2008年7月26日土曜日

発端は「操作と洗脳」だったのか ―YD側「偽証を確認する証拠がある」

韓国クリスチャントゥデイが韓国基督教総連合会に関する記事を掲載しました。以下に記事、『発端は「操作と洗脳」だったのか ―YD側「偽証を確認する証拠がある」』の翻訳文を掲載します。原文は『중국 예청에 대한 이단날조 음모, 서서히 드러나기 시작』です。

発端は「操作と洗脳」だったのか ―YD側「偽証を確認する証拠がある」

最近香港で中国YDに対して疑惑を提起してきたダニエル・オ氏などが韓国基督教総連合会異端対策委員会所属の牧会者らの非公式訪問を受け、今まで提起してきた主張に関する証拠を提示したが、これが既にあった無根拠の疑惑に関して再び言及する程度のものであったことがわかった。本紙が現地に直接訪問し取材した結果、かえって疑惑を提起する人物らが証拠を操作したり、証人を懐柔して自分たちに都合の良い作為的な内容を証言させようと画策したりした証拠や証言が次々と現れ衝撃を与えている。

韓国基督教総連合会異端対策委員会の崔三更牧師、パクヒョンテク牧師、ジン・ヨンシク牧師は7月8日から10日の期間、香港を訪問してダニエルお弁護士及び新興宗教関心グループの楊子聰氏などと中国YD代表などに会い双方の主張を聞いた。また、張在亨牧師が以前総会長を勤めていた大韓イエス教長老会合同福音の総務であるチョ・テヨン牧師(韓国キリスト教異端対策委員)の見解も聞いた。

ダニエル・オのチーム、同様の主張を繰り返すも証人がYD会員だったという証拠を提示できず

ダニエル・オなどはこの場で再び中国YDが本紙の設立者である張在享牧師を再臨主として教えているという主張を繰り返し、証拠及び証人らのインタービューを提示したが、証拠として提示した文章が実際YDの教材であったのかどうか、証人と呼ばれている人物らが実際にYDの会員であったのどうかを示す証拠は相変わらず提示できなかった。一方、中国のYD代表らは自分たちがイエス・キリストを救い主として告白していて、特定の人を再臨主として信じていないと証言した。また、イエス・キリストの他の福音を伝えるのならば異端であると強調した。

また、ダニエル・オ弁護士は証言者らの証言を公証して韓国に送ると3人の牧師に言ったが、YD側は「たとえ偽証を交渉して送ったとしてもそれを完璧に覆す証拠が10倍100倍はある」と反駁した。

一方、本紙が現地で調査をした結果、YDに疑惑を提起してきた人物が証拠に操作を加えたり、証人にYDに対する不安や反感を抱かせて事前に作成された虚偽を発言するように仕向けたりなどの卑劣な行動が次々と現れた。自分はYDの会員だったと言いながら異端的な教えが入った講義案をYDの講義案だと主張したA 氏の場合、A氏はその講義を直接聞いてはおらず、メールで受け取ったと明かし、調査結果メールの発信元は楊子聰氏であることがわかった。また、数人から楊子聰氏が自分たちに会いに来て懐柔を試みたという証言もあった。

本紙は中国YDに対する疑惑を提起する人たちの立場をより詳しく聞くためにダニエル・オ弁護士と楊子聰氏、ラ・ソギ氏などにインタービューを要請したが三人ともインタービューを避けた。特に楊子聰氏の場合ははじめにはインタービュー要請を受け入れ、メールを通して質問を送ってほしいという返事があったが、メールを受け取った後に質問が理解しにくい、納得がいかないという理由で取材の約束を破った。

YD、行動調査団構成を提案―真実究明に自信を見せる

今回個人として香港を訪問した崔三更牧師などは中国YDの代表に会い3時間にわたる対話において「真実究明のためにダニエル・オのチームを告訴したほうが良い」と助言した。

これに韓国YDの金デギ総務(韓国基督教総連合会青年大学生委員会専門委員)は「これからはダニエル・オチームに対する法的手続きに入り、双方の証言の事実が検証されて真偽が明らかになるので、この事案を韓国やほかの地域が利用する理由がなく、さらに韓国が中国で起こる問題に介入するのは道理にかなってない」という意見を表した。

金デギ総務はダニエル・オなどに対して「証言者がYD所属だったという証拠だけでも出せばいいのに、どうしてその証拠を出せないのかが疑問」と述べ「YDがイエスを信じないで、十字架を否認し、大学の教授である張在享牧師を再臨主として信じるというシナリオはコメディだ」と断言した。現在、YDは今回のダニエル・オなどに対して、すでに彼らの主張が偽証であることを確認できる決定的証拠を持っていると言っており、両方で共同調査団を構成して総合的に公証して結論を出そうという自信に満ちている立場である。

本紙に対する妨害を画策する人物ら、香港に集結して議論をかく乱

今回韓国基督教総連合会異端対策委員会のメンバーによる香港訪問は非公式のものであったにもかかわらず、本紙と本紙の海外支社などに対する妨害を意図するグループを集めて混乱を引き起こした。相互に緊密に連絡し、組織的に本紙に対して妨害を画策してきた韓国のNews&Joy、北米の christiantoday.us(当社とは異なる会社)、豪州のクリスチャンレビューなどの関係者らは韓国の異端対策委員会に詰め寄って証拠を手に入れるために執拗に働きかけたが結果はなかった。

彼らは特に韓国基督教総連合会が張在享牧師に対して異例の2回にわたる集中的な調査を行なった後、統一協会とは関連する嫌疑が見つからなかったとの宣言をもって終結した事案を論難するために力を入れてきた。韓国基督教総連合会は2004年7月当時「韓国基督教総連合会異端対策委員会調査結果確認回診」という公文を通して「異端似非対策委員会が張在享牧師の問題を調査した結果現在統一教会といかなる関係もないことを確認した」と明かした。この公文は当時ギル・ジャヨン代表会長と異端似非対策委員長オ・ソンファン牧師の名義で出された。

しかし、この公文が発表されて後、パクヒョンテク牧師がこの発表に対して不満を表明して再調査を要請し、張在享牧師はすべての疑惑を解消するためにこれを受け入れた。張在享牧師は本人が直接韓国基督教総連合会に対して再調査を要請し、韓国基督教総連合会は1年にわたる再調査に入った。この調査の後、2005年9月に韓国基督教総連合会は1次調査と同一の結果を発表し「今までの調査に協力してくださった貴教団と張在亨牧師の奉仕に神様の祝福がありますように」と述べている。この構文は「韓国基督教総連合会はこの調査結果の報告を受けて終結処理した」と明記しており、チェ・ソンギュ代表会長と朴チョンイル総務の名義で出された。

この事件は当事者が再調査を要請したことによって、二度にわたる調査がなされた後、完璧に終結処理された事案だった。

この過程で3人によって構成される再調査委員が提出した「張在亨牧師統一教会関連問題再調査に関する報告」は各種の疑惑を提起しているが、根拠が貧弱であるという理由で韓国基督教総連合会の委員会で否決され、廃棄された。韓国基督教総連合会の1、2次の調査により完全に終結したこの事案に対して、韓国基督教総連合会の中で採択されずに3年前に廃棄された文章をもっていかにも正当性があるかのように論じる行為は言論として到底ありえない歪曲された報道行為である。

また、米クリスチャントゥデイ(christiantoday.us)編集長のソ・インシル氏は、YDが「信仰と家庭運動(Faith & Family Movement)」の一貫としてなされる聖婚礼拝に関してこれが統一教会の合同結婚式と類似しているという事実に反した捏造まで行なった。YDは聖婚礼拝に関して「信仰者の家庭が家庭から敬虔さを回復しようという趣旨で捧げる礼拝であり結婚式とは関係がない」と趣旨を説明している。YD代表らは韓国基督教総連合会異端対策委員会の調査で聖婚礼拝に関して誇らしく説明したがソ氏はこれを「YD代表が強く否認していたが最後には認めた」と表現を操作して悪印象を意図的に与えようとする虚偽の報道を行なった。

そのほか本紙が牧師らを本人からの同意も得ずに編集顧問に登用したとすら報道している。しかし、本紙には一部のメディア報道に取り上げられた編集顧問らの就任承諾書がある。

教界では、本紙の競争紙が証拠も出さずに風評を流布する背景が「キリスト教言論市場を取り巻いた葛藤」として解釈されており、「最後まで屈することなく、真実を明らかにすること」が進められている。

2008年7月10日木曜日

実録 教団紛争史 第7章 クーデターと教師検定

日本基督教団常議員

福音主義教会連合常任委員

 小林貞夫

1. 教団のねじれ
 圧倒的な暴力で、議場と言論を制圧した問題提起者は、次々と教団、教区、教会、関係諸団体、大学等を混乱させ屈伏させていった。
 特に教団執行部は彼らの主目標であったが、これをたたくことは一日で出来てしまったと言えるだろう。従って、1969年以降の三役たちは、造反者におもねるかの如き態度に終始した。何を行うにも、造反者の意向が先行した。戸田伊助教団議長の議場指揮では、議場で造反者に伺うような発言が度々あった。
 ところで、戸田議長になっても、常議員会や常設委員会は、以前の第15総会で選出された人がそのままだった。これらの人びとは、教団を代表するにふさわしい人々だった。常議員の中で、問題提起者への完全な同調者は、27人中3人だけであった。
 三役は造反だが、常議員会、常設委員会は全く違うという構図、いわゆるねじれ現象を呈していたことになる。
 第3章で示した九・一、二からの100日の表も、第5章で示した総会開催のための常議員会の表も、この原点を外して読むと理解出来にくい。
 1968年に選出された常議員会は形としては1974年まで続くことになってしまった。もっとも、後半期には、常議員会の凍結が論じられたり、辞任の申し出があったりで、殆んど機能しなかったが。常任常議員会は、嵐にさらされながらも、この期間は教規第37条の通りに運営され、教団をかろうじて支えるという役割を果した。
 島村亀鶴と大村勇、北森嘉蔵、森里忠生、長谷川保、秋山憲兄、小川清司の7名と三役とで構成されていたが、この顔ぶれでは、三役が造反に組しても、それが過半数にならなかった。
 そこで戸田議長は、常任常議員会を凍結した。

2. 教師検定でのクーデター
 常議員会と常任常議員会を凍結した戸田議長は、独断で教団を運営する形となった。この独断とは、造反派の主張に従うと同義であった。
 常議員会の責任である教師検定試験の実施や、COCにおける関係学校やキリスト教社会事業同盟との友好を放棄してしまった。
 第4章で、教団は会議制、信仰、伝道において崩壊したことを示した。が、ここでは形態としても崩壊し始めたことを示している。造反派から見ると、意気上る勝利であった。会議があったら暴れればよい。正論が主張され始めたらやじればよい。信仰の確かな人には暴力を加えてもかまわない。そうすれば思いが実現したのである。
 造反は目標を教団の崩壊に向けた。そのためには教師制度を破壊する必要があり、手始めに教師検定試験を破壊することを目指した。
 毎年50名を越える新しい教師が生まれることが、日本基督教団の当然であった。戦後二五年、神学大学など養成機関も、検定する教団も、受け入れる教会も、そう信じて疑わなかった。
 造反側はそこを徹底的に攻めることで、一つ一つ壊していった。勿論、抵抗があった。教会を守るというのは、教職にも信徒にも、信仰の基本を守ることになっていたので。
 ただ現実に教師が生まれてこないのは、大多数の教会、信徒にとって困ったことであった。何としても、という思いは共通であり、教師を生み出す必要のために、譲歩と妥協が重なった。
 いわゆる二重基準は、明らかな教憲違反であった。その経過については表として示したい。この経過も、クーデターだと理解すべきである。

3. 人事でのクーデター
 第18回教団総会(後述)では、議長以下の全役員の選出を行った。この時選ばれた常議員は次の通りであった。
 笠原金吾・菅原誠一・岸本羊一・入江清弘・辻宣道・小島一郎・山田守・大宮博・後宮俊夫・平山武秀・大塩清之助・鷲山林蔵・井上良彦・佐伯洋一郎・大島孝一・川端純四郎・深谷松男・浅野直人・橋本栄一・桐沢貞子・西原基一郎・貴田陽一・岡田正勝・兼松稔・尾崎政明・昆昇・遠藤修司。
 前回までの27名と一人も重なっていない。三役を含めて30名で構成する常議員会が、経験者を一人も持たなかったことになる。東京憎しや、経験者たちのやっていられないという気持ちを加味して分析しても、これも明らかにクーデターであった。文字通り教団革命であった。造反の次なる勝利でもあった。
 機関に選出された新人委員会が、すぐに相応の見解を示すことはむずかしいものであり、そっくり新人などということは、前例も、そして多分、後例もないだろう。教団は敗戦の前後でも、そうはしなかった。
 不慣れな常議員会が、造反派に圧倒されていった様を、花房譲次総幹事はこう言う。
「私はなぜ総幹事をやめたか。第18回教団総会で選ばれた常議員の顔ぶれを見て、これでまあまあやれると思った。これでなんとかいける、と思った。しかし一回二回と常議員会が開かれると、私の判断は甘かったということが分かった。討議され、いざ議決となると造反派の勝利となってしまう。なぜか。常議員の内訳は、3名のはっきりした造反、3名の福音派、三役を除いて21名は中間派であった。たしかにまわりでは造反派の人がいて叫んでいた。しかしそれにしてもおかしい。…」
 1972年から1974年まで総幹事だった花房譲次の、それにしてもおかしい、という痛哭の思いは、当時の生の事情を示している。
 ただその後の経過を見ると、常議員の半数は造反と造反派だったことになる。これは花房総幹事の見落としであった。

教師検定試験経過
月/日 主な事項 メモ
1969
10/6 検定試験中止(乱入者による妨害) 菅澤邦明らが、試験会場に乱入。答案用紙を破るなど、30分で中止になる。
1970
4/30 試験再開を公告 教団・教区の会議は困乱し続ける中で。
10/6・7 試験を延期。教師検定委員会全員辞任 小川貞昭委員長以下7名辞任。
1971
4/22 第29回常任常議員会で辞任を受理。7名の新委員を決定 小川貞昭委員長以下7名辞任。常議員の中より、菊池、大村、島村、柏井、宮崎、土岐、船本の7氏、後に松本、田中
7/3 検定委員会が「実施にあたっての見解」発表 「教師を生み出すことは、一刻も待てない」という主旨。
10/20・22 分散試験、面接試験によって、70年度分の試験を終了 集合して実施すれば、また、破壊されてしまうので。
11/25 71年度分試験も、レポートによる試験を加えて、同じ方式で終了 多くの反対見解が出されている中で、3年にわたって教師は生まれていなかった。
12/13 第37回常任常議員会で、書面決議。70・71年度分の合格者(84名) 常議員に手紙による承認かどうか、を問い、それによっての承認。
1972
1/1 春季試験公告 レポート形式で行う、という内容で
4/10 第40回常任常議員会で合格者の承認(38名) 検定委員会での判定は3月22日。
10/23・24 第25回常議員会、秋季試験合格者の承認(52名) 試験は10月3・4日に行った。
1973
3/22 第22回教師検定委員会(菊池委員長)73年度春季試験の合否判定 常議員会に承認を求めた。常議員会は対応出来ない。
6/9 秋季試験を公告 レポート形式による。
7/30 第26回教師検定委員会。秋季試験の合否判定 常議員会に承認を求めた。
9/1 第18回教団総会準備委員長戸田伊助、合格者承認に反対 上の承認申請を拒否したことになる。
11/29 戸田議長、菊池教師検定委員長、73年秋季試験合格者に「お詫びとお知らせ」を送付 「この紛争の中では認定することは出来ない」という内容。造反者と手を組んだ戸田議長の方針。
1974
2/4 教師検定委員会は、73年秋季合格者のすみやかな承認を戸田議長に要請 菊池委員長は四面楚歌の中で努力した。
2/13 同右の要請を拒否し「検定問題特別委員会」が設置される 問題提起者と三役が謀って、教師を生み出すことを否定する方向を目指す。
12/10・13 第18回教団総会、合格者の承認をしない 問題提起者の暴力による反対のため。重要議題としていたのだが。
1975
4/14・15 第2回臨時常議員会は「今後は制度的内容的にさまざまな立場の切り捨てが起こらないような方法で検定試験を行う」と決定。73年秋季試験合格者を承認 これが教師検定の質を崩壊させた。何でもかまわない、というのである。実施することとの抱き合わせ条件として、飲まされる形で。試験と承認が2年ずれている。
1976
2/13・15 第5回常議員会は「信仰告白を基準とし、教憲教規に基づいて実施する」と決議 第2回と第5回は両立しない。二重基準と呼びならされて来た。
2/25 教師検定委員全員(菅、大宮、市川、笠原、原、森田、横田)辞任新委員決定(後宮、大宮、笠原、佐伯、依田、岸本、辻) 二重基準では出来ない、という理由。各教区へ説明に行く。試験を急ぐように。二重基準は許せない。矛盾する声が高い。
25年間、二重基準のまま実施
2002
7/15・17 第32総会期第5回常議員会は「合同教会の豊かさの中で、教団信仰告白を基準として教師検定を行う」と決定。 検定試験については、文言上正常化した。正常化出来ない人は、他の面で教憲・教規違反をしている。