国では張在亨牧師をはじめとして、合同福音の信徒たちが韓国クリスチャントゥデイをネット起業したことを知っていますから、キリスト教のインターネット新聞について彼らにも話したことがあったと思います。それじゃあ、自分たちもアメリカで英語のキリスト教のインターネット新聞を作ってやってみようじゃないかと。学生起業をしてできたのが、米クリスチャンポストです。

ウェブサイト一つ作るのはそんなに大変なことじゃないですからね。知識さえあれば学生にも充分できることです。そのようにしてクリスチャンポストができる様子を高柳さんは隣で一緒に見て体験したわけです。自然に日本のキリスト教界にも、同じようなインターネットで読めるキリスト教の新聞があれば良いだろうなと思ったそうです。それで、留学が終わり、日本に帰ってきてクリスチャントゥデイのウェブサイトを作って、創業したというわけです。

合同福音の開拓教会は、1997年から2002年まで日本の他の教会とは特に交流もなく、ほそぼぞと宣教師が路傍伝道してるだけの教会だったわけですから、合同福音の存在が日本の福音派に知られていないのは当然だったわけです。日々の生活と路傍伝道と日本語の勉強などに集中するのに精一杯で、他の教会と交わりを持つ時間や余裕がなかったというのもあるかもれません。合同福音の存在は全く福音派には知られていなかった。クリスチャントゥデイのウェブサイトを作る計画を高柳さんは特に別の教会の人に相談したり、支援してもらおうともしてなかった。自分たちでできることの範囲内だと思っていたのでしょう。

韓国クリスチャントゥデイのウェブサイトを立ち上げたインターネットに詳しい合同福音の信徒たちがある程度最初の作業を助けてくれたら、あとは自分でなんとかできる。そういう始まりの仕方だったわけです。合同福音が日本で行ってきた宣教、教会開拓の働き、高柳さんがクリスチャントゥデイを日本で始めるに至った経緯。こういうのを全く知らない状態で、日本の福音派の教会はクリスチャントゥデイのウェブサイトが「突然」できたことを知ります。

「突然」というのは、根回しがないという意味でもありますし、超教派の設立準備委員会が存在しないという意味でもありますし、日本福音同盟やいのちのことば社の許可がないという意味でもあります。

「クリスチャントゥデイというウェブサイトができたが、誰に聞いてもそのことを知る人がいない」そういう状況が生じたわけです。日本のキリスト教界は狭いですから、人脈づたいに知ろうとすれば基本的に何でも知ることができます。にも関わらず、誰に聞いても誰もしらない。これはおかしい。そうなるのは理解できます。

しかし、考えてみるとおかしいですよね。ウェブサイト一つ作るのに誰かの許可を得る必要なんてないわけでしょう。高柳さんがいのちのことば社の指揮命令系統に属しているわけでもないわけで。

つまり、福音派は俺たちの縄張りだから、勝手なことは許さんという不文律があったということじゃないでしょうか。


しかし、そんな律法は聖書にはないですよね。


仮にも聖書のことばを信仰と生活の唯一の規範とする福音派なわけですから、「福音派は俺たちの縄張りだから、勝手なことは許さん」とは口が裂けても言えない。だから、統一協会系だの、異端教理を秘密口伝で信じてるだの、カルトだの、クリスチャントゥデイが存在してはいけない「正当な理由」を組み立てるしかなかったのではないでしょうか?