2018年12月29日土曜日

カルトプログラミングとは何か

 カルトではなかった教会に通っていて、その後様々な事情で通わなくなった人たちにあとから連絡をとって脱カルト牧師がカルト脱会者に施す脱洗脳プロセスと同様の手法で「あなたがいた教会は実はカルトであったのだ」という教え込みを繰り返しほどこし、最初はカルトであるとの認識をもっていなかった彼らの認識を事後変更し、過去を再解釈させ、「自分がいた教会はカルトであったのだ」という新しい過去認識を持たせること。

これがクリスチャントゥデイが定義した「カルトプログラミング」の概念です。

健全な教会を陥れて評判を傷つけ信徒を離反させ、「カルト冤罪」を被せられる事件は国内外で複数これまで起きています。しかし、上記のような概念に、名前がつけられた事例は存在しません。このため新概念を呼称するための名称が必要であると判断して、「カルトプログラミング」という単語を造語したものです。これに関連してカルトプログラミングを施す脱洗脳手法の実行者を、「カルトプログラマー」とも呼称することとします。

クリスチャントゥデイにカルトの冤罪を被せようとしている差別扇動者らは、カルトプログラミングをしています。カルトプログラミングを施された人を集めて「ビオラの会」と称する会を作り上げさえしました。単に教会に来なくなった事情があった人を、粉飾して脱会者に仕立て上げているわけです。ティラビアを輸入してきて、「鯛」のラベル貼り付けて、消費者にあたかも、日本近海で漁獲された鯛のように思わせるのと方法論的には同じです。

クリスチャントゥデイの記事、「カルトプログラマーの虚偽情報に基づいて異端フレーム工作に加担したキリスト新聞」は、このようなカルトプログラミングの事例について報じたものです。

正当なカルトに対する告発と、不当なカルト冤罪は似て非なるものですが、表面的には同じように見えます。だから、殺人冤罪でも、痴漢冤罪でも、どんな冤罪事件にも言えることなのですが、カルト冤罪も極力防止されなければなりませんし、そのために丁寧な事実検証と双方からの聞き込みは必要です。カルトプログラミングを施す者らは最初からカルト冤罪を被せる目的を持っており、その手法は被害者を捏造する欠席裁判そのものです。

2018年12月15日土曜日

火をもって答える神


今朝、寒かったので暖炉の火で温まりながらいろいろ考え事をしていました。

そして昨今のキリスト教界に思うところがあり、上記のツイートをしたわけですが、事情をよく知らないクリスチャンの方々は「何のこと?」と思われるだろうと思いますので、以下にその意味を詳しく書こうと思いました。

これは日本のキリスト教界におけるクリスチャントゥデイ異端捏造問題( https://nehemiaharchives.blogspot.com/2018/12/blog-post.html )とその背景にあるキリスト教のメディアを自称しつつ金日成を救世主として崇拝する主体思想派の正体を隠して韓国の福音派に侵入し、教会の弱体化と破壊活動を行ってきた扇動機関、ニュースNジョイの問題( https://nehemiaharchives.blogspot.com/2018/12/n.html )について述べたものです。

これを考えるとき、第一列王記18章17節から40節が思い起こさせれました。
17 アハブがエリヤを見るや、アハブは彼に言った。「これはおまえか。イスラエルを煩わすもの。」
18 エリヤは言った。「私はイスラエルを煩わしません。あなたとあなたの父の家こそそうです。現にあなたがたは主の命令を捨て、あなたはバアルのあとについています。
19 さあ、今、人をやって、カルメル山の私のところに、全イスラエルと、イゼベルの食卓につく四百五十人のバアルの預言者と、四百人のアシェラの預言者とを集めなさい。」
20 そこで、アハブはイスラエルのすべての人に使いをやり、預言者たちをカルメル山に集めた。
21 エリヤはみなの前に進み出て言った。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。
22 そこで、エリヤは民に向かって言った。「私ひとりが主の預言者として残っている。しかし、バアルの預言者は四百五十人だ。
23 彼らは、私たちのために、二頭の雄牛を用意せよ。彼らは自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂き、たきぎの上に載せよ。彼らは火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにして、たきぎの上に載せ、火をつけないでおく。
24 あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい。」と言った。
25 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたがたで一頭の雄牛を選び、あなたがたのほうからまず始めよ。人数が多いのだから。あなたがたの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない。」
26 そこで、彼らは与えられた雄牛を取ってそれを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んで言った。「バアルよ。私たちに答えてください。」しかし、何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちの造った祭壇のあたりを、踊り回った。
27 真昼になると、エリヤは彼らをあざけって言った。「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席をはずしているか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう。」
28 彼らはますます大きな声で呼ばわり、彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた。
29 このようにして、昼も過ぎ、ささげ物をささげる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった。
30 エリヤが民全体に、「私のそばに近寄りなさい。」と言ったので、民はみな彼に近寄った。それから、彼はこわれていた主の祭壇を建て直した。
31 エリヤは、主がかつて、「あなたの名はイスラエルとなる。」と言われたヤコブの子らの部族の数にしたがって十二の石を取った。
32 その石で彼は主の名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の回りに、二セアの種を入れるほどのみぞを掘った。
33 ついで彼は、たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ、
34 「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ。」と命じた。ついで「それを二度せよ。」と言ったので、彼らは二度そうした。そのうえに、彼は、「三度せよ。」と言ったので、彼らは三度そうした。
35 水は祭壇の回りに流れ出した。彼はみぞにも水を満たした。
36 ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行なったということが、きょう、明らかになりますように。
37 私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」
38 すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。
39 民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言った。
40 そこでエリヤは彼らに命じた。「バアルの預言者たちを捕えよ。ひとりものがすな。」彼らがバアルの預言者たちを捕えると、エリヤは彼らをキション川に連れて下り、そこで彼らを殺した。
 21節の「エリヤはみなの前に進み出て言った。『あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。』しかし、民は一言も彼に答えなかった。」に突き当たったとき、「しかし、これはがっかりだな。どれくらい事なかれ主義なんだよ。いつの時代も同じか。」と思ってしまいました。日本のクリスチャントゥデイは韓国クリスチャントゥデイの以下の報道を紹介したのですが、日本のキリスト教界からはまだ一言も答えがないように思えたからです。
しかし、エリヤの時代もバアルの預言者が450人もいればビビって反対の声をあげるどころじゃない雰囲気だったというのは想像できます。だからイスラエルの民に行動する勇気を与えるためにエリヤは提案をしたのでしょう。バアルという偶像を拝むのを止め、火をもって答える神様を畏れ、拝むという行動を取る勇気与えるための神明裁判の提案でした。

今回の韓国CTの報道は「バアルの預言者たちを捕えよ。ひとりものがすな。」の声そのものだと思います。これはイスラエルの民に向かって発せられた声です。

「ニュースNジョイの金日成を偶像崇拝する預言者たちを捕らえよ。ひとりものがすな。」

これだと思います。最初は黙っていたイスラエルの民も神様の火を見たらバアルの預言者を捕まえるというアクションを取りました。大韓イエス教長老会高神教団がその良い例だと思います。今高神教団では主体思想派狩りが敢行されているそうです。これが自浄というものであり、イエス・キリストが細縄を作って両替人を追い出した行為が象徴するものだと思います。

今回ニュースNジョイの主体思想派主導を裏付ける大量の物的証拠が出てきたのは本当に神様が火を送ってくれたのに等しい奇跡でした。韓国のキリスト教界はそれがどんな火なのか見ただけでわかったということです。

日本のキリスト教界がこの火をどう見るか?これが今問われている問いなのでしょう。神様からすると、「私はあなたの祈りを聞き、火を送った。あなた方はどうするのか?」って聞いてるわけだと思います。

「金日成を偶像崇拝する連中がのうのうと福音派のクリスチャンのふりをして、それを福音派が今まで受け入れられてきたが、今ようやく証拠があがってバレて排斥されている」という事実。

日本のキリスト教界はこれをどう見てどう対処するのでしょうか?

特に福音派。

これは、根田さんのキリスト教界における生死と密接に関わっているから非常に答えを出しにくい問題でもあります。

例えば、ある日本の教団が、
ニュースNジョイについての声明 
○月○日
韓国キリスト教界で明らかにされたように、ニュースNジョイは主体思想派の金日成偶像崇拝者で、戦前の天皇崇拝者の国家神道と何ら変わるものではありません。むしろ福音主義の革を被ってキリスト教の破壊をしようとしている狼だという点で、キリスト教にとっては国家神道よりもさらに悪質な勢力です。このため、本教団はこれと内通、協力、擁護、利用し、キリスト教を弱体化させ、破壊し、主体思想を肯定的に受け取るようキリスト教界を扇動する行為に加担する者が教団加盟の教会にいる場合、該当者の所属教会の教師がこれを止めるよう訓戒し、従わない者はこれを改めぬかぎり教会籍を剥奪することを、役員会によって決定しました。主にありて。
文字通りこうじゃなくても、このような見解や声明を出せるなら、その教団は韓国のキリスト教界もしくは他国のキリスト教界から正常だと判断されるでしょう。しかし、根田さんが死に物狂いで「クリスチャン新聞でXXと書きますよ」などと脅迫と根回しを繰り返し、その教団の意思決定に介入し、万が一「ニュースNジョイはキリスト教メディアです」などという血迷った見解の声明を出させたら。すべての教団に根田さんがそういう根回しをして成功したら、日本のキリスト教界、特に福音派にはたぶんもう未来はないと思います。

こういう考えをある福音派の牧師先生に話したところ、「そういう声明があったら異議を唱えます。」とおっしゃってくださいました。

それでも僕が「日本ホーリネス教団の意思決定に根田さんが介入して実際そういう声明が出るのがあり得るから怖い。」と申したところ、「その時は徹底的抗戦します。」ともおっしゃってくださいました。ガッツがありますね。

その先生は「ニュースNジョイはインチキカルト的メディアである証拠は多数出ております。CTが異端カルトである証拠は皆無。そういうことです。根田はグルなのか、そうでなかったら目が曇っているということ。エレミヤの時代と同じ状況と言えると思いますね。偽預言者による平和宣言とか。」ともおっしゃっていました。

根田さんはニュースNジョイ主体思想派暴露報道「以降」、「ニュースNジョイはキリスト教メディア」などという主張を繰り返しています。

ニュースNジョイに「金日成秘密裏偶像崇拝罪」と「福音主義キリスト教詐称煽動破壊罪」の罪状を突きつけた瞬間、ニュースNジョイを嬉々として引用し、無批判無検証に利用し、CTを異端に祭り上げた根田さんにも同じ罪状が突きつけられること。これが福音派のジレンマになるかもしれません。

根田さんは結局、まだ福音派の「身内」なのだとおもいます。身内を切るのは痛みが伴います。

しかし、今韓国のキリスト教界で始まったニュースNジョイ断罪排斥運動の炎を、鎖国して日本のキリスト教界が防ぐことなどできるのでしょうか?

今回、根田さんが所属する日本ホーリネス教団を始めとする福音派の信徒、牧師、神学者、その他関係者の皆さんには深刻な問題提起をしなければなりません。今福音派はニュースNジョイが燃やされている神の炎を目の当たりにして、根田さんに対して「ニュースNジョイから手を切れ」と説得している過程にありますし、そのような自浄作用が働く様子から希望が見て取れます。

先ほどとは別のある牧師先生は根田さんに対して
「クリスチャントゥデイ問題とは別にして、ニュースNジョイを韓国のキリスト教界で信頼がおけるというご発言は、本当ですか?私は、その逆の評価を、韓国の牧師さんから得ています。
井出さんをかばうつもりは毛頭ありませんが、逆に、井出さんが出してくる情報に対して、ニュースNジョイをかばってしまうと、韓国や日本にいる誠実な牧師や宣教師から、この問題に対して、心が大きく離れていってしまいますよ。『やはり、根田さんが赤旗の取材で意見を寄稿されるということは、やはり確信的な赤だったのか?』という疑念が出てくるなど、日本以上に韓国では強い拒否反応が起こるでしょうから。
政治思想の争いになる前に、福音真理の戦いに戻っていただけませんか?」
とおっしゃっていました。 ニュースNジョイを庇うのはもう無理だということです。

しかし、韓国クリスチャントゥデイとニュースNジョイの戦いと、その代理戦争でもある日本クリスチャントゥデイと根田派の問題提起者の方々の戦いは政治思想の争い「だけにとどまりません」。確実に福音真理の戦いでもあります。なぜでしょうか?ニュースNジョイがキリスト教界を騙し、思想化工作を通してキリスト教の弱体化を進める細胞組織、扇動組織だからです。

福音真理をニュースNジョイを放置してキリスト教が弱体化させられ、多くのクリスチャンが金日成主義者に改造されるのをクリスチャンが、牧師が、神学者が手放しに放置したら福音真理を守れるのですか?いいえ。守れません。だから韓国のキリスト教界は今断固としてニュースNジョイを排除に向けて動いているのです。ニュースNジョイとの戦いは政治思想の争いであり、同時に、福音真理の戦いなのです。そして韓国クリスチャントゥデイと日本クリスチャントゥデイは先陣を切って、矢面に立って、この戦いを戦っているのです。

根田さんが頑固にニュースNジョイ擁護の立場を死守するなら、日本ホーリネス教団は膿を切り捨てる措置をとるべきではないでしょうか?日本ホーリネス教団だけではありません。いのちのことば社、日本福音主義神学会、日本ローザンヌ運動、JTJ神学校、その他根田氏が所属するすべての団体、特に福音派の団体は、ニュースNジョイについて現時点での、暴露報道以後の、立場を表明するべきではないでしょうか?目をつむって、聞こえないふりをして、知らないふりをして、これを通り過ぎることはもうできないと思います。

そして、根田さんがニュースNジョイを擁護し続けるのならば、根田さんを諭し、諌め、訓戒し、勧め、丁寧にニュースNジョイから手を切るように導かなければなりません。それでも根田さんがニュースNジョイを擁護するなら、痛みを伴ったとしても、根田さんを排除せねば、ニュースNジョイが賛美、崇拝する金日成を現人神として国体の中心に据えた、朝鮮民主主義人民共和国の圧政の元で、日々虐待され、苛烈な人権侵害を受け、動物以下の存在として扱われ、毎日残虐に殺され、殉教していくクリスチャンの兄弟姉妹に、私達は何と弁解すれば良いのでしょう?

僕はアメリカの福音派に属するクリスチャンとして、部外者の目でこの状況を見ています。同時に今は属していないとしても、僕の信仰的基礎を形作る場所であった日本の福音派には恩義があるため、これを思っておせっかいかもしれませんがものを言います。韓国のクリスチャンとも縁があるため、韓国の福音派の現状が刻一刻と耳に入ってくるため、危機感を感じています。

日本の福音派には友人も人脈も名声もない石のような存在だが、叫びたい。「バアルの預言者たちを捕えよ。ひとりものがすな。」と。

2018年12月10日月曜日

韓国CTとニュースNジョイの因縁

一見関係のない2つの別々の問題に見える「クリスチャントゥデイを異端に仕立て上げてキリスト教界から抹殺しよう」という問題と、「ニュースNジョイは主体思想派のキリスト教弱体化工作のための扇動組織である」という問題。最初は何がきっかけだったのか?っていうところを見ると、つながってくるものがあります。

1.宗教マフィア

大韓イエス教長老会統合教団の崔三卿牧師という自称異端専門家、異端鑑別師を名乗る人が3人の同種の人たちと韓国の様々な教会を訪れて「あなたの教会を守るために異端対策をしてあげよう。だから異端対策費用としてXXX万ウォンを払ってください」というビジネスをしていました。中には払えない牧師や払いたくない教会がありました。「いやそんなことしなくていい。帰ってください」と言った牧師はニュースNジョイに女性スキャンダル、異端疑惑、金銭問題などを報道され、韓国のキリスト教界から「正義の名のもとに」抹殺されました。実はニュースNジョイの捏造だったのです。自分の教会の牧師が失脚し、教会が潰され、自分の教会を失った信徒は悔しさと悲しみに暮れます。崔三卿牧師は異端対策費というみかじめ料を徴収する「宗教マフィア」だと呼ばれるようになっていました。

2.作戦会議

その後韓国クリスチャントゥデイが大韓イエス教長老会合同福音教団の張在亨牧師によって創立されます。記者は世間知らずの若者です。ただ正義感にあふれて突っ走る人が何人かいたようです。ある日クリスチャントゥデイに電話録音の音源が届けられました。崔三卿牧師とお仲間の宗教マフィアが正統教会の牧師Aをどのようにして異端に仕立て上げるのか作戦会議をする電話でした。オウンゴールですね。自分で異端捏造の手順を語ってるんですから。この時点で張在亨牧師を批判する人は韓国のキリスト教界にはだれもいませんでした。もちろん以前統一協会やその関連団体にいて、そこを出て正統な教会の牧師をしている人は多くいました。ただ、暗黙の了解として互いにそのような過去は触れないというエチケットのようなものがあったようです。

韓国クリスチャントゥデイにもたらされた崔三卿牧師を告発する電話音源は他の多数のキリスト教メディアにもすでに送ってありましたが、ニュースNジョイによる報復捏造報道を恐れて誰もこれを公開し、批判的に報道するメディアはありませんでした。何も知らないで驚愕した韓国クリスチャントゥデイの記者以外は。韓国クリスチャントゥデイにある記事が掲載されました。電話録音を詳細に記述し、正統な牧師をどのように異端として捏造するのか協議し、次のステップを整え、方向性を決める様子が暴露されました。他の新聞が報じないのでスクープになってしまいました。韓国のキリスト教界がざわつきます。崔三卿牧師やニュースNジョイなどの被害者らは内心「よくぞやってくれた」と思いつつも、「大丈夫か、標的にされたらひとたまりもないのではないか?」と心もとない思いもあったそうです。

3.殺れ

崔三卿牧師がある日いつものように異端捏造をしようとして気づくと韓国クリスチャントゥデイにそのことがバラしてありました。小悪人なら焦って震えるのですが、自分のメディアを従え、自分が黒といえば白も黒くなる権力者は一味違います。崔三卿牧師は怒りに燃え、「この若造が。人の領域(シマ)あらしやがって。まあいい。こんな無名の新聞すぐに潰してやるから。」崔三卿牧師はいつものようにニュースNジョイの記者に連絡をしました。「次はクリスチャントゥデイだ。何か探せ。そして殺れ。」この瞬間から、崔三卿牧師とニュースNジョイは韓国クリスチャントゥデイと決して共存できない、どちらかが生き残り、どちらかが死ぬまで死闘を繰り広げる関係になりました。韓国クリスチャントゥデイの報道が「正しい」ことになれば崔三卿牧師は社会的に死ななければなりません。異端捏造の暴力という剣によって韓国クリスチャントゥデイのペンを折れ。これが崔三卿牧師の殺害命令だったのです。

4.ペンと剣

韓国クリスチャントゥデイのあら捜しをしますが、金銭問題、女性問題、どちらもクリーンでした。残る選択肢は異端捏造。設立者である張在亨牧師の経歴、発言、教えの内容、数百ページの文章をニュースNジョイ記者は漁ります。張在亨牧師は若い頃統一協会の外郭団体でキリスト教の福音宣教をしていたことがわかりました。「やった。見つけた。」ニュースNジョイの記者は使命感に溢れます。主体思想の勝利のためにまた一人牧師と、新参のキリスト教メディアを社会的に抹殺できそうだ。キリスト教の弱体化に貢献できそうだ。こうして作られたのが張在亨牧師統一協会前歴報道でした。ただ、今回の敵は違いました。安々と殺されてたまるかと血気盛んな若者が反論を報道し、ペンで対抗してきました。

5.「客観的な第三者」

崔三卿牧師が異端対策委員会の相談室長を務める韓国基督教総連合会(CCK)では、崔三卿牧師の発案により張在亨牧師の異端調査が開始されました。「ニュースNジョイが疑惑を報じているから調査せよ。」と自作自演を異端対策委員会の会議で発案します。このようにして、張在亨牧師は宗教裁判に引き出されました。ニュースNジョイはこれみよがしに報道します。記事は「CCKが異端疑惑で張在亨牧師を調査」です。マッチポンプにも程があるのですが、あくまで客観的な第三者を装って大々的に報道するのが異端捏造のこつだそうです。

根田さんが日本のクリスチャントゥデイを抹殺するための口実を探していたのがちょうどこのころでした。それでJEAが55の加盟教団に送ったFAXの内容が以下のように定まったということです。


日本福音同盟 Japan Evangelical Association
101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-1 OCCビル内
TEL 03-3295-1765 FAX 03-3295-1933 E-mail office@jeanet.org
2004年6月17日
JEA加盟団体各位
JEA協力団体各位
主の御名を賛美いたします。
最近、いち報道機関として活動を始めた『クリスチャントゥデイ』に関して、さまざまな問い合わせが皆さまからございました。数ヶ月間、調査結果を待っておりましたが、一昨日、韓国の新聞社「韓国基督公報」を通じて次の内容の事が明らかになりました。

韓国クリスチャントゥデイ新聞の常任理事、張在炯牧師は、統一協会の核心メンバーであることが判明。このことについての記事が韓国のオンライン新聞であるNews N Joyに出ている。基督公報の取材によれば、海外ネットワークとして日本と中国に力を入れているらしい。張在炯牧師は現在合同福音教団の総会長ですが、韓国基督教総連合会から異端として調査中である。(クリスチャン新聞提供)
上記の調査報告を深刻に受けとめ、JEAは今後、『クリスチャントゥデイ』の取材を一切受けないことといたしました。その事を関係者の皆様にご報告いたします。
主にありて
理事長 小川国光
総主事 具志堅聖

根田さんは崔三卿の保身と、ニュースNジョイのキリスト教弱体化工作のために用意した矢を知ってか知らずか、日本のクリスチャントゥデイに向かって放ったということです。


6.コインの裏と表

張在亨牧師は韓国キリスト教総連合会の異端対策委員会において、「証拠がなく事実でなく、異端性が全くない」と判断され、無罪放免となりましたが、結果これが冤罪であるため、責任者の処罰を求めますが、CCKの指導者らに「どうか穏便にしてほしい」となだめられて偽りの告発者らを赦しました。

一方崔三卿牧師は後に自分が異端であることが判明してCCKを追放されました。ニュースNジョイは今まさに炎上しています。コインの表と裏のように対象的な結末に終わりましたね。神様のどんでん返しはこういうものではないでしょうか?

最後に印象的なエピソードをひとつ。

宗教裁判の検察官よろしく崔三卿牧師が張在亨牧師を調査するときに、崔三卿牧師は面と向かって金持ち自慢をしたそうです。自分がいかに金が多いかを誇る崔三卿牧師はこう口走ったそうです。「ニュースNジョイの記者にあんたのことを調査させるのに3000万ウォンもくれてやったんだよ」賄賂を払って捏造記事を書かせてたことを自分から言ってしまいました。オウンゴールです。

書いていてバカバカしくなるほどの汚い話しですが、韓国のキリスト教界の腐敗した現実です。

ニュースNジョイの問題がクリスチャントゥデイの疑惑問題とはコインの裏と表の関係にあることがおわかりになったでしょうか?

ニュースNジョイ問題 フェイクニュースを信じるのか、連合機関と裁判所の判決文を信じるのか

韓国クリスチャントゥデイの10日付けの記事の翻訳を紹介します。

原文:http://www.christiantoday.co.kr/news/318310


ニュースNジョイを調査した専門家チーム、大型不正ゲート暴露目前

本紙は最近ニュースNジョイの背景にある金日成の主体思想を崇拝する勢力について複数回にわたって深層報道したが、ニュースNジョイはその内容について一言も否定できず、本紙が何の根拠もなく「従北のフレーム」をかぶせようとしているのだと言い張っている。何がそんなに急だったのか、礼拝もささげていないのか、ニュースNジョイは主日の9日、話にならない午後3時30分ごろと9時ごろ、長文の記事を2つも続けて掲載した。

そうしながらニュースNジョイは、日本にまで行って取材をしてきたとフェイクニュースや匿名の人物の情報、その正体と出どころを知ることができないノートを持ってきて、本紙設立者である張在亨牧師の疑惑提起をしているが、その内容はすべて当の昔の2013年、虚偽の事実として法的な判決を受けた(関連記事リンク)。すでに虚偽事実の流布者らが敗訴し、裁判所の命令により、1千万ウォンの賠償金も納付して、自分たちが掲載した誹謗をすべて削除した事件の文献にある内容をもって、いきなり疑惑を再点火しようとしていることが正気なのか?

裁判所の明確な判決があるにもかかわらず、敗訴したことがないと主張することもやはりフェイクニュースだ。なぜこのようなことが起こっているのだろうか?日本社会の文化は、裁判の結果については非常に厳重なので敗訴した側は強力にその責任を追及されるため、虚偽事実流布者たちは、何とかして責任を逃れるために局面転換を図っているためだ。しかし、法的に終結したので、いくら再点火させようと数年間必死になっても再点火できてない。

この事件について、日本国内で陰湿な攻撃を主導した人物は、すでにきれいに謝罪したが、これは非常に勇気があり、素晴らしい姿勢だ。本紙は必要に応じて、これを後日公開する方針だ。その後も追従者らが、追及が恐ろしくて問題を起こし続けてきたが、これ以上国に恥をかかせず、公に謝罪せよとの教会世論の圧力を受けている。

本紙の取材によると、日本では張牧師所属教団の教会はすべて健全な信仰を持っており、いわゆる「脱退者」は存在しない。出席教会を移したり、離れることは、個人の信仰の自由に関わる問題であり、キリスト教会内で数多く起きていることにもかかわらず、「脱退者」と表現することも問題だ。この単語を使うこと自体が異端操作プログラミングをする者たちの典型的な手法だ。

ニュースNジョイが取材のために日本で会った人物らも、嫌韓派人種差別主義者、正体を隠した匿名の人物、共産党機関紙のインタビューを受けた前歴がある人物など、その面々は見物だ。このような問題を知って会ったのか、知らずに会ったのかは分からないが、知らずに会ったとしたら教える意向がある。だが、知った上で会ったなら、責任を免れるのは難しいだろう。

ニュースNジョイは聖なる家庭を作ろうという趣旨の礼拝についても、「合同結婚式」だと言い張って、統一協会のフレームをかぶせようとするが、これもまた韓国基督教総連合会(韓基総)の調査でいちいち写真対比をした結果、虚偽事実と明らかになった。世界的規模で成長した教団の教会について、このようなとんでもない陰湿な攻撃をすると、いったい誰が信じるだろうか?

この事案は、韓国でもやはり教会法的に社会法的にすべて完全に終結した。まず、韓基総は数年にわたる調査の末、張牧師に対して4回にわたって何の嫌疑もないとの結論を下した(該当結果についての韓基総公文書)。その当時、韓基総は韓教連と分裂する前で、合同と統合など、すべて主要な教団がそこに加入しており、韓基総は名実共に韓国教会を代表する連合機構だった。張牧師を陰湿に攻撃した側も調査に加わり、すべての資料を提出して主張を展開した上で出てきた結果だ。

張牧師自らも韓国と日本と米国で複数回信仰告白を明らかにしており、疑惑についても確実に否定した(2008年6月に韓国クリスチャントゥデイに掲載した信仰告白文2012 年10月、韓国福音主義協議会の指導者たちと一緒にした記者懇談会での信仰告白)。従って、これに対する疑惑は完全に終止符を打ったのだ。

さらに重要なのは、本紙の創設者は、すでに本紙と法的に何の関係もない米国在住の神学者であるという点だ。彼に対して再臨主異端という陰湿な攻撃を国内で最初に掲載したドゥルソリ新聞も、やはりすでに法的に有罪判決を受けた(関連記事リンク)。それでもそれ以上の証拠が必要なのか?

また、ニュースNジョイは今、のんびりすでに終結した他人事に興味を持つ時ではない。今ニュースNジョイは教界内に浸透した主体思想追従者らの細胞組織なのかという論難―ある牧師はニュースNジョイを教界に入ってきた「トロイの木馬」と表現した―について立場を表明できていない。なぜ、そうだとしたら「そうだ」、あるいはそうでなければ「そうではない」と答えないのか?

「私たちはそのような信仰を信じていないし教えたこともない」と言って、北朝鮮の金日成主体思想と全体主義独裁体制について非難したら良いのではないか?張牧師がすでに複数回行ったように、公に信仰告白をしたらきれいに整理される問題ではないか?ところが、答えずに、「従北フレーム」だと言ったり、「日本から何か出てくるのを防ごうとしている」と言ったりすることは、論点をかなり逸脱したものだ。

本紙がそもそもこの事件について深層取材と報道を始めた理由は、ニュースNジョイの大型財政不正スキャンダルについて告発するためであった。本紙はニュースNジョイの財政問題について10年前も報道したが、最近、この問題が再び集中的にあらわになった。

ある保守の人物が国内主体思想追従者らの勢力について非難する内容のユーチューブ動画で、ニュースNジョイの関連機関(財)ハンビットヌリが過去4年間、毎年約30億ウォンに達する後援金を国内有数の企業と団体から受け、そのうちの過去4年間で10億ウォンを超える金額がニュースNジョイに流れていたという事実を暴露した。これについてなぜこれらが教会を破壊する勢力と、金日成を追従する勢力に資金を出すのかと非難が殺到した。これで現在、専門家らを中心としたタスクフォースが構成され、ニュースNジョイの財政問題について集中的な研究が進んでおり、その結果が本紙に続けて情報提供されているが、これは実にニュースNジョイの存続を左右するほどの内容だ。

特に本紙の情報提供者らは、教会が金日成追従勢力の実体を知らずに後援しているのであれば、自分も知らないうちに悪の勢力を助けることなので、この問題を赤裸々に公表すべきだと口をそろえている。ニュースNジョイは、このような自身の梁(はり)を先に見るべきで、なぜ何もない他人のちりを探そうと遠い道を行き来しながら苦労するのか、哀れでしょうがない。さらに本紙がニュースNジョイについてこれまで報道したことは、今後提起する問題に比べれば氷山の一角にすぎない。

日本福音同盟のある重鎮牧師は「普通、日本の左派は、自分たちがあちこち火をつけておいてから『火事だ!』と叫ぶという点に注目するように」と話し、「だからこのような戦いをするために、揺れることなく断固とした心を持って最後まで戦うべきだ」と助言した。

ニュースNジョイの実体について本紙の記事が出て以降、実に多くの牧会者と信徒からこれを支持するとの連絡が来て、業務が麻痺するほどであった。これは、ニュースNジョイがどれほど多くの問題を持っており、これにより、どれほど多くの人々がこれまで苦しんできたのかを如実に示している。

ニュースNジョイがただ本紙が指摘する問題にのみ答えれば、あとは読者が判断することだ。しかし、ニュースNジョイはなぜ指摘された問題について語らずに、米国の牧師を引っ張り出して、非難を浴びせて感情的に対応しているのか、このように論点を曇らせる姿勢が、果たして事実究明に何の効果があるのか?本紙は、このような反キリスト教偶像崇拝勢力に対して断固対抗し、目をつぶらずに、ただ神と読者だけを見つめて、韓国教会の前にその真相を究明する。

2018年12月7日金曜日

クリスチャントゥデイ異端捏造問題

根田祥一氏は僕との対話の中で「あなたが『根田捏造説』の発信元だったという事実を否定しないんですか? できませんよね、証拠を握っているんですから。そうやって恥の上塗りしていると、自分の吐いた唾が自分に降りかかってきますよ。」と述べました。

論理も理性も感じられない感情的でその場の思いつきで出たような言葉ですが、根田氏のこの言葉への応答を準備する中で一つ考えさせられました。

人は自分の口から出した裁きの言葉によって裁かれる。この言葉は2000年前のそのとき、パレスチナの地でなされたイエス様の発言の記録に留まることなく、今の時代この場所で実際に神様の起こす出来事を通して神様の言葉が生きていることを証明する神様の力そのものなのだと。

『根田捏造説』よりはむしろ『ニュースNジョイ捏造情報根田輸入事実』と呼ぶほうが正確でしょうがどっちにせよ、初耳の人には背景を含めて最初からきちんと説明する必要があると思い、皆さんの理解の助けになるかと思い以下の文を書くことにしました。

1.エレベーター

2004年6月、僕がまだクリスチャンになる少し前の出来事ですが。当時日本福音同盟(JEA)の事務所とクリスチャン新聞の事務所は御茶ノ水クリスチャンセンターのエレベーターに乗れば行ったり来たりできる距離でした。2004年当時クリスチャン新聞の編集長は根田氏です。根田氏はエレベーターに乗りさえすればJEAの事務所に行き、他の人がいない時を見計らって当時の総主事に自分が「調査した」と称する「資料」なるものを見せに行くことが容易にできる状況でした。当時JEAは「いち報道機関として活動を始めた『クリスチャントゥデイ』に関して、さまざまな問い合わせ」を受けており、どういう意思決定プロセスに基づいてかは不明ですが、クリスチャントゥデイについて根田氏が編集長を務める「クリスチャン新聞が」調査することになりました。

JEAの正式な意思決定プロセスである理事会で、クリスチャントゥデイについて調査することを論議し、「意思決定者である理事全員の意見を反映させた上で」調査に踏み切ったのでしょうか?それとも根田氏がJEAの事務所にエレベーターで行って総主事や他の少数の実務者や理事と二人で会話して調査するかしないか、調査するとしたらどのような手法で調査するのかを理事会を通さずに「勝手に決めてしまった」のでしょうか?

2.「編集権」と「公然面」

根田祥一氏が編集権を持ち、報道対象の取捨選択をする権限を持っていた2004年当時、根田祥一氏が何度も選んだ報道対象が、そして好意的にその活動を報道してきたのが西川重則氏です。西川氏は百万人署名運動の事務局長であり、百万人署名運動は革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)が主導する大衆運動であると警察白書に何年にも渡って繰り返し記述されています。

また、西川氏は中核派の労働組合である国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)の集会で連帯のメッセージを伝え、中核派の擁立した政治家である北島邦彦氏や齋藤郁真氏の選挙応援ポスターに顔と名前と肩書を出して連帯を表明し、中核派の機関紙である前進が看板のように活動を伝える人物です。

前進に記述された西川氏の活動や発言には、無神論の共産主義者に対して神の存在を説き、神はいないなどと主張して神を冒涜する罪を指摘し、無神論を捨てて神に立ち返り、イエス・キリストを信じて救われるようクリスチャンとして彼らにメッセージする姿はありません。もちろん前進が報じていないだけで舞台裏ではそのように西川氏が共産主義者を伝道している可能性もありますし、僕はそうであってほしいと願っています。

これら表面に現れる西川氏の行動は西川氏がクリスチャンを名乗りつつも同時に中核派の核心メンバーとして「公然面」で活動する活動家であることを示しています。警察白書などによると中核派は「非公然面」と「公然面」に組織が大別され、「非公然面」は爆弾、ロケット弾、人を殺傷し、物や建物を破壊するための凶器や武器を秘密裏に製造し、数十年に渡って日本国内でテロ、暗殺、放火、爆発事件などを繰り返して行っており、警察はローラー作戦で非公然アジトを摘発し、殺人犯の指名手配をして捜査、逮捕するなど力を入れて毎年対処しています。

中核派は暴力革命を通して日本国内で革命戦争を起こし、戦争で多くの人を殺してでも共産主義革命を達成させることを公に方針として掲げています。

「武器を作り、人を殺し、革命戦争を起こそうとする」という「非公然面」の正体を隠して「公然面」では「戦争反対の平和主義者」を名乗り、戦争に反対するなどの大義名分を掲げて大衆運動を通してできるだけ多くの支持者を得てあわよくば「オルグ」して活動家として取り込む、これが西川氏が事務局長を務める百万人署名運動の実態です。

根田祥一氏はこの西川氏の活動があたかも正義であり、クリスチャン新聞の読者が西川氏の「平和主義者」としての活動を肯定すべきであるかのような印象を与える記事を繰り返し流布してきました。

中核派が百万人署名運動を主導していることを知った上でこのような報道方針を採ったのなら、根田氏はクリスチャン新聞というキリスト教メディアを濫用してキリスト教界を扇動し、クリスチャン世論を無神論の共産主義者の活動に迎合させ、キリスト教界にシンパを大量生産する活動を意図的に行っていたことになります。

もちろん「私は中核派が百万人署名運動を主導していることは知らなかった。私は平和主義者だから彼らの暴力革命路線に知らずにも加担してしまった罪を謝罪し、悔い改める。今までの好意的な記事はすべて取り消し、今後は彼らの目指す革命戦争という人殺し行為に積極的に反対を表明する」と根田氏が表明し、これを実行に移すなら根田氏は自分が「本当に」クリスチャンの平和主義者であることをキリスト教界示すことができるでしょうし、そうであってほしいと僕は願っています。

3.敵を愛せよ

根田氏も西川氏もクリスチャンであると僕は信じたいですし、「彼らがクリスチャンを装った極左活動家である」などと断言するつもりはありません。彼らが「私はクリスチャンです」と信仰告白をすれば僕は証拠など要求せずに受け入れます。根田氏は僕の信仰告白を嘘呼ばわりし、僕を「クリスチャンを装った異端信徒」だと公に断言して日本中のクリスチャンの前で僕を中傷し、僕の信仰を踏みにじっていますが、僕の信じ、従おうとするイエス様は聖書を通して語りかけてくださいます「それでもあなたの敵を愛せよ」と。

だから根田氏が「私はクリスチャンです」という時、根田氏のように「それは嘘でしょう」とは言わず、「わかりました。信じます」と言いたいのです。根田氏という敵を愛するためにすすんで騙される者でいることに甘んじようと思います。「あなたはクリスチャンを自称してキリスト教メディアを濫用し、クリスチャンを自分の政治的イデオロギーに染めるために扇動する活動家だ」と、言うのには十分と思えるほどの状況証拠がありますが、それを言うのをぐっとこらえて忍耐するのが愛であり、復讐を神様に任せることなのかもしれません。

根田氏のように裁きの座に自ら座って断罪する者にならぬよう気をつけ、根田氏が冷静に自分を見つめ直す手助けをしていきたいと思います。

4.死刑判決

発行したばかりのクリスチャントゥデイは非常に保守的な論陣を張っており、明らかに根田氏の作る紙面とは政治的イデオロギーにおいて対立するものでした。万が一根田氏編集方針がキリスト教界を共産主義者の活動に迎合させ、共産主義者の社会運動にキリスト者を駆り立てるために扇動することであれば、クリスチャントゥデイはその目的を真っ向から否定する働きになります。

当然邪魔な存在、消えてなくなってほしい存在、どんな手段を使っても抹殺すべき存在になるでしょう。福音主義のキリスト教界の広告収入のパイの取り分が減るというのもCTに敵対する理由の一つになりうるでしょうが、政治的イデオロギーのほうがもっと根源的な動機である可能性もあります。根田氏の内心のことなので知りようもありませんが、状況証拠や根田氏の報道方針、活動、発言の論理的帰結としては妥当ではないかと思います。

このように2004年の時点でクリスチャントゥデイとクリスチャン新聞は同じ福音派を軸足をとったキリスト教メディア同士ではあっても、政治的イデオロギーにおいては互いの存在を決して受け入れることができないほど深刻な利害対立関係にあった可能性があることがわかります。つまり、JEAは殺すか殺されるかの利害対立にあるクリスチャン新聞に、「クリスチャントゥデイとは何か」を説明させる権限を与えたのです。

「クリスチャントゥデイは言語非道の悪でありキリスト教界から抹殺されて当然」と言わしめる権限です。JEAは福音派のほぼすべての教団が加盟する連合組織であり、事実上日本の福音派教会の最高権威、カトリックでいうバチカンのようなものです。そのJEAの権威によって根田氏が編集長を務めるクリスチャン新聞はクリスチャントゥデイを電気椅子に拘束させてもらい、まんまと電気椅子のスイッチをもらうことに成功し、いつでも死刑宣告と死刑執行をする許可を得たことになります。まるで「こっちが判決文をチェックすることはないから、あなたが自由に書いていいよ」とでも言われたかのように。

その死刑宣告の判決文がこれです。
日本福音同盟 Japan Evangelical Association
101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-1 OCCビル内
TEL 03-3295-1765 FAX 03-3295-1933 E-mail office@jeanet.org
2004年6月17日
JEA加盟団体各位
JEA協力団体各位
主の御名を賛美いたします。
最近、いち報道機関として活動を始めた『クリスチャントゥデイ』に関して、さまざまな問い合わせが皆さまからございました。数ヶ月間、調査結果を待っておりましたが、一昨日、韓国の新聞社「韓国基督公報」を通じて次の内容の事が明らかになりました。

韓国クリスチャントゥデイ新聞の常任理事、張在炯牧師は、統一協会の核心メンバーであることが判明。このことについての記事が韓国のオンライン新聞であるNews N Joyに出ている。基督公報の取材によれば、海外ネットワークとして日本と中国に力を入れているらしい。張在炯牧師は現在合同福音教団の総会長ですが、韓国基督教総連合会から異端として調査中である。(クリスチャン新聞提供)
上記の調査報告を深刻に受けとめ、JEAは今後、『クリスチャントゥデイ』の取材を一切受けないことといたしました。その事を関係者の皆様にご報告いたします。
主にありて
理事長 小川国光
総主事 具志堅聖

市民「死刑判決を下す前に裁判しましたか?」
権威「しました。」 

市民「いつどこに来なさい、裁判であなたの言い分を聞くから、と私に通知してから裁判をしましたか?」
権威「してません。あなたを裁判に呼ばないで勝手に欠席裁判をしました。あなたの言い分は元々聞く気がありありませんし、あなたに反論の機会を与えて議論になれば都合が悪く、最悪議論に負けるので、あなたを裁判に呼ばないで死刑判決を出しました。」 

市民「検察は誰ですか?誰が私の罪を調べたのですか?」
権威「私です。」 

市民「裁判官は誰ですか?誰が検察の訴えを聞いて罪状を判断し、判決文を書くのですか?」
権威「それも私です。」 

市民「誰がそんなことをする権限をあなたに与えたのですか?」
権威「私の人脈の一人である最高権威の要職にある人です。」 

市民「正規の意思決定プロセスを通してそのような権限を得たのですか?」
権威「いいえ。そんなプロセスを経て意思決定者の誰かが公正な裁判をするように言い出したら、あなたに死刑判決を出せないじゃないですか。私の目的は裁判で正義を保証することじゃなくて、ただ利害対立にあるあなたを殺す名分として死刑判決を出すことなんですよ。わかったらさっさと死んでください。」

北朝鮮における常識的な市民と権威の関係はこういうものなのでしょう。しかし、残念ながら2004年の福音派でもこのようなことがあった可能性があります。クリスチャントゥデイを裁く権限を得た根田氏率いるクリスチャン新聞が、当時JEAの理事であった峯野牧師から理事会で反対されることなく上記の文章をFAXで加盟団体である福音派の各教団と、協力団体に送り、聖なる公同の教会の一部として活動を始めようとするクリスチャントゥデイを、その体から切り離して壊死させようとした、という可能性です。臓器を体から切り取って捨てたらどうなります?腐って死ぬだけでしょう。クリスチャントゥデイをキリスト教界において、キリスト教社会において、社会的に殺したかったらすべての教会との関係を断絶させればよいということです。

5.根田氏とニュースNジョイ

根田氏が率いるクリスチャン新聞がJEAから調査権を得てJEAに提供した情報元が自称福音主義キリスト教メディアNews N Joy(ニュースNジョイ)でした。奇しくもちょうど昨日、2018年12月5日に韓国クリスチャントゥデイがニュースNジョイが金日成主義者によって運営されていたことを示す多数の証拠とともに報道されました。(https://www.christiantoday.co.jp/articles/26310/20181205/newsnjoy-north-korea.htm) 

日本ではカトリック信徒有志による「教会の政治的言動を憂慮する会」が日本カトリック正義と平和協議会がどのような活動をどのような団体とともに行ってきたかをできるかぎり網羅的に示した調査結果を公開しています。根田氏がクリスチャン新聞で報じてきた政治的イベントにはJEA社会委員会、日本キリスト教会靖国神社問題委員会、日本キリスト改革派教会大会社会問題委員会(西川重則氏の所属教団)とともに日本カトリック正義と平和協議会が頻繁に主催団体や協賛団体として名を連ねており、好意的に報道されています。日本カトリック正義と平和協議会の人脈リストに主体思想日朝友好代表団副団長岡部淳氏、日本教職員チュチェ思想研究連絡協議会全国事務局長であり、金日成誕生を記念する「4月の春の集い」準備委員会の大石忠雄氏、首相に北朝鮮への緊急支援要請をしたかながわ朝鮮問題研究ネットワークの廣瀬禮子氏、チュチェ思想国際研究所理事の武者小路公秀氏など北朝鮮と深い関係の活動家が列挙されている事実も見逃せません。(http://untijpj.la.coocan.jp/yamanouchi/jpj-yamanouchifile_03.html

韓国クリスチャントゥデイと対立関係にあり、互いの生死を賭けた報道合戦を繰り広げるニュースNジョイと根田氏が手を取るのは当然かもしれませんが、今後根田氏は日本のキリスト教界に対して、キリスト教の中心教理である神様の存在を否定し、革命戦争を掲げる中核派への態度や、無実のクリスチャンを信仰を理由に投獄し、苛烈な人権侵害を続け、大量に殺害している北朝鮮に対する態度を説明する責任に追われることになるでしょう。その北朝鮮の出先機関である韓国の主体思想派が運営するニュースNジョイと最初から手を取り合ってクリスチャントゥデイを抹殺しようとしたという非難にもなんらかの説得力をもって弁明していかなければならなくなりました。

6.社会的な唾

根田祥一氏はニュースNジョイの情報を口に含み、クリスチャントゥデイに死刑判決の唾を吐いてキリスト教界から抹殺しようとしたのですが、今回ニュースNジョイがキリスト教メディアを装った金日成主義者の扇動機関であることが判明したことによって、同じ唾が、彼がJEAを利用して福音派のすべての教団に送付させた「ニュースNジョイを典拠とする」FAXが、逃げようのない証拠、すでに多方面に撒き散らした汚い唾として、自分に降り掛かっている様子を私達は今見ています。その唾は全国津々浦々の教会の掲示板に、牧師の書斎に、教団事務所の壁に汚くこびりついており、これがあまりに広範囲に付着しているため、今更拭ってなかったことにはできません。

ニュースNジョイの言葉を利用し、自分の言葉としてクリスチャントゥデイや張在亨牧師を裁いたが、行為と同じ言葉によって自分が裁かれています。そのJEA名義の文章には張在亨牧師が「統一協会の核心メンバー」であることが判明などと書いておき、韓国基督教総連合会(CCK)の調査結果が出てこれを否定されると、統一協会と類似の自称再臨主異端だと言葉を変え、CCKの再調査でそれも否定され、結局証拠を示すこともなく口だけで自分の支援した裁判は敗訴し、福音派で身動きが取れなくなると日本基督教団の斎藤牧師と結託して教団議長に影響力を行使して似たような死刑判決を出させ、持てる人脈の限りを尽くしてクリスチャントゥデイの排斥のために活動した結果どうなりましたか?

あなたが理想的なキリスト教指導者かのようなイメージを描こうとクリスチャン新聞の紙面に映し出した西川重則氏は「中核派の核心メンバー」である疑いが出てきており、あなたと共闘するニュースNジョイは主体思想派であることが明らかになった。

根田さん、あなたこれからどうします?自分の間違いを認めてクリスチャントゥデイに謝罪し、日本全国教会行脚でもしてあなたがJEAを利用して撒いたFAXを1枚1枚回収してニュースNジョイと協力した事実を牧師やクリスチャンらに謝罪して回りますか?自分のしてきたことをそろそろ客観的に振り返って見てください。自分の良心に照らし合わせてどうすれば神様の前に正しく映るか考えて見る時期が来たのではありませんか?

7.これを読んでるクリスチャンの皆さんへ

「でも、クリスチャンなのに根田さんがそんな酷いことをするとは考えられません。根田さんは私にこんないいことやあんないいことをしてくれました。根田さんがそんな悪いことをするとは信じられません。」

そうですね。それが人脈の力です。それが村社会の力であり、村八分の恐怖であり、「人から来る恐怖」でしょう。私はあの人を知っているが、この人は知らない。知っている人が言うことを聞いておこう。あの人は知名度があるし、多くの人が尊敬している。知っているあの人とこれまで築いた人間関係を犠牲にしてまでこの人との関係をスタートさせるのは損だ。この人とは関わらないようにしよう。この人の言うことは合ってるかもしれないし、正義を伝えてるかもしれないが、この人と私の間には人間関係がない。この人が死のうが生きようが私の得にもならないし、損にもならない。

それなら「私の知っているあの人と私の関係」を、「その人脈から私が将来得ることのできる利益」を守るために、「私の知らないこの人」が悪いと言われているから、死ねと言われているから、それが正しいかどうかは考えるのは止めて、死なせておこう。この人を犠牲にしても誰も何も私に言ってこないのだし、私の得になる人間関係を安泰に守っておこう。私の知ってるあの人はどうしてもこの人を殺そうとしているから、邪魔すると自分もあの人に殺されるかもしれないしね。

それも一つの選択でしょう。「行動をしない」ことも立派な意思決定ですし、あなたには自由意志があります。「こういう状況だからしょうがない」「これしか選択肢がない」のではなく、あなたが自分で「しない」と決めるのです。僕はその「選択」をどうこう言う立場にありませんし、尊重します。それでオリベットアッセンブリーやクリスチャントゥデイが安易に死ぬわけでもありませんから。

自分の命を惜しみ、これを保とうとする者はこれを失い、自分の命を憎みそれを失うものはこれを得る。命を与えたり失わせたりする最終的な意思決定者は、死んだ者すら蘇らせ、石からもアブラハムの子孫を起こすことがおできになります。

これを読んでいるあなたは今「人を恐れるのか、それとも神を畏れるのか。」を試されているのかもしれません。

2018年12月2日日曜日

異端審問

僕のTwitterのプロフィール文は以前Reporter of Christian Today でした。記者を辞めてからは単にChristianにしました。「自分は誰か?」「自己紹介するならどう紹介するか?」結局自分はクリスチャンだということ。これが言いたいのです。


国際基督教大学の第一男子寮にはいくつか伝統がありましたが、その一つに彼女ができた疑いが生じた寮生をソーシャルルーム(居間)の真ん中に立たせ、他の寮生が根掘り葉掘り馴れ初めの話を聞き出し、本当に恋人関係がしっかりしているのか、騙されただけではないのかなど聞き出す会、通称「異端審問」がありました。毎日ともに過ごす寮生活で実の兄弟よりも兄弟らしい親しい寮生同士の関係を彼女が奪っていくものだから寮の秩序を脅かすもの、寮の人間関係に対する裏切りのようなものという意味で面白おかしく異端と呼んでいたのかもしれません。


僕がイエス・キリストを自分の救い主として受け入れ喜んで寮に帰ってきたとき、あまりに上機嫌なので彼女ができたわけでもないのに「異端審問」にかけられました。寮生でもクリスチャンは数人しかおらず、ほとんどはノンクリスチャン。その親密さよりもっとイエス様と親密になったように見えたのか、次々にできたての僕の信仰を揺るがそうとする質問をされました。一つ一つ、ノンクリスチャンがキリスト教について抱く疑問や、僕がクリスチャンに今ならなくてもいい説などに対して弁論していきました。にわかクリスチャンですぐ棄教するのではないか。十字軍はどうなのか?僕がクリスチャンにならないように諦めさせようとしていろいろなことを言われましたが、その都度自分がなぜクリスチャンになったのか、言葉足らずにも説明しました。いくつ質問があったのか覚えていませんが夢中で答えていました。最終的に先輩たちが折れて「わかった。お前がそこまで信じるなら認めるよ。お前はクリスチャンだ。」と言われました。自分にとっては家族のように大事な寮の先輩、同輩、後輩たちに自分が得た救い、希望、喜びを証する「異端審問」になりました。


寮のみんなに自分をクリスチャンだと認めてもらったとき、本当に嬉しかったです。僕にとって大事な人たちが、自分にできた大事な信仰を、尊重し大事に扱ってくれたからです。この体験は僕の原体験となって今自分がクリスチャンであると名乗る原動力を与え続けています。


寮生のお遊びだった異端審問は一晩で終わりましたが、その後実際に始まった異端審問は14年継続し、まだ終わる気配を見せません。僕の人生のもうすぐ半分になるクリスチャン人生は2004年から2018年の今までずっと異端審問の人生でした。根田祥一氏を始めとする問題提起者らは僕をクリスチャンを装い、日本のすべてのクリスチャンを騙して自分をクリスチャンであるかのように見せかけようとしている「異端信徒」であると公言し、政治的根回しやキリスト教言論の濫用によって日本のあらゆる教団・教派に属するクリスチャンが僕を含めたクリスチャンの群れを、「クリスチャンとは認めない」ように画策し、活動しています。問題提起者は僕が公に名前を出してクリスチャンと名乗るのをどうしても潰そうとして、「あれは異端だ」と吹聴して回っています。


僕の答えは同じです。「僕は神様を信じず、むしろいないと思って神様に敵対する人生を歩んでいたにもかかわらず、神様は独り子であるイエス・キリストをこの世に使わしてくださり、イエス様は僕の罪のために十字架にかかって死んでくださり、三日目に復活され、神様の右の座につかれました。これを僕は受け入れ、救われた。だから僕は誰がなんと言おうがクリスチャンです。」


杖を持ち上げる、川に足を踏み込む、城の周りをぐるぐる回る、石5個拾ってそのうち1個投げる。。。人間にできることってそういうことですよね。けど神様がなんとかしてくれるって信じてできることをできるだけやった。僕はできるだけ書いて投稿する。神様が人の心に働きかけてくださることを信じて。

2018年11月19日月曜日

クリスチャントゥデイ、オリベット大学関連の報道について

昨今のキリスト教界のメディア動向に関して感じることがありましたので以下に書きたいと思います。クリスチャントゥデイと関係ないところもありますが、報道があまりにも無理やり関連付けている部分がありますので、情報を整理する必要もあると思いました。またアメリカで起きた出来事ですので、アメリカにいる私が見知った内容も皆さんの理解に役立つと思います。

1.ケン・スミス


日本でクリスチャントゥデイや東京ソフィア教会に対する中傷や嘘を書いていた牧師がいましたが、彼は日本語のブログと英語のブログでそれを書いていました。英語のブログを読んでアメリカでオリベット大学を批判するブログを書く人が出てきました。ケン・スミスという人です。オリベット大学が以前カリフォルニア州スコッツバレーというところで、大学のキャンパス用地を購入しようとしていたとき、その購入に反対していました。そのキャンパス用地はもともと廃校になったベタニー大学というキリスト教の大学のキャンパスで、ケン・スミスはベタニー大学の卒業生だったのです。自分の大学だった場所が経営難で他所に売却されるのが残念だったから反対したのもあります。

2.Tさんのお母さん


アメリカのニューヨークにTさんという名前のオリベットアッセンブリーの教会の教会員がいます。Tさんの家庭には、小さい子供がいます。Tさんのお母さんがオリベットアッセンブリーの教会について悪く書いているケン・スミスの英語のブログを見ました。日本ではすでに名誉毀損裁判があってクリスチャントゥデイは勝訴したためその英語ブログの内容は正しくないのですが、Tさんのお母さんは誤解をして教会を憎むようになりました。Tさんのお母さんは孫をTさんから取り上げて自分で育てようと思うようになり、そのために教会をどうにかして悪くしようとして、マンハッタン検察にケン・スミスの記事を持ち込み、教会やオリベット大学が悪いからなんとかして助けてくれと頼んでいました。

3.マンハッタン検察と映画監督


マンハッタン検察の主席検事はある映画監督の捜査を進めていました。その映画監督は何人もの女性にセクハラをした容疑で、彼女らが警察と検察に映画監督の罪を告発し、捜査を頼んでいたのでした。しかし、映画監督は大変お金持ちで有力な弁護士を雇って、弁護士が主席検事に高額の献金をこっそりしました。アメリカの主席検事は政府が任命するのではなく、選挙で選ばれる立場なので選ばれるためには高額の選挙資金が必要なのです。お金をもらった主任検事はセクハラ捜査を止めました。突然警察、検察から見放された女性の被害者たちは途方にくれました。ニューズウィークの記者は選挙権金と捜査停止の事実を突き止め、これを批判する報道をしました。「お金持ちなら犯罪をしても見逃されるのか?これが正義か?」という怒りが女性の権利を守る団体などを中心に起こり、大問題になりました。検察はニューズウィークをどうにかして黙らせることはできないか、調べ始めました。ニューズウィークの社長オリベットアッセンブリーの教会員でした。

4.借金と返済


ニューズウィークやオリベット大学は仕事で使う高額のコンピュータを買うために借金をしました。コンピュータが借金の担保になっていて返済をするまでコンピュータは借り物で、終わったら所有権が移るという契約です。財政的に厳しい状況があったのですが、毎月契約で決まった額を返済していました。あるときどうしてもお金が足りなくて返済が遅れた月がありました。債権返済などの訴訟は本来民事訴訟を通して行うものです。しかし、アメリカのローン会社は何年も時間がかかる民事より早く判決が出る刑事告訴を通して自分たちのお金を早く確保しようとしました。刑事告訴をするためには何らかの犯罪の疑いがなければいけません。ローン会社は借金の強制的な取り立てのためにもともと検察と人脈を作っており、検察に連絡をしました。これで主任検事、ローン会社、Tさんのお母さんの3者の利害が一致することになります。

5.被害者のいない犯罪?


マンハッタン検察はニューズウィークやオリベット大学がローン会社からお金をだまし取ったという筋書きで犯罪を立件しようとしましたが、借金の返済が終わりました。借金しておきながらお金を返さないで着服したのなら、それは大きな犯罪で、ローン会社は被害を受けた被害者になります。しかし、ローン会社は貸したお金を返してもらったのでもう利害がありません。被害も生じませんでした。困るのはすでに調査を始めたマンハッタン検察です。すでに何ヶ月も時間を使い、この捜査のために何人もの検事や職員の給料が税金から支払われています。税金や時間をそんなに使ったのに「犯罪はありませんでした。」と言ってしまうと検察の大失敗として批判を受けてしまいます。そこでマンハッタン検察は借金のするときに準備した財政の書類や、お金を送金するときの手順に不備があったことにして、これを資金洗浄(マネーロンダリング)の犯罪だと表現し、無理やり起訴することにしました。当然オリベット大学やニューズウィークはそんな犯罪はしていないと無罪を主張し、検察と裁判所で争うことになりました。これからは裁判所で罪があるのかないのか、互い証拠を出し合って弁論することになります。

6.日米の報道の差異―彼らが報じなかったこと


新聞の意図を把握するためには「何を報じているか」と同時に「何を報じなかったのか」も知る必要があります。キリスト新聞とクリスチャン新聞が報じなかった記事を見てみましょう。2018年10月19日付けのニューヨーク・タイムズの記事「The Challenge With Prosecuting Newsweek’s Former Owner for Fraud: There Were No Losses」 https://www.nytimes.com/2018/10/19/business/dealbook/newsweek-ibt-fraud.html は以下のくだりから始まります。” Can there be fraud if no money is lost?” 訳すと「もし損害が発生していないなら詐欺はありえるのだろうか?」ピーター・J・ヘニング記者は記事中に「詐欺は窃盗の一種であるが本件においてはローンは返済されており、罪に問われている企業が欺いたとされている銀行らは金銭的損害を被らなかった。これは検察に挑戦を提起するものとなる。詐欺事件における損害は犯罪の構成要素としてではなく、―そうではなく―陪審員にアピールするために重要だ。通常窃盗は被害者が金銭的もしくは物質的に損害を受けるものであるが、ある銀行が融資をして返済されたとして、それなら手続き上の誤表記は大きな懸案事項にはならないかもしれない。」

次にヘニング記者は本件の概要を説明し、これを2015年にマンハッタン検察がニューヨーク市内のチャイナタウンのある銀行を記載事項の不備を理由に詐欺で起訴したが無罪判決に終わった件と比較しました。同銀行は中国系移民の一家が創立し、中国系移民の住宅ローン関係の事業をしていた。さも大犯罪があるかのように起訴をしておきながら無罪に終わった検察当局はニューヨーク・タイムズの取材にコメントしなかったそうです。https://www.nytimes.com/2015/07/19/business/a-tiny-banks-surreal-trip-through-a-fraud-prosecution.html

奇しくもオリベット大学には福音主義的なキリスト教教育が著しく制限されている中国からの留学生が多く在籍しており、理事長のアンドリュー・リン氏も国籍はアメリカですが中国系です。裁判の結果次第では「白人の罪は甘く見逃し、アジア系は罪もないのに罪を仕立てる」のか?との批判すら受けかねない件でもあります。ニューヨーク・ポスト、ウォール・ストリート・ジャーナルなどの他紙も「被害者がいない」こと、映画監督と検察トップの癒着の顛末などに言及しています。


7.キリスト新聞とクリスチャン新聞の意図


これらの背景情報を日本の問題提起者である根田祥一氏や松谷信司氏はあなたに伝えましたか?彼らの引用した元記事を最初から最後まで読めば検証できることですが、英語で長文を読むのは時間と労力を要します。そういう簡単な事実検証ですら日本のクリスチャンにはできないだろうとたかをくくっているのでしょうか。日本のクリスチャンをコケにし、安易に騙されるバカのように扱っているように思えて怒りを禁じえません。


根田祥一氏本人の発言を紹介します:

Shoichi Konda クリスチャンのメディアリテラシーの低さです。カルト性見え見えの「偽キリストメディア」に騙される方々が、こんなにいるとは誤算でした。クリスチャン新聞の報道でCTの正体を知れば、一時は統一協会に騙されて協力する人も出たかつてのキリスト教界のように、すぐCTから離れるだろうと楽観していたのが誤算でした。Saturday, November 17, 2018 at 1:24 PM
https://www.facebook.com/groups/164434607693494/permalink/342636799873273/?comment_id=342913366512283&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R%2315%22%7D


このコメントで根田氏は日本のクリスチャンのメディア・リテラシーが低いと言っています。根田氏には「見え見え」ですが、根田氏以外のクリスチャンには見えないので、「騙され」た、という内容です。根田氏は自分を「盲人の案内人」だと「自任している」ように見えます。日本のクリスチャンは牧師だろうが神学者だろうが、根田氏の思想通りに考えないと根田氏に盲人扱いされるということです。(ローマ2:19-24) 


Shoichi Konda 残念でした。キリスト教会の多くでは、脱会した被害者たちの窮状を理解しています。日本基督教団の説明会には多くの教団教派のリーダーたちが出席し、事態を理解してそれぞれの教団に報告しました。NCCもJEAも理解しています。宣教師団体JEMAもペンテコステ協議会JPCも理解しています。多くの人に相手にされていないのはご自分であることに、まだお気づきになりませんか?Saturday, November 17, 2018 at 10:05 PM
https://www.facebook.com/groups/164434607693494/permalink/342636799873273/?comment_id=343115549825398&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R5%22%7D

このコメントや日本基督教団の議長名義で出された声明の経緯は根田祥一氏が常習的に行っている「既存のキリスト教界における権威(教権)に関わる少数に情報を持ち込むこと。密室会議を通して正規の意思決定プロセスを経ずに公文や声明を出させること。そして、声明などが出ると、客観的な第三者を装って自身の新聞でそれを報じること」をその他の団体でも行っていることを無意識に自白するものです。ハマンは時の権威であるアハシュエロス王に歪曲した情報を与え、「アハシュエロスの名で書かれ、王の指輪で印が押された」「書簡」を「すべての州へ送」って「モルデカイの民族を根絶やしに」しようとしたように(エステル3―12)、根田氏はオリベットアッセンブリーという教団を教団議長の名で書かれ、異端の烙印を押した声明をすべての教団送ることで、キリスト教界から根絶やしにしようとしています。


Shoichi Konda 宮村先生。聖書と礼拝に基盤を置いて編集会議を重ね、クリスチャントゥデイで有益な情報を提供してこられた、その取り組みは立派です。そのようにして生み出されたクリスチャントゥデイの記事も有益なものが沢山あります。そのことに何の異論もありません。ただ一点、知っていただきたいのは、キリスト教会全体を自分の配下に置くという野望を持った人物が背後にいて、先生のその熱意と努力が利用されているのだということです。私たちがクリスチャントゥデイを危険だと警鐘を鳴らしているのは、ただそれゆえであって、それ以下でも以上でもありません。サタンは光の天使に偽装できることを、先生はご存知のはずです。どうぞ目を覚ましてください。Saturday, November 17, 2018 at 1:19 PM
https://www.facebook.com/groups/746839178769904/permalink/1906818289438648/?comment_id=1906967702757040&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R1%22%7D


異端の烙印を押すことはキリスト教界的死を意味します。自分だけじゃなくて、自分の属している教団が異端教団になり、女子供みんな異端としてキリスト教社会から排除されます。自分の子が自分が死んだ後も異端の子と呼ばれ聖なる公同の教会の交わりの中で生きる未来を絶たれます。婚約は破棄となり、職場では阻害され、学校ではいじめられます。これが異端冤罪で生じる社会的損害のリスクです。根田氏の言うことに従ってもし異端冤罪だった場合、沢山のクリスチャンの人生を壊すことになりますが、その責任をあなたは取れますか?

Shoichi Konda はい、世界中のキリスト教会を守るために矢面に立っている地球防衛隊でありまっす。これ本気!  Saturday, November 17, 2018 at 5:35 AM
https://www.facebook.com/groups/164434607693494/permalink/342621093208177/?comment_id=342642643206022&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R%2311%22%7D

心理学の用語に投影という言葉があります。誰かを批判する人は自分の悪い面を鏡のように相手の姿に投影して批判するものだということです。根田氏は自分を「世界中のキリスト教会を守る」者としていますが、これは言い換えれば「根田氏の異端説に従うように」「キリスト教会全体を自分の配下に置くという」ことです。根田氏は安易にも張牧師を裁きましたが、根田氏が「さばくとおりに」自分がすでに裁かれているのではないでしょうか?(マタイ7:1-2)

クリスチャントゥデイの働きを評価するとき思い出してほしいのは「もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」(使徒5:39)の言葉です。根田氏の言説を聞いてもあなたが神様がおられることを信じるなら、「もしかすれば」と一呼吸おいて見てください。



2018年6月15日金曜日

張在亨牧師と70年代の韓国のキリスト教界

  1970年台当時の韓国の「反共の」キリスト教界で起きた事象は現代の日本とは時代が違い、場所が違い、文化も違う「文脈」で起きた事象なのです。靴を履いてアスファルトで舗装された道を歩き、砂嵐もない現代の日本に生きる人が、イエス様が弟子の足を洗う場面を理解するときに、サンダルを履いて歩いて外から家に入るときには洗わないといけないくらい足が砂だらけになる2000年前の中東の「文脈」を一旦頭に入れないと理解が難しくなります。これと同じように、1970年台の「反共の」韓国キリスト教界の事象は「意外と」理解するのが難しいということを忘れてしまうと、安易に「現代の日本のキリスト教界が現代の日本の統一協会について持っている常識というバイアス」のかかった判断を、バイアスに無意識に、「自分にはバイアスがない状態で見ているという思い込みを持った状態で」してしまって「違和感」を感じることもあるでしょう。もし僕が言ったことに違和感があればそれも違和感の原因の一つかもしれません。 

 また、誤解を持たれるとかもしれないのでいいますが、だからといって僕が「日本のキリスト教界が現代の日本の統一協会について持っている常識は間違っている」と言っているわけではありません。僕は「その常識」は正しいと思っています。しかし、僕が言っているのは「その常識」が1970年台の反共の韓国キリスト教界と統一協会の関係に「そのまま」「全部」当てはまるかと言うと、そのままは当てはまらない事象や、一部分しか当てはまらない事象があるということです。 

 なので何度も前置きしますが、1970年台の韓国の反共のキリスト者らと統一協会の間で起きた事象を扱うときはどんな事象を扱うときも過去日本、現在日本、過去韓国、現在韓国の4通りの場合分けを意識して考えることが重要だと思います。過去の韓国のキリスト教界と統一協会の関係に関する事象を、「現在の日本ではこのように解釈するのが当たり前」「過去の日本ではこう解釈するのが当たり前」「現在の韓国ではこう解釈するのがあたり前」という視点で「うっかり」見てしまうと、「あり得ない、普通じゃない、理解できない、変だ、受け入れられない」ことが出てくるのは当然だと思います。 

 World Wide Webがはじまったのが1990年です。インターネットで検索して出てくる資料は90年以降に書かれたものが大部分でしょう。1970年台の韓国キリスト教界の状況を見るとき、文献を当たるにもデジタル化の壁、時代の壁、言語の壁、国家の壁があります。私達現代日本に生きるクリスチャンがこの問題を論じるにはデジタル化される前の、1970年台に韓国という場所で韓国語という言語で書かれた本、雑誌、教会発行の小冊子、セミナーのプログラム表、会議の議事録などを手に入れる必要があり、韓国語ができる日本人はそのまま読めますが、韓国語ができない日本人は誰かに翻訳を依頼しなければいけません。翻訳するにもデジタルのテキスト形式でないものは一旦ハングルにタイピングするか、Optical Character Recognition (OCR/光学文字認識)ソフトウェアを通してテキストデータにしてから機械翻訳にかける必要があります。

 これがこの問題で重要となってくる一次資料の収集と解析です。韓国語でウェブ検索をすると、1970年台の1次資料の写真を取ってPDF化したものを教会、教団、神学校、出版社などのウェブサイト上や掲示板にアップロードしたものを見つけることができます。ウェブで韓国のクリスチャンに頼らずやれるのはこれが限界でしょう。韓国のクリスチャンで協力してくれる人がいる場合はもっと調査範囲と収集可能な資料の幅が広がります。韓国の70年台の印刷物をウェブ上にないものの写真を取って、PDF化したり、テキスト化して日本にいる私達に送ってもらうことも可能です。そしてその上で70年台、韓国のキリスト教界で共産主義と実際に戦った牧師、信徒、学生らにインタビューすることも1次資料を集める上で重要な作業となります。インタビューは韓国語ができれば直接韓国語ですればいでしょうが、韓国語ができない人は通訳を依頼しなければいけません。 

 僕は記者としてこれらのことをやって、韓国語も学んで、1次資料を集め、翻訳し、解析し、判断材料にしてきました。それでも1970年台の韓国の反共のキリスト者の置かれた「文脈」を完全に理解したとは言えません。生まれてもない時代でしたし、その場にいなかったのですから。しかしある程度は理解したつもりです。だからといって僕が言っていることを鵜呑みにしてくださいと言っているわけでもありません。僕が言っていることはそういう1次資料に基づいているので疑義を呈する場合は反証となる1次資料があると良いということです。僕がなぜこのような方法での資料収集をするようになったのかの背景は以下のようなものです。 

 僕は国際基督教大学に2003年に入学し、2004年7月1日にクリスチャンになり、部活を辞めて2005年からクリスチャントゥデイの記者をやるようになりました。2005年にはすでに「CTは統一協会だ」という明らかな虚偽を問題提起者が噂として流布していました。問題提起者の主張が間違っており、風評被害によって迷惑しているのでこれを止めてもらうよう問題提起者らと会談を持ったこともあります。その会談に第三者として当時日本脱カルト協会理事、日本キリスト教協議会書記、日本福音ルーテル教会三鷹教会牧師で、統一協会の専門家として知られていた平岡正幸先生が参加されていました。平岡先生の牧会されていた三鷹教会はICUの敷地のすぐ横のルーテル神学校に併設された教会で大学から歩いていつでも行ける教会でもあり、この問題について意見を聞かせていただくために何度か訪問して話をしました。 

 会談の感想として平岡先生は以下のようにおっしゃいました。

「カルトかどうかは慎重にしないといけない。私は今のところ判断を保留する。会談に立ち会って。山谷さんの論陣は韓国側の資料にあるが、実際の資料を提示して話をしなければいけないと思った。お互い資料不足だったと思う。張氏が統一協会の信仰を持っていたかどうかが、最初の議論だった。それを含めて議論は全部が平行線だった。統一協会側の資料が、統一協会だから信用できないと言うことと、統一協会側の資料だから信用できると言うことで平行している。どちらも討論であって、資料によって明確化していけばいいと思う。議論の内容が大切だと思う。私が立ち会ったのは議論の内容を吟味しようと思ったから。CT側の主張では張先生がそう(統一協会の信仰を持っていなかった)言ったことだからとあるが、証明にならないところがある。もっと互いに資料を出し合うべきだと思う。もう一度討議するときがあれば、行く用意がある。会談全体に関してはそういう印象を持った。脱会者と似ているかどうか。統一協会の信者たちとずいぶん話をしてきたが、やっぱり確実な資料に基づいて進めていかないと、お互い(の主張の正当性を)認めることはできない。統一協会の資料は正しいものも、間違ったものもあると思う。吟味することが大切である。」

 「私は今はクリスチャントゥデイが統一協会系(別働隊もしくは外郭団体)だとは思ってない。2004年の春に新聞を発行したときは、そう思われた理由が会った。社説が、第一号で非常にファンダメンタルな感じで、ブッシュ大統領のような立場だった。そういう立場もアメリカにはある。クリスチャントゥデイの持っている立場としては強烈に統一協会を批判する立場だった。そのキャンペーンの張り方が通常ではなかった。それはやはり、過去に張先生が、疑惑をもたれていたので払拭したいという気持ちが強かったと思う。そういう形での払拭ではなく、資料としてしっかり提出しないといけないと思う。(クリスチャントゥデイには)そういうことが求められていると思う。」

 こういうわけで、1970年台の韓国の反共のキリスト者についての資料に基づいた議論をやっていく必要性が生じたということです。そして僕が1次資料にこだわる理由についてですが、日本で手に入る2次資料はネットで手に入るものでも、デジタル化されていないものでも、1970年台の韓国で起きた事象について、過去日本、現在日本、現在韓国の視点から書かれたもの、そして統一協会が信者を統制するために都合よく解釈し、脚色し、事実の取捨選択をした「統一協会の歴史認識」を事実検証することなく鵜呑みにした視点から書かれたもので溢れているからです。1970年台の韓国の資料や証言で、「執筆年代が80年台でもなく、90年台でもなく、70年台であり、執筆者が統一協会の信者でなく、当時その場にキリスト者としていた人である資料や証言」に当たることがバイアスを極力排除して当時の状況を「違和感なく」理解する上で助かりました。 

 統一協会が現在公式的に出している統一協会の歴史は、統一協会が彼らの「歴史認識」に都合良く脚色したものです。その歴史認識は「統一協会は最初から統一協会だった」というものです。統一協会としてはそうあってもらわないと困るのでしょう。韓国という国の成立の貢献度を独立運動の闘士のみに起因させ、日本の植民地政策が果たした学校設立、インフラの整備などの貢献度があたかも全く無く、全部韓国人が自力でやったかのようにする歴史認識と同じようなものです。韓国の特定の人には日本が学校作ったよとか言う人は都合が悪いのと同じように、最初期の統一協会はキリスト教から派生した一種の運動であり、多くのクリスチャンが参加していたなどとう言説、つまり反共のキリスト者の歴史認識は「過去現在の日本のキリスト者の統一協会に関する常識」から見るとおかしいこともあるでしょう。

 前置きがものすごく長くなって申し訳ないのですが、この問題に向き合うときに必要なことだと思います。これらを踏まえてですが、1970年台前後の韓国キリスト教界と統一協会の関わりを、つまり張在亨牧師が当時置かれた「文脈」を、「統一協会から見た視点」ではなく、「日本のキリスト者からみた視点」でもなく、「韓国のキリスト者から見た視点」で書かれた出来事の記録とその解釈や評価について読んで見る必要があると思います。

 知っておられる方々もいらっしゃるかと思いますが、韓国に韓国基督教歴史研究所という学術研究機関があります。1990年と91年に日韓のキリスト教の歴史のセミナーを東京とソウルで開催したり、教文館から「韓国キリスト教の受難と抵抗 -韓国キリスト教史1919-45年」と題した書籍が翻訳されて出版されていたり(https://www.kyobunkwan.co.jp/xbook/archives/13881)、富坂キリスト教センターの「日韓キリスト教関係史」研究会に参加する所員がいたり(http://www.ceam.asia/tcc/protcc.html)しますので、キリスト教の研究機関だと見てよいでしょう。この研究所が1991年7月から発行している学術誌で「韓国のキリスト教と歴史」という学術誌があります(http://www.ikch.org/site/journal/journal_info/)が、2004年3月に発行された第20号に収録された論文に湖南神学大学校(大韓イエス教長老会統合教団の神学校)の李進龜(イ・ジング)教授が執筆した「統一教会のクリスチャン認定闘争と宗教統一談論」という論文があります(https://www.dbpia.co.kr/journal/articleDetail?nodeId=NODE01093042)。李進龜氏は、湖南神学大学校神学部神学科の招聘教授教授で(http://en.htus.ac.kr/menu04/profile-visiting-ljg.htm)、日本でも「越境する日韓宗教文化 ― 韓国の日系新宗教 日本の韓流キリスト教」の第八章 統一教会の日本宣教――日韓比較の視座――の執筆も担当しています(https://www.ajup-net.com/bd/isbn978-4-8329-6757-1.html)。

 論文が長いので全部読むのは大変だという方のために一部引用します。機械翻訳をしたもので、日本語表現がおかしくなっているところは修正しました。(修正しきれていない点もあるかもしれませんので、ご指摘ください。)丸括弧は僕の補足です。

――― 

(韓国)国内のキリスト教界は統一教会の任意の認識と態度を示した。キリスト教界が統一教会の存在を意識して警戒態勢を持つの決定的な契機を提供したのは、いわゆる「連帯事件」と「梨大事件」である。1955年に起きたこの事件は、当時の代表的なキリスト教系大学であった延世大学校と梨花女子大学の一部の教授と学生が統一教会に入信した事実が明らかになり、世人の注目を浴びた。学校当局は入校した教授と学生に統一教会から脱退することを勧めたが、これら従わなかった者らすべてを罷免し退学させる強硬措置を取った。22) 

 この事件の後プロテスタント教界は統一教会を既成教会を混乱させ、教会の基盤を侵食する「ガン的存在」と断定し、信者と教会の「保護」 の次元で警戒態勢を強化した。各教団は総会の次元で統一教会を「キリスト教を装った疑似宗教集団」と決意して、大規模な統一教反対キャンペーンを展開した。そして、このような運動をより効果的に展開するために「統一教会の汎教団の指導者協議会」、「文鮮明集団の韓国教会対策委員会」、「統一教会の韓国キリスト教対策協議会」のような汎教団的機構を創設した。 

 プロテスタント教界が取ったより具体的な措置としては、統一教会の「危険性」を信者に知らせる各種声明の頒布、統一教会関連雑誌や新聞への投稿を禁止、統一教会傘下企業の物品に対する不買運動、23) 統一教会に関連する、キリスト教の人たちの徹底捜索や懲戒などがある。このように、プロテスタント陣営統一教会を「要注意集団」とみなして一般社会とキリスト教から統一教を徹底的に孤立させる「ゲットー化」 戦略を使用するか、統一教会を「不可触集団」(untouchable)と規定する排除の戦略を駆使した。 

 一方、このような攻勢的な態度とは異なり、統一教の教義と世界観を「理解」の次元でアプローチする試みもあった。1968年クリスチャンアカデミー主催で開かれた対話集会が代表的な例である。統一教会を「学ぶ」の次元で始まったこの集まりには神学者30人、一般知識10人、 そして統一教の指導級人事10人余りが参加した。24) この席には統一教の教主文鮮明この直接参加し統一教会の理論的参謀の役割をしていた劉孝元が「原理講論」の内容を紹介する問題提起講演を行った。そして、その講演内容の参加者からの質問と統一教会側の回答に集まりが行われたが、当時のマスコミはこの集まりにかなりの関心を見せた。25) 

 その後も統一教会の公開的な議論の場、しばしば用意された。1969年と 1970年にそれぞれ開催された延世大学校神学大学院主催の神学公開講座26)とソウル大文理科大學の學林祭の行事の一環として、行われた公開討論会27)が代表的な例である。これらの公論の場で発表の機会を持った延世大学校の神学者だった徐南洞教授は「原理講論」について、かなり肯定的な評価を下した。 

 確かに原理講論は今までの韓国の神学界が産出した、神学書の中でその量においても、組織力においても、独創性においても、最高のものとして認められるにふさわしいものである。それだけではなく、原理講論は韓国的神学を志向している点においても独特で、その他の試みと提案に挑戦していて、世界の教会の新しい気流と「新しさ」に対する希望が他を抜きん出ている点などは、注視と研究の対象になりうる。28) 

  要するに「原理講論」は、その神学体系の膨大と組織力、想像力と独創性だけではなく、韓国的神学を目指して、さらに世界の教会の流れとも脈を同じくする新しい神学書という非常に肯定的な評価であった。 

 もちろん徐南洞教授が統一教会に賞賛だけをしたのではない。彼の論文では統一教の弱点と問題点についても細かく指摘している。彼の行なった統一教会批判の要旨は、① 神数理存在と見て、歴史を数理の調和として見ること、②「神の旨成就」で、神の責任分担を95%、人間の責任分担を5%と規定した点、 ③聖書の歴史批評の不在と黙示文学の過度強調、④領地主義的霊肉二元論⑤人類の歴史を6千年に見る非科学性⑥教会の更新と共産主義撲滅に重点を置いて韓国社会の不正と腐敗に無関心な点⑦だれか具体的な個人を指導者にする危険性などであった。彼の統一教会批判の核心は、その論文の結論部にある。 

  すでに心ある人らが、「教会の更新」という執達吏の張り紙を付け、「神の派遣」に出ようとする庭で、原理講論は再び聖フランシスが山の麓に立つ崩れゆくカテドラルの隣を通るとき受けた啓示の言葉をこだましている。「この教会を新たにせよ」29) 

  結局、このコメントは、現代神学が「教会の更新」の次元を越えて「世界の更新」という、より大きな課題に向かって進んでいるが、統一教会はまだ「教会の更新」という旧時代の課題にとどまっていることを風刺したものである。 

 このように徐南洞は統一教会の教義が持つ弱点と利点を一緒に認める態度を見せたが、大多数の神学者は統一教会の批判一辺倒の態度を取った。特にハンチョルハ教授は徐南洞教授が統一教会を過大評価していると批判し、統一教は現代神学のパラダイムとは無関係だけでなく、「セックスモチーフ」を持った神秘主義的「偶発宗教」に過ぎないと酷評した。30) 

 神学者イジョンソンも統一教会の「原理講論」は、「東洋の二元論を骨格に、聖書のメッセージを買う塊にして建てられた混合宗教の殿堂であり、統一教はキリスト教との距離が遠い一つの土俗宗教運動」と規定した。31)したがって統一教会が一つの「宗教運動」を展開することは、彼らの自由だが、その運動を「クリスチャン会議した運動」というのは「言語道断」であり、容認できないと攻撃した。同氏によると、統一協会の教義は、「非聖書」で「非キリスト教的」であり、統一教は 「クリスチャンの名前を口実にした疑似宗派"に過ぎない。32) 

 一方、第2バチカン公会議の後、他の宗教に対して開放的な態度を取りながら、宗教間の対話を強調してきローマ教皇庁も統一教会に対してだけ断固たる反対の態度を取った。教皇庁は、統一教会が営利事業、教主の脱税、信者募集での洗脳工作を行う「問題の集団」であり、「キリスト教を装った非キリスト教的集団」と規定した。 それとともにカトリック信者が統一教会に惑わされたり利用されないことをお勧めしている。33) 

 このようにカトリックとプロテスタント、保守神学、進歩神学を問わず、クリスチャン陣営全体が統一教の強力な批判的言説と反対運動を展開し、新生宗教集団の位置にあった統一教は生存戦略の次元で「認定闘争」を展開することになる。 

Ⅳ. 統一教会のキリスト教認定闘争 

 統一教会のキリスト教陣営の批判と攻撃は、「統一教会は、キリスト教ではない」という一つの命題に圧縮することができる。統一教は階層 文鮮明を 「再臨主」で偶像化する 「疑似宗教集団」であり、いくつかの宗教の要素を恣意的に組み合わせて作られた「混合宗教」であり、本格的な教義から外れ「異端」で、「血分け」と「ホンウム」を行なう「カルト」という非難と断罪はすべてこの命題を軸にして旋回している。つまり疑似宗教、 混合宗教、異端、詐教などの否定的な用語はすべて、この命題を強化させる強力な言説的効果を発揮している。 

 クリスチャン陣営によるこれらの「統一教会の非キリスト教化」(Dechristinization of Unification Church)の談話について、統一教会陣営は「統一教会のキリスト教化」(Christinization of Unification Church)談話で対抗した。 

――― 

 ここまで引用します。この続きには統一協会がどのような理論や言説でキリスト教認定闘争を行い、それに失敗し、キリスト教であることを諦め、異教・他宗教として自己規定をしていったのかの過程が叙述されています。張牧師が統一協会でキリスト教の福音を伝えていたころ、キリスト教を刷新する運動体という意味で、「統一協会は、キリスト教である」という認識を持ち、元々キリスト教の教会に通っていた人たちが統一協会の中で張在亨牧師の伝える福音、正統なキリスト教の教義を聞いたとして、「この過去の韓国の文脈」では、統一協会への攻撃だと認識することはないのです。 

 これをキリスト教の牧師先生が現在の日本や現在の韓国で統一協会に乗り込んでキリスト教の福音を述べ伝えたら統一協会への攻撃だと認識されるでしょう。現在統一協会はキリスト教ではない異教だと自己規定しているのですから。ただ、そう自己規定するようになったのも過程があり、その前の段階もあったという歴史的背景を知る必要があると思います。