2008年9月26日金曜日

キリスト市民連帯 反キリスト教紙News N Joyに対する告発声明を発表

韓国の福音主義的市民団体であるキリスト教市民連帯が、クリスチャントゥデイ異端捏造事件を韓国で主導している『News N Joy』に対して声明を発表しました。以下にその声明の翻訳を掲載します。
 
いのちのことば社ジャーナル出版事業部クリスチャン新聞の編集顧問である根田祥一氏とY氏はクリスチャン新聞紙面上やブログでクリスチャントゥデイに関する虚偽を流布していましたが、情報源として『News N Joy』を多数用いており、根田氏Y氏ともに無批判に引用しています。また、Y氏にいたっては『News N Joy』の悪質な反キリスト教的行動を擁護までしており、クリスチャントゥデイに関する誹謗中傷に積極的に利用しています。

根田氏や山谷氏が情報源として用いる媒体『News N Joy』はクリスチャントゥデイの報道[*参考]によって反キリスト教的かつ、多数のクリスチャン殺害・迫害しているとされる北朝鮮に対して親和的なメディアであることが判明しています。 [参考] * 「News N Joy」(1)-募金詐欺疑惑、読者から指摘相次ぎ * 「News N Joy」(2)-矛盾した社告発表で疑惑さらに拡大 * 「News N Joy」(3)-反キリスト紙、教会組織を「ゴキブリ」 * 「News N Joy」(4)-脱税疑惑かけられ結局「謝罪」 * 「News N Joy」(5)-不十分な謝罪で非難さらに拡大
声明文 ニュースNジョイの不道徳性と反キリスト教性を告発する 教権からの独立を主唱して自らのことを「清いキリスト教代案言論」と自称してきたニュースNジョイが、かえって読者たちを欺瞞し利得を取るなど韓国教会をごまかし愚弄してきた行為が明らかになった。韓国教会の「改革」という名分の下で教会に対して高い水位で非難し、紛争と葛藤を集中的に照明してキリスト教の否定的な側面だけを俯角してきたニュースNジョイは高い基準の教会改革の物差しで韓国教会を罪に定めてきたが、かえって自らの物差しによって自分たちの不道徳性が指摘されている。しかし、ニュースNジョイは自分たちの問題に対してはこれまでも徹底に緘口したまま、相変わらず教会に対する批判を持続している。 ニュースNジョイは05年9月29日の「社団法人呼びかけ人大会」と06年10月23日の「NGO出帆式」で非営利社団法人を設立すると発表したり、NGOとして既に出帆したという虚偽事実を公示したりして巨額の後援金を集めた。そして、ニュースNジョイはこの両行事以外にも非営利社団法人であるとごまかして、持続的に後援と募金を要請してきた。ニュースNジョイがこのように自分の正体をごまかして募金をしてきた問題点を読者たちが指摘すると、謝罪と解明はせずに依然として非営利社団法人NGOであると2回も誤魔化した。にもかかわらず、持続している問題提起により、到底真実を隠しきれなくなると、やっと非営利社団法人NGOではく、ただまだ進行中であるとの納得しがたい理由をつけ、危機を乗り越えようとする姿勢を見せた。そして、今まで韓国教会を欺瞞して募金してきたその多くの金銭は既に消えた状態であることを、ニュースNジョイはやっと吐露している。 社会的に言論が及ぼす影響は非常に重要である。従って、言論は倫理においても社会の模範とならなければならないであろう。しかし、ニュースNジョイがこれまで見せてきた姿勢はキリスト教言論以前にキリスト者としても恥ずかしい姿であり、過ちを指摘する声にも沈黙して相変わらず欺瞞を継続する姿勢はキリスト市民としては容赦できない過ちであるため、告発を決断するに至った。ニュースNジョイが自分の正体をごまかして募金したことと、目的とは異なった使い道に後援金を使用したのは、確かに刑法第39章「詐欺と恫喝の罪」、第347条と第351条に違背する行為である。また、第40章「横領と背任の罪」、第355条と第356条に対する違反も排除できない状況である。またこれまで税金問題で韓国教会を持続的に批判してきたニュースNジョイが犯した様々な脱税嫌疑も一緒に告発することでその過ちは正されなければならない。 さらにキリスト市民連帯はニュースNジョイの反キリスト教性に注目し、これに対する徹底した分析と発表を持続的に試行していくことでニュースNジョイの実体を韓国教会の前ですべて暴露していく。ニュースNジョイはこれまで批判を通した宗教消滅論的視覚に基づいて韓国教会を破壊し混乱を起し、反キリスト教人物らともはばかりなく交わり、彼らを広報する姿さえ見せた。また、教会の肯定的な面よりは否定的な面を、和解と癒しよりは葛藤と分裂を助長し、教会の社会的なイメージと位相を失墜させることに一助し、韓国教会の代表的な指導者らを的に執拗に批判してきた。また、こうした批判の資料を公営放送と金銭を受けて取引した疑惑まで浮上している。また、ニュースNジョイは最近の宗教偏向論難と関連し、有名牧会者の説教まで密かに取材し、仏教界内の論難を触発させ、キリスト教と仏教間の葛藤を主導する様子を見せた。こうしたニュースNジョイの反キリスト教性と韓国教会に及ぼした悪影響に対して、キリスト市民連帯は常に注視し情報提供を受け、これを韓国の諸教会の前で知らせ、韓国教会の聖化運動に取り組んでいくことを誓う。 キリスト市民連帯は韓国基督教総連合会(=CCK)もニュースNジョイに対する明確な立場を表明することを要求する。ニュースNジョイはCCKに対し「ゴキブリ」呼ばわり、04年KBSの韓国教会に対する批判に立ち向かったCCKの活動に対して「脅えているのか」「エリコ城の攻め落とし」などの表現で著しく貶した。CCK以外にもキリスト教そのものを露骨にけなす記事を持続的に報道することで反キリスト教活動を扇動し、「キリスト教と主体思想との対話」「宗教化された主体思想ありのまま認めるべき」「北朝鮮に接するときは恋愛するかのように」など多数の新北朝鮮的記事も報じたニュースNジョイである。CCKは韓国教会を代表する機構として、こうした左派キリスト教性向の言論の活動を座視せず強力な立場を表明して韓国教会を完全に先導するよう要求する。 2008年 9月 18日 キリスト市民連帯

2008年9月16日火曜日

イ・ドンジュン氏の記者会見に対する反論文

張在亨牧師や韓国クリスチャントゥデイに対する異端捏造事件に関して、イ・ドンジュン氏が再臨主講義を受けたというキム・ヘラン宣教師がそのような講義をしたことはないと否定する証言をし、その内容が2008年9月16日付けで韓国クリスチャントゥデイに掲載されました。この内容はニュースパワー等の韓国の他のキリスト教メディアにも送付され、公平な報道のために掲載されています。以下にその和訳を紹介します。原文は、「이동준 씨의 기자회견에 대한 반박문」です。

11日、崔三卿牧師がイ・ドンジュンさんを証言者として前面に出し、張在亨牧師に異端疑惑があるかのように主張したことと関連し、イ・ドンジュンさんの証言で言及されたキム・ヘラン宣教師が反論文を出し、イ氏の主張と相反する主張を繰り広げた。

キム・ヘラン宣教師はこの反論文で、自分が張在亨牧師を再臨主と教えたことがなく、イ・ドンジュンさんが老会長(日本の長老派教会では中会長に相当)を歴任したことがないと主張した。 一方、イ・ドンジュンさんは同日の記者会見で、自分が韓国クリスチャントゥデイの元広告局長を歴任したと偽りの証言をした。 次はキム・ヘラン宣教師の反論文全文。


イ・ドンジュンさんの記者会見に対する反論文

こんにちは、私は大韓イエス教長老会ボムネ教会のキム・ヘラン宣教師と申します。 共産圏宣教をしたのでキム・シネという別の名前を使ったこともあります。 私がこのように手紙を差し上げることになった理由は、イ・ドンジュンさんが今日偽りの証言で私が通う教会と私がイ・ドンジュンさんに異端教理を教えたと主張したためです。 私は一時、イ・ドンジュンさんと一緒に信仰生活を送り、イエス・キリストの中で交わりを持っていた者として、真実を明らかにしなければならない責任を感じ、このように貴マスコミに反論文を送ることになりました。


1. 私は張在亨牧師が再臨主だと教えたことがありません。

今日、イ・ドンジュンさんは自分が私の聖書講解を聞いて、張在亨牧師を再び来られたキリストだと告白したと言いました。

しかし、誓いますが、私はそのような異端の教理を教えたことがなく、イ・ドンジュンさんがそのような信仰を持つようになったとすれば、大きく間違っています。 彼の証言の最後に自ら言及したように、張在亨牧師も自ら自分をキリストと教えたことがありません。 むしろ張牧師は彼の誤った信仰を正すために何と3時間も自身はキリストではなくイエスだけが唯一の救いの道であると話したそうです。したがって、彼の主張の核心は、私が張在亨牧師を再臨主だと教え、彼がそのような異端教理を信じたということですが、再び強調しますが、彼がそのように誤って信じたのであって、私がそのように教えたことは一度もありません。

忠州のリゾートで開かれた修養会で張在亨牧師が「贖いの血の十字架」という題のメッセージを伝え洗礼ヨハネについて話したと言いますが、当時の修養会でチャン牧師は一切そのような内容の説教をしたことがありません。 当時の修養会は全国と世界各地から1千人余りが参加し、映像も記録として残っているのにそんな真っ赤な嘘をつくなんて胸が痛いです。 この事実一つだけでも、彼がどれほど偽りの証言をしているかを明らかにします。


2. イ・ドンジュンさんは正式牧師ではなく「インターン・パスター」であり、老会長を歴任したのではなく単純に老会の仕事をしたのだと思います。

イ・ドンジュンさんはOTCS(Olivet Theological College and Seminary)を通して神学を勉強し、「インターン・パスター」の資格を得ました。 しかし、イ・ドンジュンさんの主張のように、老会長を歴任したことはありません。

私はキリスト教の美しい伝統であり聖なる儀式である洗礼についても否定したことはありません。 私の所属教会も定期的に洗礼式を行っており、イ・ドンジュンさんはインターン・パスターだったので、洗礼を執礼する機会がなかっただけでしょう。

ちなみに韓国クリスチャントゥデイに確認してみたところ、イ・ドンジュンさんは韓国クロスマップと韓国クリスチャントゥデイを行き来しながらほんのしばらく働いたことはあるが、韓国クリスチャントゥデイ広告局長を務めたことはなかったということです。 そして彼は自発的に韓国クロスマップと韓国クリスチャントゥデイに入社することになったのであって、会社以外の誰かが発令を出したこともないそうです。


3. 聖婚礼拝は聖なる家庭を作るための運動の一環に過ぎず、統一教の合同結婚式とは関係ありません。

聖婚礼拝は一般結婚式とは別に、お互いの合意を通して信仰の中で聖なる家庭を作ろうという誓いをする礼拝です。 イ・ドンジュンさんもその趣旨に共感して礼拝に参加していましたし、その誓いを記念するために参加者たちが団体で記念指輪を一緒に作ったのです。 ところが、これをまるで統一教の合同結婚式に例えるのは事実と全く異なり、イ・ドンジュンさんの家庭だけでなく、当時礼拝に参加したすべての家庭を辱めるものです。


4. イ・ドンジュンさんは私や張在亨牧師から学んだメッセージを歪曲しています。

私はイ・ドンジュンさんにエルサレムが回復するまで42年という苦難の期間があったように、キリスト教徒も栄光と回復の望みを持って現実の多くの逆境を克服しなければならないと教えたことがあります。 ところが、イ・ドンジュンさんはそう単純に言ったことをゆがめて解釈しています。 日本でもこのような歪曲が起きていたことから、誰かが背後から操作したという心証が強く起こっています。


5. 誰がこの純粋な人をこのようにしたのですか?

イ・ドンジュンさんがたとえ自ら告白したように信仰の混乱を感じながら教会を去ったとしても、私たちの教会の信徒らは彼が新しい人生に満足していて幸せな家庭を築いているという知らせを聞いて彼のために祈り、たまに偶然出会った時も良い交わりを持ちました。 イ・ドンジュンさんもやはり今日の記者会見があるまではいつも私たちの教会に対する懐かしさを持っていました。

また、彼は私たちの教会の中で体験した恵みと愛を証ししたりしました。 キリストの中で神様と和解した者は、すべての人々と和解できるという精神により、あれほど以前に憎んでいた両親とも和解し、霊的な恵みも受け、嬉しい気持ちで信仰生活を送っていたと告白しました。

ところが今日の記者会見で彼は突然急変し虚偽の歪曲された証言をしながらあたかも張在亨牧師と彼が設立した団体が異端集団であるかのように言いたてました。 一体誰がイ・ドンジュンさんに自ら学びもしなかった教理を持ち出すようにし、自らの人生さえ否定する嘘を語るように仕向けたのですか? カウンセリングの基本原則として、両者の立場を十分に考慮しなければならないにもかかわらず、私の意見は聞こうとする試みさえせず、イ・ドンジュンさんの歪曲した主張を持って異端であるかのような操作をしたのはまた誰でしょうか?

私は今日の記者会見で、イ・ドンジュンさんの証言を徹底的に裏から操った崔三卿牧師に注目しています。 彼の三神論異端思想と行状に関する数多くの批判書籍と記事を見て、このような確信がより一層固まっています。 聞いた話では崔三卿牧師が彼の牧師室にイ・ドンジュンさんを呼び、張在亨牧師に対する非難をし、記者会見場でもイ・ドンジュンさんを最初から最後まで連れて行き質問も遮断し返事まで代弁したと聞きました。 私はこんな人が牧師だという事実を信じることができません。 この問題について途方もない怒りを感じながら、最後まで真実を明らかにするために戦うつもりです。

私はとても悲しい気持ちでこの文を結びたいと思います。 イエスの中で共に喜んで交わりをしていた兄弟イ・ドンジュンさんがこのように急変したことに怒りと絶望さえ感じます。 私はイ・ドンジュンさんがもっと深く考え、目を開けてこれ以上真実に背を向けないよう祈ります。

2008年9月13日土曜日

イエス青年会声明を発表、「三神論者の崔三卿はCCKから離れよ」

韓国クリスチャントゥデイ紙が、クリスチャントゥデイ異端捏造事件を韓国で主導し、記者会見で偽証を行わせた崔三卿牧師に対して出された韓国イエス青年会の声明を報道しました。以下にその記事の翻訳を掲載します。原文は「예수청년회 “삼신론자 최삼경은 한기총을 떠나라” 주장 ― 최삼경 목사 주도 기자회견에 즉각 반발하고 법적대응 천명」です。

イエス青年会声明を発表、「三神論者の崔三卿はCCKから離れよ」
崔三牧師主導の記者会見に対し直ちに反発 法的対応を表明

崔三卿牧師が11日、自分と結託した三角構図の言論を巻き込んで張在亨牧師を誹謗する記者会見を開いたことに対し、韓国イエス青年会(=YD)が直ちに記者会見を開き反駁声明を発表し強く対応した。

韓国YDは崔牧師が主導したこの日の記者会見が張在亨牧師だけでなく、張牧師が設立した韓国YDに対しても顕著な名誉毀損行為であったと判断し、この声明を発表した。韓国YDはこれからこの問題に対して徹底した法的対応をもって是々非々の立場ではっきりしていくことを示唆した。次は11日に韓国YDが発表した声明の全文。

三神論者の崔三卿はCCKから離れよ!

崔三卿牧師はそのグループと共に本日(11日)午後突然に記者会見を開き、事実確認すら行なわれていない資料と証言に基づいて当宣教会と当宣教会の設立者である張在亨牧師に対し異端嫌疑を被らせようとしたが、当宣教会はこうした異端捏造行為に対して怒りを禁じえないところである。

特に崔三卿牧師とそのグループはこの過程において当宣教会と張在亨牧師の健全な信仰告白と会員全体の一貫した諸証言は徹底して無視したまま、証人を懐柔および洗脳して、権限の濫用し、似非メディアを通した扇動などを続けるなどありとあらゆる稚拙な言動を見せてきた。これは客観性と公正性とはかけ離れたものであり、徹底した政治的な秘密裏の抹殺を彷彿させるものである。従って、当宣教会はこうした宗教マフィア的集団が韓国教会を代表する機関である韓国基督教総連合会(=CCK)の肩書きを濫用していることを糾弾し、CCKがこの者たちを放逐するよう強く主張する。

1.一方的異端狩り 座視して見過ごすわけにはいかない

当宣教会はこれまで当宣教会に対する奇怪で想像つかないほどに悪質なあらゆる妨害を受けてきたにもかかわらず、これに対して誠実に解明し証拠資料を提示してきた。しかし、崔三卿牧師とそのグループは中国の嫌韓派牧師らと共同してこれをごまかし、張在亨牧師を再臨主として信じているとの荒唐無稽な嫌疑を被らせてきた。この過程で彼らは当宣教会のすべての主張を徹底として黙殺し、ついには本日の記者会見まで当方には何ら事前公式通報もなく徒党だけを秘密に呼び集め、いかさまを行なうまでに至った。

2.崔三卿牧師は宗教マフィア的工作行為を中止せよ

崔三卿牧師はCCK異端相談所長という肩書きを濫用して、あたかも韓国教会を代表するCCKが当宣教会およびその設立者である張在亨牧師に対し公式調査をするかのように世論を扇動してきた。特に今日記者会見を主導した崔三卿牧師、ジン・ヨンシク牧師、朴ヒョンテク牧師などは数ヶ月前に香港を訪問し、自分たちと癒着関係にある言論らを呼び集め物議をかもした。崔牧師グループは当時の日程が非公式であったにもかかわらず、あたかもCCKの公式調査であるかのような印象を付け、これまで当宣教会の設立者に対する妨害を常習的に繰り返してきた韓国ニュースNジョイ、米国クリスチャントゥデイ、豪州クリスチャンリビューの関係者らと共謀し、中国YDに対する調査を進めた。

3.三神論者の崔三卿はCCKから離れよ!

こうした非道徳的異端捏造行為を繰り返してきた崔三卿牧師本人の前歴をに関して、私たちは失笑を禁じえない。崔三卿牧師はいわゆる三神論異端思想により某教団から異端性規定処分を受けるなど韓国教会で大きな物議をかもしたことがある。自分こそこれほど明確な異端嫌疑にかけられているにもかかわらず、崔牧師はCCKの権威を巧妙に濫用して無分別な異端狩りを続けてきた。

4.強力な法的対応を表明する。

当宣教会は崔三卿牧師グループが韓国教会に「百害あって一利なし」であり癌的要素であると判断し、CCKが勇決を下してこうした宗教マフィア的集団を追い出すことを強力に促す。また、当宣教会はこれまでこうしたテロなみの異端捏造行為を行なってきたことに対し、キリストの愛の精神で赦し忍耐し続けてきたが、崔三卿牧師グループによる常習的な証人洗脳、権限濫用、似非メディアを通した扇動行為などは、これ以上放置できない域に達している。従って、当宣教会はこれからこの問題に対して徹底した法的対応をもって是々非々の立場で明らかにしていくことをこの場で表明する。(イザヤ書58:12)

崔三卿牧師の奇襲記者会見、空振りに終わる

韓国クリスチャントゥデイ紙が、クリスチャントゥデイ異端捏造事件を韓国で主導している崔三卿牧師が肩書きの詐称や証人に偽証を行わせた9月12日の記者会見の背景に関して、反キリスト教性向の左翼メディアとして知られる『News N Joy』との共謀関係について報道しました。以下にその記事の翻訳を掲載します。原文は「최삼경 목사의 기습 기자회견, 싱겁게 끝나 - 증인에 의해 오히려 논쟁 종결… 언론유착 등 의혹 불거져」です。

いのちのことば社ジャーナル出版事業部クリスチャン新聞の編集顧問である根田祥一氏とY氏はクリスチャン新聞紙面上やブログでクリスチャントゥデイに関する虚偽を流布していましたが、情報源として『News N Joy』を多数用いており、根田氏Y氏ともに無批判に引用しています。また、Y氏にいたっては『News N Joy』の悪質な反キリスト教的行動を擁護までしており、クリスチャントゥデイに関する誹謗中傷に積極的に利用しています。

根田氏やY氏が情報源として用いる媒体『News N Joy』はクリスチャントゥデイの報道[*参考]によって反キリスト教的かつ、多数のクリスチャン殺害・迫害しているとされる北朝鮮に対して親和的なメディアであることが判明しています。

[参考]
* 「News N Joy」(1)-募金詐欺疑惑、読者から指摘相次ぎ
* 「News N Joy」(2)-矛盾した社告発表で疑惑さらに拡大
* 「News N Joy」(3)-反キリスト紙、教会組織を「ゴキブリ」
* 「News N Joy」(4)-脱税疑惑かけられ結局「謝罪」
* 「News N Joy」(5)-不十分な謝罪で非難さらに拡大


崔三卿牧師の奇襲記者会見、空振りに終わる
証人によりかえって論争終結 ― 言論癒着などの疑惑が高まる


▲左側から崔ビョンギュ牧師、ジン・ヨンシク牧師、崔三卿牧師、李ドンジュン氏、朴ヒョンテク牧師。崔三卿牧師は中央に座って記者会見を主導し質問を遮って答弁を追うなどした ⓒ韓国クリスチャントゥデイ

崔三卿牧師(光と塩教会)が反キリスト教および左派偏向言論と連帯し11日、本紙設立者を批判する奇襲記者会見を開いた。崔三卿牧師は今回の記者会見をCCKでは開催でず、CCKを詐称してソウル市内の某所に場所を移して強行したことが明らかになった。

一部の言論のみを秘密裏に招いた中で開かれた記者会見には反キリスト教性向の左派言論News N Joy(編集長李スンギュン)と運動圏出身者が編集するLAのC新聞(編集局長ソ・インシル)をはじめ、豪州C雑誌(発行人グォン・スンヒョン)などが参加した。これらの言論社は崔三卿牧師を頂点に互いに三角構図を形成して共生関係を維持しており、これまで崔三卿牧師を利用して本紙と本紙の海外支社に対し妨害を継続しており、一括して告訴されている。実際に崔三卿牧師はこの日最初の祈りを米州C新聞の発行人であるソ・ジョンチョン牧師に任せた。

本紙が報じたとおり、News N JoyはCCKに対して「むかつくゴキブリ」と表現し、反キリスト教性向を露骨に現している。(2008年8月7日付「CCKがゴキブリ?<News N Joy>反キリスト教論難」記事参照)反キリスト教の特性である「批判による宗教消滅論」の姿勢もやはりそのまま表して、教会の否定的側面を指弾するNews N Joyは2004年には、KBSに代価をもらって韓国教会を攻撃するための資料を渡した疑惑まで提起されている。

こうしたNews N Joyは数回にわたり本紙設立者に対して公然と絡みつく報道を繰り返しながら、本紙を妨害しており、ここには海外の運動圏出身の編集長が運営する新聞らも共に連携された。従って今回の記者会見はNews N Joyが崔三卿牧師を利用し、本紙を陰謀するもう一つの韓国教会破壊意図ではないかという疑惑が起きている。崔三卿牧師もこうしたNews N Joyに積極的に加担する姿勢を示しているため、崔三卿牧師とNews N Joyとの結託は非常に大きな注目を浴びている。

したがって、CCKを卑下し中傷した反キリスト教性向のNews N Joyと、CCKに所属した崔三卿牧師がなぜ一つに連携でるのかに関心が集中している。ではNews N Joyが崔三卿牧師を利用して異端是非により韓国教会の葛藤と分裂を起し教会を破壊しようとしているのではないかとの憂慮が提起されている。

一方、今回の記者会見のもう一つの大きな問題は崔三卿牧師が新聞市場の一方のみに加担して競争紙を政治的に圧殺するため積極的に指揮し、共謀したとの疑惑が浮上していることだ。特にCCK異端相談所長という肩書きを商業主義と深く関連付け左派性向の言論の対抗者となるメディアを傷つける誹謗をそそのかす言動は公職を不純な意図をもって濫用しているとの批判を避けられないと見られる。特に今回の記者会見はCCKとは無関係であるにもかかわらず、記者たちを招集する過程ではCCKの名前を出して詐称したことが明らかにされ、崔三卿牧師は記者会見の場でこの部分に関する質問に対し返事を回避して、この事実を否定できなかった。

崔三卿牧師は異端相談においても、片側のみの立場を一方的に聞くなど原則を破棄した姿勢を示しており、こうした中で出た偏向・歪曲された内容を言論市場の対抗陣営に対する攻撃の道具として利用したことに対しても指摘を受けている。

崔三卿牧師は今回の記者会見に先立って、周囲の知人らに連絡し、「この事に関与するな」といって事前に根回しをしたことが明らかとなっているが、それほどまでした記者会見は空振りとなった。

崔三卿牧師が提起した張在亨牧師に対するすべての疑惑の核心は再臨主論争であった。崔三卿牧師は再臨主教義だけが張在亨牧師を異端として規定できる唯一の方法だと判断したためだ。しかし、日本と香港などを訪問しても再臨主疑惑は結局決定的な証拠がなく論点が霧散したため、崔三卿牧師は韓国で記者会見を開いて再燃させようとしたと見られる。しかし、この日記者会見に出た証人は逆に、「張在亨牧師が自分は再臨主だと教えたことがない」とはっきり告白して明瞭に終結した。崔三卿牧師が狙っているのは張在亨牧師に対する調査要請をCCKに上程し教会政治権力を通した圧殺を行なおうとすることだが、核心となる内容が否定されたことにより力が抜けた形となった。

現在、この証人が事前に崔三卿牧師に会って懐柔されたという情報が挙がっており、反キリスト教性向の言論がこれを媒介したという事実すら表面化しつつある。結局、今回の突然な記者会見は論難の核心が否定される証言が言論の前で表明され、逆に記者会見開催の背景に関心が集まり、崔三卿牧師を頂点にしたメディア3者がさらに注目されることとなった。News N Joyをはじめ、今回会見に参加するため(アメリカから)遠距離を移動し祈りまで任せられた米州C新聞と、ともに遠距離から参加した豪州C雑誌は中身のない記者会見の終了後もあらゆる憶測を書きたてながら扇動を継続することが予想される。

こうした崔三卿牧師に対し張在亨牧師は内容証明を送り、本人の信仰的立場をはっきりと伝えたことが明らかになっている。

崔三卿牧師、張在亨牧師へのCCK再調査に過度な執着

韓国クリスチャントゥデイ紙が、クリスチャントゥデイ異端捏造事件を韓国で主導している崔三卿牧師に対して韓国基督教総連合会(CCK)が非難を示していること、崔三卿牧師の悪質な行いによって韓国のキリスト教界からCCK異端委員を務める資格に疑問が上がっていることに関して報道しました。以下にその記事の翻訳を掲載します。原文は「최삼경 목사, 한기총 재조사에 과도한 집착 ― “정치권력 악용한 공세” 반발 일어 법적 공방 이어질듯」です。

崔三卿牧師、張在亨牧師へのCCK再調査に過度な執着
「政治権力を悪用した攻勢」反発起と相次ぐ法的攻防予想される

常習的に宗教暴力に近い無分別な異端狩りを引き起こして物議をかもしてきた崔三卿牧師が11日、張在亨牧師に対する私見を発表してCCKに再調査を要求した。しかし、崔三卿牧師の主張は根拠が薄弱であり、そればかりでなく無理押しの水準に過ぎないため、典型的な異端捏造の方式を繰り返しているとの非難を受ける見込みだ。

特に崔三卿牧師は自分が調査を主導しCCK異対委を通して公式に終結した張在亨牧師に対する調査結果を自ら覆し、張在亨牧師を再調査するよう主張した。そうしながら、崔三卿牧師は張在亨牧師の前歴と信仰告白など既に自分が調査して明確な答弁を聞いた内容に対してもけちをつける稚拙な姿勢を見せた。

こうした主張を発表しながら虚偽の発表者を前に立たせて記者会見を行なったことも注目に値する。崔三卿牧師はこれまで数回にわたって内容証明や声明などを通して張在亨牧師の信仰告白と立場表明に接したにもかかわらず、これらを徹底して無視して、記者会見当日に出た証言者の虚偽の主張だけが真実であるかのように世論誘導を試みた。これは「両者の立場をバランスよく聞く」という相談の最も基本的な原則を破る行為である。果たして崔三卿牧師が韓国教会を代表するCCKにおいて異端相談所長を受け持つ資格があるのか、という疑問が浮上している。

さらに崔三卿牧師が連れてきた証人でさえ、「張在亨牧師が自らのことを再臨主だと教えたことがない」と述べ、「自分が張在亨牧師を再臨主だと告白したが、かえって張在亨牧師は『それは間違った信仰だ』と言いながらこれを正そうとする努力までした」と証言した。にもかかわらず、崔三卿牧師は既に組み立てられたシナリオに無理に適合させようと、張在亨牧師に対する異端嫌疑を被せながら、CCK再捜査に対する極度の執着を見せた。

崔三卿牧師はこのほかにも「張在亨の使役者たち」という実態が分からない曖昧な表現を使って、「この人たちが張在亨牧師を再臨主と思うように教えている」との名誉毀損に該当する虚偽の主張を行い、記者会見に出た証人に対する記者たちの質問を遮った。

結局、崔三卿牧師は04、05年の2年間を費やし、2回にわたって実施された張在亨牧師に対するCCK異対委調査によって「嫌疑なし」との結論が出たため、今回の記者会見をきっかけとして調査と再開させようと必死にあがいている。

しかし、張在亨牧師側は三神論異端嫌疑者である崔三卿氏がCCK異対委を辞退しない限り、すべての対話と論争を拒否し、断固とした法的対応措置を取ることを示唆している。また、証人と反駁証人の間の熾烈な法的攻防も予想される。これによりCCKはこれまで堅持してきた立場の通り、法的攻防が締めくくられるまではこの問題に関与しない見込みだ。

2008年9月8日月曜日

米基督日報記事翻訳 「記者の目」ソインシル氏、言論協を利用したあらゆる妨害 失敗に

米基督日報(クリスチャニティ デイリー)紙がクリスチャントゥデイ異端捏造事件に関与して名誉毀損を行なっている韓国語メディア編集局長ソ・インシル氏が言論団体の会長としての肩書きを濫用し、北米韓国人のキリスト教界の世論がソ氏の解任を望んでいることについて報道しました。以下にその記事の翻訳を掲載します。原文は「[기자의 눈] 서인실 씨 언론협 이용 온갖 음해 실패로」です。

本紙妨害事件 法的訴訟に関心集中

米州キリスト教言論者とこの分野に従事するキリスト言論人らの協議体である米州基督言論人協議会が現会長ソ・インシル氏の専横により困っている。

最近言論協は本来の使命を忘却し、ソ・インシル氏の意のままにされており、会員社に対する陰湿な攻撃に注力している。いや、より正確に言うと、これまでの4年間行われてきた基督日報に対する攻撃において、その主人公であったソ氏が会長になってから、ソ氏が自分の職権を濫用し、言論協の肩書きを濫用している。

4年前から自分が編集局長として務めているクリスチャントゥデイ・ドットUSを用いて、本紙に対して執拗に攻撃してきたソ氏は言論協の会長になってから、競争紙攻撃という本来の目的を巧妙に隠し、米州に止まらず外国のキリスト教言論社らにまで偽ったうわさと資料を流布している。どうして米州言論協会長という尊い肩書きがここまで転落してしまったか分からない。

既に米州教界は過去4年間にわたるソ氏の執拗な妨害の前歴をすべて知っている。ソ氏の多くの攻撃が教界で一介の笑いとして終わった理由もまさしくここにある。今やソ氏は南加州教協を圧迫し本紙を攻撃する大胆な手法まで駆使している。

この前、ソ氏は言論協で決議されたと言って会員社の本紙には連絡すら一切ないまま、教協を攻撃する広告を出した。ソ氏が言論協の名義を利用し、耐えなく教会連合機構の会長とその団体を圧迫する理由とは一体何だろうか。こうした疑問が増幅している。

ソ氏はこれまで基督日報が韓国基督教総連合会(CCK)からの調査を受けるだろうと偽りの報道を行ったり、香港に何か大きな問題が起こったかのように扇動したりしたことより、恥をかいたことがある。しかし、今韓国や香港は何の動きもない。ただソ氏だけが絶えず本紙を妨害する記事を吐き出している。一線を越えたソ氏の言動に対し、基督日報は法的手続きを踏むことでこの事態は新しい局面を迎えるようになった。損害の賠償額にも関心が高まり、韓国で行なわれる告訴にも多大な関心が寄せられている。

法的なこうした手続きとは別に言論協ももはや決断を下さなければならないとの世論が高まってきた。ソ氏が会長の名前を濫用して会員社に対して捏造と扇動を行なえないように公式的制裁、または順番制会長ではあるが、言論協の名前を毀損するソ氏を解任しなければならないとの世論だ。既にソ氏が会長になった後、多数の会員社がその活動を中断した。このままだと次期会長が選出される前にも言論協の未来が不透明だ。教界は言論協がソ氏が単独で決定を下したり、自分勝手に名前を濫用できる団体になっていることに深刻な憂慮を表している。

2008年8月26日火曜日

『荒野の声新聞』クリスチャントゥデイに対して謝罪 紙面に全面広告

クリスチャントゥデイ異端捏造事件に関して当社に関する虚偽の報道を繰り返してきた『荒野の声新聞』が8月12日に韓国クリスチャントゥデイに対して謝罪を発表しました。いのちのことば社ジャーナル出版事業部クリスチャン新聞の編集顧問である根田祥一氏と個人の山谷真氏はクリスチャン新聞紙面上やブログでクリスチャントゥデイに関する虚偽を流布していましたが、情報源として『荒野の声新聞』のものを多数用いています。

根田氏や山谷氏が情報源として用いる媒体『News N Joy』はクリスチャントゥデイの報道[*参考]によって反キリスト教的かつ、多数のクリスチャン殺害・迫害しているとされる北朝鮮に対して親和的なメディアであることが判明しています。

[参考]
* 「News N Joy」(1)-募金詐欺疑惑、読者から指摘相次ぎ
* 「News N Joy」(2)-矛盾した社告発表で疑惑さらに拡大
* 「News N Joy」(3)-反キリスト紙、教会組織を「ゴキブリ」
* 「News N Joy」(4)-脱税疑惑かけられ結局「謝罪」
* 「News N Joy」(5)-不十分な謝罪で非難さらに拡大

これが根田氏や山谷氏が加担する組織や団体の実態です。以下に『荒野の声新聞』による謝罪文を翻訳したものを掲載します。原文は『들소리 신문 사과전면 광고 <사과문>』です。

<謝罪文>

(株)クリスチャントゥデイが問題提起した米国韓人新聞「基督日報」の記事及び写真を許可なしに使用した部分に対して立場を表明します。

私は米国荒野の声新聞の本部長を務めているチェ・ハンオと申します。このたび、貴社が送った内容証明をソウル本社で受け取り、余りにもうろたえました。私は本社から米国本部長の肩書きと共に米国地域の教界現況を取材して記事を送稿しなさいとの命を受け使役してきました。

あるいは直接取材により、またはインターネット検索を通じて記事を作成しました。この過程で貴社の記事を盗用したと指目した項目のうち一部を無断で使用していたことを認めます。貴社から送られてきた内容証明をいただいてから、私の行為が貴新聞社にこれほど深刻に被害をこうむらせたことを知りました。

それゆえ、私は急いで米国基督日報のイ・ジェハク記者に電話上でまず謝罪し、わが本社では私が記事を直接取材して送稿したと理解しているため、なおさら私の過ちが大きいと申し上げ、謝罪しました。

クリスチャントゥデイ社長!

以上のようなことが起こったのはすべて私の過ちであり、無知によって起こった過ちです。万が一、このことにより私の尊敬するジョ・ヒョグン牧師とソウル本社に害を与えてはいけないとの思いで、夜眠ることもできません。

二度とこのような過ちは犯しません。どうか広い雅量で赦してくださり、愛で包んでくださるなら、美しい人生経験をしたと思い、もっと熱心に主の働きに邁進します。もしも、赦せないとおっしゃるのなら、すべての結果の責任は米国本部長である私が処分を受けます。もう一度頭を下げて赦しを求めます。また、貴社の限りなきご繁栄を祈ります。感謝します。


米国荒野の声新聞 本部長 チェ・ハンオ


本社の立場

米国本部長の過誤ということですべてを解決しようとするつもりはありません。たった一件の「記事盗用」形式が発生したとしても、本社の自尊心が私たち自身をまず容赦することができません。しかし、米国支社の管理がよくできず、こうしたことが発生したことに対し、お詫び申し上げます。

二度とこうした行為を繰り返さないことを約束致します。そして、私たちが使用した記事によって貴社に不利益を与えたことに対し、丁寧かつ懇々とお詫び申し上げます。


荒野の声新聞 代表 ジョ・ヒョグン

2008年7月26日土曜日

発端は「操作と洗脳」だったのか ―YD側「偽証を確認する証拠がある」

韓国クリスチャントゥデイが韓国基督教総連合会に関する記事を掲載しました。以下に記事、『発端は「操作と洗脳」だったのか ―YD側「偽証を確認する証拠がある」』の翻訳文を掲載します。原文は『중국 예청에 대한 이단날조 음모, 서서히 드러나기 시작』です。

発端は「操作と洗脳」だったのか ―YD側「偽証を確認する証拠がある」

最近香港で中国YDに対して疑惑を提起してきたダニエル・オ氏などが韓国基督教総連合会異端対策委員会所属の牧会者らの非公式訪問を受け、今まで提起してきた主張に関する証拠を提示したが、これが既にあった無根拠の疑惑に関して再び言及する程度のものであったことがわかった。本紙が現地に直接訪問し取材した結果、かえって疑惑を提起する人物らが証拠を操作したり、証人を懐柔して自分たちに都合の良い作為的な内容を証言させようと画策したりした証拠や証言が次々と現れ衝撃を与えている。

韓国基督教総連合会異端対策委員会の崔三更牧師、パクヒョンテク牧師、ジン・ヨンシク牧師は7月8日から10日の期間、香港を訪問してダニエルお弁護士及び新興宗教関心グループの楊子聰氏などと中国YD代表などに会い双方の主張を聞いた。また、張在亨牧師が以前総会長を勤めていた大韓イエス教長老会合同福音の総務であるチョ・テヨン牧師(韓国キリスト教異端対策委員)の見解も聞いた。

ダニエル・オのチーム、同様の主張を繰り返すも証人がYD会員だったという証拠を提示できず

ダニエル・オなどはこの場で再び中国YDが本紙の設立者である張在享牧師を再臨主として教えているという主張を繰り返し、証拠及び証人らのインタービューを提示したが、証拠として提示した文章が実際YDの教材であったのかどうか、証人と呼ばれている人物らが実際にYDの会員であったのどうかを示す証拠は相変わらず提示できなかった。一方、中国のYD代表らは自分たちがイエス・キリストを救い主として告白していて、特定の人を再臨主として信じていないと証言した。また、イエス・キリストの他の福音を伝えるのならば異端であると強調した。

また、ダニエル・オ弁護士は証言者らの証言を公証して韓国に送ると3人の牧師に言ったが、YD側は「たとえ偽証を交渉して送ったとしてもそれを完璧に覆す証拠が10倍100倍はある」と反駁した。

一方、本紙が現地で調査をした結果、YDに疑惑を提起してきた人物が証拠に操作を加えたり、証人にYDに対する不安や反感を抱かせて事前に作成された虚偽を発言するように仕向けたりなどの卑劣な行動が次々と現れた。自分はYDの会員だったと言いながら異端的な教えが入った講義案をYDの講義案だと主張したA 氏の場合、A氏はその講義を直接聞いてはおらず、メールで受け取ったと明かし、調査結果メールの発信元は楊子聰氏であることがわかった。また、数人から楊子聰氏が自分たちに会いに来て懐柔を試みたという証言もあった。

本紙は中国YDに対する疑惑を提起する人たちの立場をより詳しく聞くためにダニエル・オ弁護士と楊子聰氏、ラ・ソギ氏などにインタービューを要請したが三人ともインタービューを避けた。特に楊子聰氏の場合ははじめにはインタービュー要請を受け入れ、メールを通して質問を送ってほしいという返事があったが、メールを受け取った後に質問が理解しにくい、納得がいかないという理由で取材の約束を破った。

YD、行動調査団構成を提案―真実究明に自信を見せる

今回個人として香港を訪問した崔三更牧師などは中国YDの代表に会い3時間にわたる対話において「真実究明のためにダニエル・オのチームを告訴したほうが良い」と助言した。

これに韓国YDの金デギ総務(韓国基督教総連合会青年大学生委員会専門委員)は「これからはダニエル・オチームに対する法的手続きに入り、双方の証言の事実が検証されて真偽が明らかになるので、この事案を韓国やほかの地域が利用する理由がなく、さらに韓国が中国で起こる問題に介入するのは道理にかなってない」という意見を表した。

金デギ総務はダニエル・オなどに対して「証言者がYD所属だったという証拠だけでも出せばいいのに、どうしてその証拠を出せないのかが疑問」と述べ「YDがイエスを信じないで、十字架を否認し、大学の教授である張在享牧師を再臨主として信じるというシナリオはコメディだ」と断言した。現在、YDは今回のダニエル・オなどに対して、すでに彼らの主張が偽証であることを確認できる決定的証拠を持っていると言っており、両方で共同調査団を構成して総合的に公証して結論を出そうという自信に満ちている立場である。

本紙に対する妨害を画策する人物ら、香港に集結して議論をかく乱

今回韓国基督教総連合会異端対策委員会のメンバーによる香港訪問は非公式のものであったにもかかわらず、本紙と本紙の海外支社などに対する妨害を意図するグループを集めて混乱を引き起こした。相互に緊密に連絡し、組織的に本紙に対して妨害を画策してきた韓国のNews&Joy、北米の christiantoday.us(当社とは異なる会社)、豪州のクリスチャンレビューなどの関係者らは韓国の異端対策委員会に詰め寄って証拠を手に入れるために執拗に働きかけたが結果はなかった。

彼らは特に韓国基督教総連合会が張在享牧師に対して異例の2回にわたる集中的な調査を行なった後、統一協会とは関連する嫌疑が見つからなかったとの宣言をもって終結した事案を論難するために力を入れてきた。韓国基督教総連合会は2004年7月当時「韓国基督教総連合会異端対策委員会調査結果確認回診」という公文を通して「異端似非対策委員会が張在享牧師の問題を調査した結果現在統一教会といかなる関係もないことを確認した」と明かした。この公文は当時ギル・ジャヨン代表会長と異端似非対策委員長オ・ソンファン牧師の名義で出された。

しかし、この公文が発表されて後、パクヒョンテク牧師がこの発表に対して不満を表明して再調査を要請し、張在享牧師はすべての疑惑を解消するためにこれを受け入れた。張在享牧師は本人が直接韓国基督教総連合会に対して再調査を要請し、韓国基督教総連合会は1年にわたる再調査に入った。この調査の後、2005年9月に韓国基督教総連合会は1次調査と同一の結果を発表し「今までの調査に協力してくださった貴教団と張在亨牧師の奉仕に神様の祝福がありますように」と述べている。この構文は「韓国基督教総連合会はこの調査結果の報告を受けて終結処理した」と明記しており、チェ・ソンギュ代表会長と朴チョンイル総務の名義で出された。

この事件は当事者が再調査を要請したことによって、二度にわたる調査がなされた後、完璧に終結処理された事案だった。

この過程で3人によって構成される再調査委員が提出した「張在亨牧師統一教会関連問題再調査に関する報告」は各種の疑惑を提起しているが、根拠が貧弱であるという理由で韓国基督教総連合会の委員会で否決され、廃棄された。韓国基督教総連合会の1、2次の調査により完全に終結したこの事案に対して、韓国基督教総連合会の中で採択されずに3年前に廃棄された文章をもっていかにも正当性があるかのように論じる行為は言論として到底ありえない歪曲された報道行為である。

また、米クリスチャントゥデイ(christiantoday.us)編集長のソ・インシル氏は、YDが「信仰と家庭運動(Faith & Family Movement)」の一貫としてなされる聖婚礼拝に関してこれが統一教会の合同結婚式と類似しているという事実に反した捏造まで行なった。YDは聖婚礼拝に関して「信仰者の家庭が家庭から敬虔さを回復しようという趣旨で捧げる礼拝であり結婚式とは関係がない」と趣旨を説明している。YD代表らは韓国基督教総連合会異端対策委員会の調査で聖婚礼拝に関して誇らしく説明したがソ氏はこれを「YD代表が強く否認していたが最後には認めた」と表現を操作して悪印象を意図的に与えようとする虚偽の報道を行なった。

そのほか本紙が牧師らを本人からの同意も得ずに編集顧問に登用したとすら報道している。しかし、本紙には一部のメディア報道に取り上げられた編集顧問らの就任承諾書がある。

教界では、本紙の競争紙が証拠も出さずに風評を流布する背景が「キリスト教言論市場を取り巻いた葛藤」として解釈されており、「最後まで屈することなく、真実を明らかにすること」が進められている。

2008年7月10日木曜日

実録 教団紛争史 第7章 クーデターと教師検定

日本基督教団常議員

福音主義教会連合常任委員

 小林貞夫

1. 教団のねじれ
 圧倒的な暴力で、議場と言論を制圧した問題提起者は、次々と教団、教区、教会、関係諸団体、大学等を混乱させ屈伏させていった。
 特に教団執行部は彼らの主目標であったが、これをたたくことは一日で出来てしまったと言えるだろう。従って、1969年以降の三役たちは、造反者におもねるかの如き態度に終始した。何を行うにも、造反者の意向が先行した。戸田伊助教団議長の議場指揮では、議場で造反者に伺うような発言が度々あった。
 ところで、戸田議長になっても、常議員会や常設委員会は、以前の第15総会で選出された人がそのままだった。これらの人びとは、教団を代表するにふさわしい人々だった。常議員の中で、問題提起者への完全な同調者は、27人中3人だけであった。
 三役は造反だが、常議員会、常設委員会は全く違うという構図、いわゆるねじれ現象を呈していたことになる。
 第3章で示した九・一、二からの100日の表も、第5章で示した総会開催のための常議員会の表も、この原点を外して読むと理解出来にくい。
 1968年に選出された常議員会は形としては1974年まで続くことになってしまった。もっとも、後半期には、常議員会の凍結が論じられたり、辞任の申し出があったりで、殆んど機能しなかったが。常任常議員会は、嵐にさらされながらも、この期間は教規第37条の通りに運営され、教団をかろうじて支えるという役割を果した。
 島村亀鶴と大村勇、北森嘉蔵、森里忠生、長谷川保、秋山憲兄、小川清司の7名と三役とで構成されていたが、この顔ぶれでは、三役が造反に組しても、それが過半数にならなかった。
 そこで戸田議長は、常任常議員会を凍結した。

2. 教師検定でのクーデター
 常議員会と常任常議員会を凍結した戸田議長は、独断で教団を運営する形となった。この独断とは、造反派の主張に従うと同義であった。
 常議員会の責任である教師検定試験の実施や、COCにおける関係学校やキリスト教社会事業同盟との友好を放棄してしまった。
 第4章で、教団は会議制、信仰、伝道において崩壊したことを示した。が、ここでは形態としても崩壊し始めたことを示している。造反派から見ると、意気上る勝利であった。会議があったら暴れればよい。正論が主張され始めたらやじればよい。信仰の確かな人には暴力を加えてもかまわない。そうすれば思いが実現したのである。
 造反は目標を教団の崩壊に向けた。そのためには教師制度を破壊する必要があり、手始めに教師検定試験を破壊することを目指した。
 毎年50名を越える新しい教師が生まれることが、日本基督教団の当然であった。戦後二五年、神学大学など養成機関も、検定する教団も、受け入れる教会も、そう信じて疑わなかった。
 造反側はそこを徹底的に攻めることで、一つ一つ壊していった。勿論、抵抗があった。教会を守るというのは、教職にも信徒にも、信仰の基本を守ることになっていたので。
 ただ現実に教師が生まれてこないのは、大多数の教会、信徒にとって困ったことであった。何としても、という思いは共通であり、教師を生み出す必要のために、譲歩と妥協が重なった。
 いわゆる二重基準は、明らかな教憲違反であった。その経過については表として示したい。この経過も、クーデターだと理解すべきである。

3. 人事でのクーデター
 第18回教団総会(後述)では、議長以下の全役員の選出を行った。この時選ばれた常議員は次の通りであった。
 笠原金吾・菅原誠一・岸本羊一・入江清弘・辻宣道・小島一郎・山田守・大宮博・後宮俊夫・平山武秀・大塩清之助・鷲山林蔵・井上良彦・佐伯洋一郎・大島孝一・川端純四郎・深谷松男・浅野直人・橋本栄一・桐沢貞子・西原基一郎・貴田陽一・岡田正勝・兼松稔・尾崎政明・昆昇・遠藤修司。
 前回までの27名と一人も重なっていない。三役を含めて30名で構成する常議員会が、経験者を一人も持たなかったことになる。東京憎しや、経験者たちのやっていられないという気持ちを加味して分析しても、これも明らかにクーデターであった。文字通り教団革命であった。造反の次なる勝利でもあった。
 機関に選出された新人委員会が、すぐに相応の見解を示すことはむずかしいものであり、そっくり新人などということは、前例も、そして多分、後例もないだろう。教団は敗戦の前後でも、そうはしなかった。
 不慣れな常議員会が、造反派に圧倒されていった様を、花房譲次総幹事はこう言う。
「私はなぜ総幹事をやめたか。第18回教団総会で選ばれた常議員の顔ぶれを見て、これでまあまあやれると思った。これでなんとかいける、と思った。しかし一回二回と常議員会が開かれると、私の判断は甘かったということが分かった。討議され、いざ議決となると造反派の勝利となってしまう。なぜか。常議員の内訳は、3名のはっきりした造反、3名の福音派、三役を除いて21名は中間派であった。たしかにまわりでは造反派の人がいて叫んでいた。しかしそれにしてもおかしい。…」
 1972年から1974年まで総幹事だった花房譲次の、それにしてもおかしい、という痛哭の思いは、当時の生の事情を示している。
 ただその後の経過を見ると、常議員の半数は造反と造反派だったことになる。これは花房総幹事の見落としであった。

教師検定試験経過
月/日 主な事項 メモ
1969
10/6 検定試験中止(乱入者による妨害) 菅澤邦明らが、試験会場に乱入。答案用紙を破るなど、30分で中止になる。
1970
4/30 試験再開を公告 教団・教区の会議は困乱し続ける中で。
10/6・7 試験を延期。教師検定委員会全員辞任 小川貞昭委員長以下7名辞任。
1971
4/22 第29回常任常議員会で辞任を受理。7名の新委員を決定 小川貞昭委員長以下7名辞任。常議員の中より、菊池、大村、島村、柏井、宮崎、土岐、船本の7氏、後に松本、田中
7/3 検定委員会が「実施にあたっての見解」発表 「教師を生み出すことは、一刻も待てない」という主旨。
10/20・22 分散試験、面接試験によって、70年度分の試験を終了 集合して実施すれば、また、破壊されてしまうので。
11/25 71年度分試験も、レポートによる試験を加えて、同じ方式で終了 多くの反対見解が出されている中で、3年にわたって教師は生まれていなかった。
12/13 第37回常任常議員会で、書面決議。70・71年度分の合格者(84名) 常議員に手紙による承認かどうか、を問い、それによっての承認。
1972
1/1 春季試験公告 レポート形式で行う、という内容で
4/10 第40回常任常議員会で合格者の承認(38名) 検定委員会での判定は3月22日。
10/23・24 第25回常議員会、秋季試験合格者の承認(52名) 試験は10月3・4日に行った。
1973
3/22 第22回教師検定委員会(菊池委員長)73年度春季試験の合否判定 常議員会に承認を求めた。常議員会は対応出来ない。
6/9 秋季試験を公告 レポート形式による。
7/30 第26回教師検定委員会。秋季試験の合否判定 常議員会に承認を求めた。
9/1 第18回教団総会準備委員長戸田伊助、合格者承認に反対 上の承認申請を拒否したことになる。
11/29 戸田議長、菊池教師検定委員長、73年秋季試験合格者に「お詫びとお知らせ」を送付 「この紛争の中では認定することは出来ない」という内容。造反者と手を組んだ戸田議長の方針。
1974
2/4 教師検定委員会は、73年秋季合格者のすみやかな承認を戸田議長に要請 菊池委員長は四面楚歌の中で努力した。
2/13 同右の要請を拒否し「検定問題特別委員会」が設置される 問題提起者と三役が謀って、教師を生み出すことを否定する方向を目指す。
12/10・13 第18回教団総会、合格者の承認をしない 問題提起者の暴力による反対のため。重要議題としていたのだが。
1975
4/14・15 第2回臨時常議員会は「今後は制度的内容的にさまざまな立場の切り捨てが起こらないような方法で検定試験を行う」と決定。73年秋季試験合格者を承認 これが教師検定の質を崩壊させた。何でもかまわない、というのである。実施することとの抱き合わせ条件として、飲まされる形で。試験と承認が2年ずれている。
1976
2/13・15 第5回常議員会は「信仰告白を基準とし、教憲教規に基づいて実施する」と決議 第2回と第5回は両立しない。二重基準と呼びならされて来た。
2/25 教師検定委員全員(菅、大宮、市川、笠原、原、森田、横田)辞任新委員決定(後宮、大宮、笠原、佐伯、依田、岸本、辻) 二重基準では出来ない、という理由。各教区へ説明に行く。試験を急ぐように。二重基準は許せない。矛盾する声が高い。
25年間、二重基準のまま実施
2002
7/15・17 第32総会期第5回常議員会は「合同教会の豊かさの中で、教団信仰告白を基準として教師検定を行う」と決定。 検定試験については、文言上正常化した。正常化出来ない人は、他の面で教憲・教規違反をしている。

2008年6月25日水曜日

イエス青年会(YD)が声明:香港『ダニエル・オ調査団』の虚偽の主張を露呈

6月24日、中国イエス青年会の調査会が出した声明の日本語訳を掲載します。

香港『ダニエル・オ調査団』の虚偽の主張を露呈

これまでイエス青年会に対して根拠を欠いた異端疑惑を提起してきた香港の『ダニエル・オ調査団』が発表した資料が虚偽であることが露呈した。まるで宗教警察であるかのように8ヶ月前から中国大陸のイエス青年会の会員に対して懐柔や洗脳を行って来た自称香港の『ダニエル・オ調査団』は中国YDの相次いだ証拠提示要求に答えて23日、証拠と主張するものを発表した。

彼らが証拠と称して出したもの次のとおり。『ダニエル・オ調査団』は中国YDが異端教義を教えていると主張するという中国大陸の各地の20人からの証言を図表で公開したが、果たして彼らが本当にYDに所属していたのか、はなはだしくは実際に存在する人物なのかどうかに関しても証拠を提示することができず、顰蹙を買うこととなった。しかも発表された諸証言は中国YDに関してそれぞれ一致しておらず、虚偽に基づいた『ダニエル・オ調査団』の限界が明らかとなった。ここに当YDは『ダニエル・オ調査団』に対して次のように質疑する。

1.いわゆる『ダニエル・オ調査団』は何の権利により中国大陸の宣教会を調査し、また彼らを懐柔し洗脳を施してYDに不利な証言をさせるのか。一体誰が宗教警察のような権限を与えたのか。

2.全部で20名の非難者や偽証言者らはなぜ一様に自分がYD会員だったという証拠を提示することができないのか。会員であるとの証拠がYD非難の基本的な前提條件ではないか。

3.また調査団が自らの意図どおりの発言するようにした者の調査結果さえ一致しない部分があちこちに見られる。ある地方はこれだと言い、また他の地方はこうではないと主張するのは、YDの一貫された教育ではなく調査団の操作であるとの証拠ではないか。

4.調査団の資料の中で重要な役目をした証人の報告書には「中国YDにはそのような異端的な主張はなかった」と書かれているが、それを削除した理由は何か(http://www.ydkorea.org/archive/#01)。

5.20名もなる証人がいること強調してるが、それを覆す2000名の 「いや違う、それは操作だ」と主張する証人がいることをどうして無視するのか。そして彼らの信仰、良心、告白も同じく尊重されなければならないのではないか。

6.公開的な場で共同調査をしようというイエス青年会調査委員会の提案に対してどうして未だに返事をしないのか。自信がないのか、それとも操作したのが明らかにされたるのが怖いのか。

7.「なぜこのように世界各地から証言者が出るのか」との質問に関して、日本で異端捏造の非正統性を告発する第三者の発言をもって答弁の代わりとする。「それでは救世軍はどうして全世界で性犯罪と係わる問題報告があるか(http://www.google.com/search?hl=en&q=salvation+army+sex+abuse&btnG=Google+Search)。このようなものがあるからと言って救世軍を性犯罪集団だと言うのが正しい主張なのか?」YWAMはどうなのか。YWAMに対してもカルト集団という主張(http://www.google.com/search?hl=en&q=ywam+cult&btnG=Search)があるが、実際はとても健全な宣教団体ではないのか?

いまや『ダニエル・オ調査団』は証拠提示を通してむしろ自分たちが中国大陸に歩き回って弱い者を懐柔、洗脳して自身が組み立てたシナリオに沿った調査を行ったという事実が明白になった。『ダニエル・オ調査団』はこうした報告書に対して謝罪しなければならない。そして、早急に根拠のない調査団を速く解散し、一日も早くイエス青年会異端捏造調査団とともに共同調査団を作り、この問題を解決することを公式的に促す。

中国イエス青年会調査委員会

2008年6月10日火曜日

イエス青年会(YD)が声明:「ゴスペルヘラルド事件独立調査団」に対して

以下はイエス青年会(YD)が「ゴスペルヘラルド事件独立調査団」に対して出した声明の翻訳です。原文は YD’s Vehement Declaration Regarding the Report by the so-called “Independent Enquiry Committee for the Gospel Herald Incident” です。

イエス青年会は「ゴスペルヘラルド事件独立調査団」報告に対して厳正に声名する

2008年4月10日に旺角以利匯群坊で、いわゆる「ゴスペルヘラルド事件独立調査団」の名義で報告内容が発表され、イエス青年会と統一協会が関連するという証拠がないことが示された。イエス青年会は「調査団」が何の証拠もないままで、イエス青年会と統一協会の関係について無理やりに焦点を当てて調査を行ったことに強く憤慨と遺憾の念を現し、また「調査団」が公開的に謝罪することを強く要求している。ここで、イエス青年会は再び声明するが、イエス青年会は提出した信仰告白以外のどんな教義をも受け入れたことはない。さらに、これを宣伝したことは全くないことを再度明らかにしておく。いわゆる「調査団」によってすでに発表された報告によると、「イエス青年会と統一協会は関連があるとの一説には根拠がない」とされている。ただし、いわるる「調査団」は焦点を紛らわし、「イエス青年会は統一協会ではないが、統一教に類似する教義を教える」という最もでたらめな主張をした。これに対して、イエス青年会は偽りの虚偽資料を流布し、イエス青年会の名誉を毀損した者に、厳しく法律の裁定を受けるように必ず最後まで追求すると厳正に声明する。

2008年6月9日月曜日

GH記事翻訳―YD、記者会見を開き信仰釈明、「統一協会と類似している」との噂に対して明確に否定

香港のキリスト教インターネット新聞、ゴスペルヘラルド(基督日報)がYD(Young Disciples、イエス青年会)に関する記事を掲載しました。以下に記事、『YD、記者会見を開き信仰釈明、「統一協会と類似している」との噂に対して明確に否定』の翻訳文を掲載します。原文は『耶穌青年會記招澄清信仰 明確否決「類似統一教」傳言』です。


5月30日午後、YDははじめて公開的な記者会見を行い、正式なメディアを通して香港キリスト教界で何ヶ月も続いた流言に関する釈明を行った。YDは再度信仰告白を発表し、「統一協会と類似している」との流言飛語を明確に否定した。同時に今回の事件の根源について指摘した。その原因が、インターネットで物議をかもしたことのある日本救世軍の某少佐であることが明らかになった。その後、異端等について研究をしている香港のある人がその資料を持ち運び、香港や海外の華人(中国人)教会に広めたり、また中国国内に直接行って無知な信徒らを誘惑し偽証言をさせたりした嫌疑があるということが明らかになった。

記者会見は二時間半にかけて「假灣仔溫莎公爵社會服務」ビルの二階の会議室で開かれた。キリスト教メディアは本社以外にも「創世電視」なども出席した。記者会見には国際YD代表、香港YD代表、中国YD代表が参加した。

事件の起源はネット上の噂によってはじまり、この内容を某異端研究家が広め、結局恐慌を招いた。

YDの状況調査によると、半年間にわたるYDに関する噂はネット上でYDが異端であると主張するたった数個の文章からはじまったとのこと。YDスタッフらによると、今回の一連の事件を引き起こした張本人は日本のY氏であるということがわかった。調べによると、Y氏は昨年4月前後に日本語と英語で個人のブログを立ち上げた。Y氏はブログで張在亨(David J Jang) 牧師の履歴書を捏造して張氏が統一協会と関係したことがある」と主張した。Y氏はいわゆる「韓国から入ってきた異端-ダビデ教派」という文章で、この教派が「人間を再臨のキリストである」と信じていると主張し、YDはこれに属した団体であると主張した。その後、去年11月に「新興宗教注目チーム」の責任者である杨子聪が当ブログをはじめて発見した。杨子聪は内容の真実や真相可否を確認せず、またYD関係者らと一度も会って論議もしないまま、当ブログをそのまま中国語に翻訳しネット上に流布した。杨子聪自らも「5・25集会」でこのことを自認した。

本社の収集した資料によると、去年11月に 杨子聪と彼の弟である杨子颖は、自分たちが世界の華人教会から尊敬されていると主張し、経歴や資格が豊富な牧師であるかのように装い、各教会の牧師や奉仕者ら宛てにY氏の中国語版ブログが添付されたメールを配布し、YDを警戒するよう訴えた。Y氏による捏造資料が世界華人教界に広範囲に流布されるにつれ、また「YDの背後に統一協会がある」との噂も騒動を起した。

さらに杨子聪は「5・25集会」で中国大陸にまでこの噂を流布し、ブログの内容を中国福音大会>(《真假门徒,正异福音》)の小冊子にも掲載したと告白した。調べによると、印刷部数が3000部にも至るという。また、その小冊子は既に中国大陸にも入っているという。その中にはYDに関する正確でない内容があり、既に多くの家の教会や三自教会に混乱を起している模様だ。

YDによると、杨子聪の提示した多数の証拠などを通して、既に中国大陸の多くのYD会員あるいは元YD会員らが「YDは統一協会だ」との間違った観念を植え付けたことが明らかになった。中国国内のある一人の信徒は、これに関連した小冊子を香港YDに送り、異端研究家であると自称する人物が彼らと交わりを持ったことがあると明かした。記者会見でYDは、杨子聪が国内の信徒を惑わした書面証拠や彼自身が署名した小冊子を提示したことにより、杨子聪が中国の信徒らに「YDは統一協会である」との概念を植え付けたことが明らかになった。また、杨子聪は彼らを教唆し、統一協会の概念を用いてYDを妨げたという事実が明らかにされた。

この一連の噂事件の二つ目の手がかりは、2006年に中国の合肥で発見された「警戒せよ、新しい異端イエス青年会」という題のネット文書が《真假门徒,正异福音》小冊子に掲載されたことである。文書を書いた著者は合肥の某大学キャンパス宣教会で「胡」という苗字を使っている責任者であることが明らかになり、YDは現地の方へ状況調べに向かった。そこで会った二人は、その文書に対し、あくまでも個人的な行為であると自認した。しかし、彼らはYDの教義や教えに対する質疑などについて論じ合うことを拒否し、ただYDが自分たちの宣教会の一部の会員を伝道したと強調しながら、YDが「羊を奪い取った」と主張した。彼らはYDに関する一部の噂を聞いて、この文書を作成したと述べた。当文書による騒動の背後には、こうしたキャンパス宣教における競争動機があったことは確かとなったが、直接会って話し合っても解決されなかったという。結局、この文書はネット上で大量に複写流布され、教界内に混乱を招いた。

香港YDスタッフ張雅惠氏によると、胡兄弟は07年8月25日に香港YDの顧問らが共にする場で香港YDスタッフらに11個の質問をしたという。中には、「イエスの十字架は失敗か」「来臨のキリストは雲に乗ってくるのか、雲とは何か」「主はなぜ再び来られるのか」「主は既に来られたか」などの質問があり、YDスタッフらは一々全質問に対して明確に答えた。しかし、それでも彼は受け入れなかったという。

YDスタッフらは「世の噂はまるでドミノ効果のようなものだ。状況を全く知らない人が見たときにはそう見えるが、これは少数の人間の間で起きた論争が、現在のような公開的な妨害事件にまで悪化したケースだ」と指摘した。


YDの信仰に対する丁寧な声明

歪曲されているYDの信仰に対して、YDは再度声明を出したが、改めて丁寧に宣言する必要がある。第一に、YD会員らはキリスト者であり、イエス・キリストと十字架を放棄したことはない。第二に、YDは「イエスキリストの初臨は失敗だ」と信じたり教えたりしたことはなく、世のすべての人はイエス・キリストの十字架の贖いによってのみ救われる」という事実を信じており、これは一方的に与えてくださった恵みで、はただ信仰によってのみ神の前で義と認められる。第三に、YDはある人間を再臨のキリストとして信じたり教えたりしたことがない。将来、主イエスキリストは自らの権勢、栄光をもってこの地に再び来られるであろう。また、一刻も早く訪れるよう願っている。YDは万が一でもある者がこの信仰告白を信じずに、「イエスの十字架は失敗だ、あるいは、ある人間が再臨のキリストであると信じる」と言うなら、このような異端は会員として受け入れないし、最後まで対応していく。YDは記者会見でこうした信仰的立場を明確に宣言しながら、外部の報告や噂に対し強く反駁した。

YDは彼らが何度も「統一協会の枠組みに組み合わせて統一協会と類似した教義を信じていると規定している」点を指摘した。YDは、調査を通して統一協会がキリスト教に属していない民間宗教であり、十字架を捨て聖書を信じないばかりか自由神学的観点により信徒たちを魅惑していることを実証した。YDはそうした行為や生活方式を受け入れていないし、各キリスト教界に対して「YDを統一協会と比べて統一協会の枠組みに組み合わせようとする間違った行動」を禁じずよう要請した。

中国YDの教役者である金姉妹は、中国YDが最初設立された過程について説明した。99年、彼女が大学一年のときにイエス・キリストと出会い、聖書のみことばに慕い、キャンパスフェローシップ、家の教会および三自教会の活動に積極的に参加し、キャンパスで聖書勉強会を導き始めた。キャンパスではクリスチャンがとても少なかったため、ともに同役できる姉妹に一人出会えるようと切に祈っていた。そうした中、タン姉妹に出会い、二人でともに信仰を追求しながら、段々より大きい使命へのビジョンが与えられ、YDキャンパスフェローシップグループをはじめた。その後、2001年复旦大学および北京大学でYD献堂礼拝を捧げたことにより正式に中国YDが発足した。タン姉妹は卒業後、香港に来て現地の大学生らに信仰を証しながら、教会奉仕をしていた張雅惠氏に出会い、幾度にわたってビジョンを分かち合った後、共に香港YDを設立した。


質疑応答

最後の質疑応答の時間にある一人の記者がYDの構図と背後の主要宗派、背景および経済支援に関して質問をした。YDは超教派で、福音伝播を主とするパラ・チャーチの機関であり、経済方面は主に教役者らが働くことによって自立し、また会費や献金などの支援を受けていると明かした。一部既に社会団体として登録されたところでは公開的な募金活動などで支援を受けていることも明かした。YDは「会員の無報酬労働を利用していえる」との噂に対して反駁して、会員らが働きながら得た報酬で支援をすることに対して間違ったことだと思ってはならないと明かした。

YDとその他の機関がダビデ牧師と同じ理想を持っているのかという質問に対しては、YDは「すべての機関は独立して存在し独立して運営している」。「これは一つの『キングダム』という概念ではなく、『ネットワーク』であるにすぎない」と述べた。

香港YDが元顧問らを委嘱したやり方に関する質問に対しては、「幾度の出会いや相談などを通して牧師らがYDのビジョンを認識し、YDの奉仕を支持し指導してくださるようお願いしたため協働することになった」と述べた。

またYDは次の段階としてどういう対応措置を取るのかについての質問があった。これに対しYDは、「記者会見は公開的に信仰を再度説明するための方法であり、告訴した牧師らと幾度にわたり面談を要請したにもかかわらず、結論が出ないなら、法律的な措置をもって対話を要求するつもりだ」と述べた。YD側は、幾たびの努力の末、「4・10報告」を発表した調査団構成員と改めて対話する意図があると伝えた。また、最後に教界において公開かつ公平かつ公正なる交わりがあってほしいと加えた。

記者会見は二時間ほどで終わった。会見のはじまる約10分前頃、新興宗教注目チームの責任者である杨子聪と胡志伟牧師は、出口の外から中のほうをのぞいて見て、慌てながらその場から出て行ったという。

2008年6月8日日曜日

香港でY氏に親密に協力する楊子聰という人物について

香港でY氏のブログを翻訳するように委任されているというY氏の協力者、楊子聰(Yeung Chi Chung)について明らかになった情報を紹介します。

楊子聰は有名な異端である「錫安教會(シオン教会)」の出身でした。シオン教会は、信徒たちに毎日一定量の過酸化水素溶液を飲ませたことによって問題となっていた異端で、過酸化水素溶液を飲んだ信徒の中で妊婦が流産したり、吐き出したりした事件が各地で起こっていたといいます。

(引用:http://www.google.com.hk/search?hl=zh-CN&q=%E9%8C%AB%E5%AE%89%E6%95%99%E6%9C%83++%E9%9B%99%E6%B0%A7%E6%B0%B4&meta=&aq=o

このような事件は楊子聰自身が直接主導して起こしたわけではありませんが、楊子聰はその問題団体の牧師のボディーガード兼代弁者を務めていたといいます。楊子聰が以前所属していた「新兴教派研究中心」(新興教派研究センター)において内紛を引き起こした結果、楊子聰は任意団体である「新興宗教關注小組」(新興宗教注目チーム)を作りました。しかしこの団体には理事会が存在せず、しかもほとんどの構成員がシオン教会出身者であるなどの問題があります。

楊子聰が脱退した新興教派研究センターにおいて、楊子聰は資料収集の担当係を任されていたにすぎず、諸判断や意志決定は他の牧師らと共同で行うことになっていました。しかし、同センターのディレクターによると、楊子聰は単独で勝手に資料収集のみならず、調査を行ったり、判断を下したりし、内部衝突を引き起こしたといいます。

楊子聰は同センターを自ら辞任したと主張していますが、消息筋によると新興教派研究センターを追放された結果、任意団体である新興宗教注目チームを作ったということです。この団体は研究所ですらなく、設立メンバーは楊子聰本人と彼の弟のシオン教会の出身者2人と、ヒンズー教を信奉していた経歴を持つ滕張佳音(Teng Cheung Kai Yam)の3人で、現在も実質的な活動を行なっているのはこの3人だけです。

新興宗教注目チームは意思決定機構や構成員について不透明であるばかりでなく、何の神学的知識も持たない異端出身者らが勝手に中国本土に出入りしながら標的とした団体の会員を導き、洗脳を施していることが明らかになりました。これに関しては某証言者の陳述によって楊子聰が教唆したことが裏付けられています。

香港YDは、このように教唆、洗脳を施して虚偽を証言するように仕向けて捏造をした疑いのある楊子聰をはじめとして、「5・25の発表者」全員を告訴すると発表しました。

2008年5月10日土曜日

実録 教団紛争史 第6章 教団史の空白

日本基督教団常議員

福音主義教会連合常任委員

 小林貞夫

1.揺れる三役選出

 教団正副議長表で示されるように、第15回教団総会は、鈴木、飯、木村の三役を再任の形で選出した。
 しばらくして、鈴木議長が体調をくずし、飯、木村で運営することになった。高崎副議長は常議員会での選出であり、責任を負ったり、活動をすすめる前に、九・一、二事件もあって辞任を申し出た。
 吉田満穂副議長がその後に選出された。このあたりからの三役表は乱れている。空欄もある。
 教団が組織であり、教務(牧師の辞就任や会堂建築など)を行っていたとすれば、空欄はない筈である。事務局としては、教団議長や副議長が、実質的には辞表を提出して執務しななっていても、従前のハンコをそのまま用いている。その意味では空欄ではない。
 ただ、造反者たちが押しかける会議は絶えず混乱した。どれが採決の結果かどうか判定出来ないような事態が再々起こっていた。結果があいまいな協議が多かったことになる。
 三役については、表のような実質で経過したことを理解する必要がある。その意味では、完全に行き詰まったのである。
 
'72年10月までの4年間で開かれた常任常議員会が44 回、常議員会が25回である事実一つを見ても、その困惑ぶりが示されている。(前回の表参照)
 吉田満穂副議長が選出され、後に議長になったことについては、二つの点を上げておきたい。一つは、非常に期待されての登場であった。最後の切り札という指摘を何回も聞かされた。事実経過もその通りになってしまった。以後は何も出来なくなった。
 二つは、東京以外の地域から選ばれた点である。それまでは、運営上の問題もあって三役は東京から選ばれていたからである。その点は今日まで続いていることになる。

教団正副議長
年・月 議長副議長 主な理由
1968・10 鈴木正久飯  清 15回総会の選挙 鈴木病気で飯中心
1969・7 飯  清 高崎 毅 鈴木死去 高崎はすぐに辞任申し出る
1970・2 飯  清吉田満穂 高崎辞任 吉田には期待集まる
1971・2 吉田満穂 ( 菊地吉弥)飯、引責辞任 菊地は代行
1972・8 (島村亀鶴) 吉田辞任申し出る 島村は代行
1972・10 (島村亀鶴) 決定する母体が不定 とにかく形だけ、と代行


2.各教区総会の困乱
 教団の困乱は各教区に波及していった。数の上では問題提起者は少数だった。が、教区総会を粉砕させたり麻痺させるには十分だった。
 マイクを持ち込み、ヘルメットで威嚇し、大声を出し続ければ、教区総会は休止せざるを得ない。良識的な教師や信徒が、暴力覚悟でこれと渡り合うなどということは出来なかった。
 会議は多くの場合中断する。再開するためには、大幅な妥協が必要となる。そうした妥協をした教区が多かった。中断したままだった教区もある。
 先に開かれた第16回教団総会には、5教区が総会議員を送れなかった程の困乱だった。16回は臨時総会として招集されたので、15回総会議員がそのまま資格を持っていたので、個人的に参加した人もあった。
 その後の総会参加を表にしてある。東京教区、大阪教区の不参加が目立つ。逆に言えば、これらの教区の声を無視しつつ教団は運営されてしまったことになる。
 教団も教区も、その会議が困乱するのには、造反リーダーの存在が大きかった。
◎東京教区/小田原紀雄
◎大阪教区/桑原重夫
◎兵庫教区/菅沢邦明
 これらの人は、一人で教区総会を粉砕する力量を持っていた。その理論の一貫性もあり、太刀打ちは難しかった。殆どの人は論破された。その内容が福音ではなく、アナーキーを基本としているので、土俵の外での議論になっていたからである。
 もちろん、これらのリーダーの周辺にはシンパが居た。会議で困乱を起こし、議論を紛糾させるのはシンパ。終わりにリーダーが締めくくる。その内容は、聖書、福音、義認から外れていたのだが、それを正す議論はあまりなかった。当時の議事録を見ると分る。
 中間的立場にいた多くの教師たちが、この造反理論に理解を示してしまった。「まあいいではないか」「その内に収まるよ」といった程度の妥協だったが、これが教団の本質をゆがめる結果になっていった。
 「私のは言わばイエス教です。革命家イエスです。政治の体制、宗教の体制、あらゆる体制に反抗し粉砕するのがイエスの目的とする所で、私たちはその精神に立つ者です」(1972・3教団問題協議会・堀光男)という度外れた主張の人々を、運営上は内に取り込んだ形で、進むことになってしまった。
 全国の諸教会は、この流れ方を許さないところが多かった。無視して殻に閉じこもり、各個教会を強調する教会と、グループ化して新しいあり方を探る教会が現れてきた。これについては、後に検討することにしたい。

教団総会への参加表

教区
東京
神奈川
京都
大阪
兵庫
年度
総会
1968
15回
×
×
×
×
×
1969
16回
×
×
×
1973
17回
×
×
1974
18回
×
×
1976
19回
×
×
1978
20回
×
×
1980
21回
×
×
1982
22回
×
×
1984
23回
×
1986
24回
×
1988
25回
×
1990
26回
×
1992
27回
1993
28回
1994
29回


3.第17回教団総会
①歴史の空白
 教団発行の教師手帳には、日本基督教団年表がある。片寄りがあって、何れ訂正される部分を含んでいるが、大枠から読みとれる事も幾つかある。 通して読むと、'69年から'72年までの4年間の記録が異常に多い。この点は見落としてはならない。教団が特別に活発だった訳でもないのに、年表の作成者は、言い訳がましく列挙している。
 最大の理由は、この時期、三役が殆ど機能していないこと。常議員会も決議機関としての役割を果たしていないことの二点である。
 決定したこと、行動したことに責任をとる人がいない時、記録にして全体の責任だと呼びかける方法に頼ったからである。A、B、C、D案が何のことか分らなくても、歴史としての責任は全教会にある。教団の正史としては空白だったと言うべきだろう。

②準備委員会の発足
 島村亀鶴教団議長代行は、就任しても支える基盤がなかった。背景となる東京教区は総会流血事件を含む鋭い対立があって、辞任した教区議長の後任が選べない状況だった。
 教団は常議員会を招集しても定足数には達しない。従って副議長も選べない状況だった。
 そこで、'72年10月第25回常議員会で、各教区代表に信徒を加えた。総会準備委員会を発足させた。委員は次の通り。
 川谷威郎(北海)、笠原金吾(奥羽)、管隆志(東北)、桜井一(関東)、小島一郎(神奈川)、辻宣道(東海)、戸田伊助(中部)、赤坂英一(京都)、下村昇(大阪)、竹内郁夫(兵庫)、滝口勝(東中国)、山田守(西中国)、樽本信篤(四国)、田中道宣(九州)、大島孝一、川端純四郎、長秀行、林美香、山下信行(以上5名信徒)
 この会に、東京代表は入っていない。造反グループの意を汲んだ意企的な構成であった。
 戸田伊助を委員長に選んだ会は、問題提起者の陪席の中で、総会開催についての統一見解をまとめて、総会開催に漕ぎつけた。
 この総会準備委員会は、東京外しの効果があったこと。委員の中に暴力拒否という人が少ないこと。地方教区にとって、教団総会不開催というのは耐えられないこと。教師検定試験不実施や、准允按手が執行出来ないのは困ることなどもあって、一連の混乱の中では、あっさり結論を集約することが出来たと言っていいだろう。暴力を肯定し、正論は何も通らなかった、と
いう言い方も出来る。

③第17回教団総会
 '73年11月、箱根小湧園で開催した。三泊四日の日程。東京、大阪、兵庫教区は不参加だった。400名の定数の中で、130名が欠けていた。
 この三教区は、総会が開かれて総会議員が選出されれば、問題提起者に反対の立場の人が多く選ばれる筈であった。それを承知している造反者たちは、教区総会を破壊したのである。
 17回総会は、第16回総会の合法性をめぐる問題。準備委員会のまとめた会議制、宣教論、教職制、信仰告白の4項目の問題などを議する筈だった。が、結局は、数年にわたる空白に関する責任の追及が中心となった。分り易く言えば批難・追求集会となった。
 圧倒的に造反側が主張した。陪席者を大動員し、信仰的発言をする議員は取り囲んで威圧した。
 「万博支持決議の誤りを認める件」が、重要な議案だったが可決は出来ず、継続にする提案も114対105で、かろうじて残った形である。先にも触れたが、東京教区議員の選出があれば否決されていたと見るべきだろう。
 教団議長に戸田伊助、副議長に小野一郎を選出した。
 常議員選挙は行われなかった。意図的な議事引き伸ばしによる結果である。選挙を行えば、造反系の過半数確保は難しかったのを見抜いた問題提起者の作戦通りとなった。
 総会の終了も、時間切れとなってから、休会動議が出され、それも採決出来ない、という状況で終了した。

2008年3月10日月曜日

実録 教団紛争史 第五章 暴力の嵐・一九七〇

日本基督教団常議員

福音主義教会連合常任委員

  小 林 貞 夫
1.世界同時革命の幻想
 九・一、二事件のあと、教団は質的に崩壊して行ったのは、前項で示した。
 一九七〇年は、その意味で深く記憶されなければならない。大阪万博は六千万人以上が入場し、無事に進行した。キリスト教館(西村次郎館長)には二三二万人が入場し、全員に聖書を配布した。
 反万博で立上った造反者たちは、当面の攻撃目標を失ったことになる。ただ運動の指導者(堀光男、桑原重夫他)は、本来の目的である世界同時革命にハンドルを切り換え、青年達を扇動し続けた。万博反対などは、都合よく題材としてあっただけのことだった。
 「教会は革命の拠点である」と主張して極左集団(全共斗中核派・革マル派等)と連帯した。その上で、教団と教会とを攻撃目標とし、一つ一つ倒して行った。造反に乗っ取られる教団の機構、教会、学校が相い次いだ。
 東京神学大学のバリケード封鎖は全共斗革マル派との連携だった。
 青山学院大学、関東学院大学、明治学院大学などでも激しい闘争となった。青山学院大学と関東学院大学の場合は、一部教師たちが全共闘と組んだため、紛争が解決しにくくなり、神学科の廃止(一九七二年度)となってしまった。日本基督教団の大きな宝が失われてしまった。木田助教授、高尾助教授などが果した負の行為を忘れてはならない。殆んどの場合、踊らせた側の人はこの世的に成功し、踊らされた学生たちが道に迷ったことも忘れてはならない。教会が青年を失った理由にもなっている。

2.第一六回教団総会
 九・一、二事件の結果、飯教団議長が約束させられた臨時総会は、常議員会も承認させられた。その経過については前回は表と平山照次見解で示した。
 第一六回臨時総会は、一九六九年一一月二五、二六日、山手教会を会場として開催された。
 開催する必要があったという当時の判断は、歴史として整理してみると、明らかに誤りであった。
 そのことを示す指標は多いが、教団の公式記録から拾って見よう。
 牧会手帳(教団発行)の年表の記事で見ると、次の通りとなっている。
 『第一六回臨時総会は、議案(「日本万国博覧会キリスト教館に関する件」の決議を本総会において再検討する件。第一五回教団総会議案第55号の決議を再確認し、これに付帯決議を付する件。万国博キリスト教館反対決議に関する件)の上程はされず、二日間にわたる討論は飯議長による総括表明をもって終結』
 教団発行の年鑑の「教団の記録」を見ると、この総会について触れていない。なにも決めないし、祈りを持って始め、祈りを持って終るという必須の大原則もあやしいのだから、書きたくないという思いは分かるが、それでは歴史ではない。
 この総会は、終始、暴力が支配した。ヘルメット集団が通路をうめた。100名を越える傍聴者が、ハンドマイクも持ち込んで叫び続けた。(写真が残っている)
 総会議員たちは、為すすべを知らなかった。それは当然で、責められるべきではない。祈りの時、別のマイクからナンセンスなどとやじが入れば、その先の在り方など知るすべもない。議案の掲示や見解の表明などは不可能である。
 桑原重夫、大塩清之助たちの、あきれ果てた暴力支配、議場操作の結果であった。その後の教団総会は、すべて、その流れで行われている。現在でも、である。もちろん弱くはなっている。
 この臨時総会の終了時は、インターナショナル(起て飢えたる者よ・・・あーインターナショナル我らがもの)が合唱されていた。讃美歌は捨てよ、信仰は捨てよ、人民革命に立とうという声が、議場を圧したことになる。

3.以後の総会 開催出来ず
 「あれは総会ではない」という声が広がった。執行部は、総会だったと抗弁し、造反議員や問題提起者の圧力も利用して、十二月八日の臨時常議員会で『総会は有効に成立し、・・・質疑の途中で傍聴者も加えて討論集会に切りかえられ、議事に入ることなく、議長の閉会宣言をもって終った』という公式見解をまとめた。

(九・一、二事件から100日の表も参考に)
 造反の嵐は各教区に波及した。幾つもの教区で臨時教区総会が行なわれ、そのどれもが困乱した。ヘルメットに搖れた。血を流す場面、会場を断られるところ、流会するなどが相い次いだ。
 教団総会は二年に一度開催することになっている。
六八年十月 15回定期総会
六九年十一月 16回臨時総会
を経ているので、
七〇年十月  17回定期総会
を開かなければならない。
 そのためには
 七〇年五月頃 各教区総会を開催して、総会議員を選挙しなければならない。
 この各教区総会は、暴力がひど過ぎて開催出来ないところや、開催してみたが選出出来ないところが出てきた。
 東京、神奈川、京都、大阪、兵庫の五教区の総会議員(一七四名)が選出されない事態となり、総会開催は不可能になった。
 飯教団議長、木村知己書記、高倉総幹事は、この時点で信頼を失っていた。一部の造反学生や問題提起者からは支持が寄せられてはいたが。
 常議員の多くも、信頼していなかった。第一五回総会での決定を覆えされたからである。その経過をふまえつつ常議員会が開かれていく。その粗筋は表で示したい。
 
4.教団本部の移転
(1)一九七〇年の時点の教団役職は、一九六八年の総会で選出されている。教団丸を託するにふさわしい選出で、常議員会に限って見ても問題提起者と呼ぶべき人は数名しかいない。
 ただ飯議長、木村書記、高倉総幹事が造反に屈していたので、押しかける陪席傍聴者と呼応する形で、正当な議案をねじ曲げていった。
 教団の各委員会も、問題提起者のなぐり込み的介入がなければ、整然と行事をすすめていった。
 第二回宣教方策会議
 こころの友一五万部感謝会
 讃美歌二百万部発行感謝会
などである。

(2)教団本部(事務所)の移転は、こういう状況と併行で行われた。銀座(現在の教文館)から早稲田へ移った。
 日本基督教団に関係のある多くの組織、団体も同じビルに入った。関係者にとっては長い夢の実現であった。
 ところが、これが教団紛争のあおりを受けて、秩序ある移転にならなかった。最初につまづいてしまったことになった。
 開かれる常議員会や各委員会は、問題提起者が勝手に議場に出入りするし、暴力も振るったりしていた。事務室にも気ままに出入した。それが通例となってしまった。
 問題提起者は事務室にたむろすることになり、時に占拠もした。極左集団で当局に追われる人が、隠れ所にもした。
 こういう状況の中で事務室が整うのは無理である。会計なども整理がつかなくなった時さえある。
 移転当初は、それでも責任者たちは信頼出来たが、やがて問題提起者たちが指導の実験をにぎるようになると、その乱脈ぶりが増幅し、心配される事態となった。
 そこで心ある信徒が、そのことを強く呼びかけ合い、教師の年金のための原質には手を出させてはならない、と結集した。これが一九七六年第一九回総会における年金局設置の背景にあった。
 事務局運営の乱脈と会計の不透明は加速していった。
 この悪習を絶ち、経理全般をすっきりさせ、透明化したのは竹前昇総幹事である。三〇年にわたる悪慣習を断ち切った忍耐と努力は、教団史にしっかり印されねばならない。

<総会開催に関係深い常議員会>
月・日
名称
内容
1969
12・8
第8回常議員会 第16回教団総会は成立していた、と決定
1970
1・12
第10回常議員会 教団副議長に菊地吉弞、島村亀鶴をおすが辞退
2・24
第11回 吉田満穂を副議長に選出
10・6
第14回 総会開催A案、B案を否決、C案を決定
10・26
第15回 第16回教団総会の総括原案を作成
11・24
第16回 上の議案の審議を予定。定数不足で流会
1971
2・18
第17回 飯清教団議長辞任・吉田満穂議長就任、D案を決定
6・22
第19回 71年10月に総会開催すると決定
10・4
第20回 右の決定をとり消す
1972
2
第21回 教団問題協議会の動向を見て総会を考えるとする
3・15
第22回 72年10月に総会を開催すると決定
7・10
第23回 右の決定をとり消す
8・14
第24回 吉田満穂議長辞任
9・4
第44回常任常議員会 議長代行制を決定
10・23
第25回常議員会 島村亀鶴議長代行を決定、総会準備委員会構成
          ↓↓
1973
11・20
第17回教団総会

2008年1月10日木曜日

実録 教団紛争史 第四章 教団の質的崩壊

日本基督教団常議員

福音主義教会連合常任委員

  小 林 貞 夫

1.九・一、二の歴史的位置

その当時の教会は、百余年の歴史を重ねていた。宣教師たちの伝道を継いで、プロテスタント教会として成長して来ていた。
 太平洋戦争の大試練を受けながらも、先達の苦闘によって、人口の1%に達する新旧教徒が居るまでになっていた。
 日本基督教団は、プロテスタント教会の中では、最も大きな教団としての矜持を保ちつつ責任を果たして来た。
 教師・信徒すべてが思っていたように、その働きは十分ではなかった。が、主の守りの中にあることも、確かであった。
 一般社会も、教会とコミットすることは無いとしても、教育、社会福祉などを中心に応分の敬意を持っていた。
 この総てが、九・一、二で崩壊に向ってしまった。
 礼拝を中心に主を仰ぎ、それぞれの持ち場に使わされて生きる。これが信仰生活である。罪を犯し、傷つき、再び礼拝に集う。これが信仰の希望である。これが破壊されてしまった。
 九・一、二の主役たちは、「教会は革命の拠点である」と主張し、実行し始めたのである。反政府、反体制でないものは教会ではないと絶叫して止まなかった。
 そして、ついに、飯清教団議長が、それに屈したのである。妥協させられてしまった。それは連鎖反応となった。勝ったと連呼する学生、教師たちは、(やくざ)まがいの脅迫や、ヘルメットでの乱入などで、うろたえた教師たちを変節させて行った。
 歴史的になかった事態、教会としての想定外の出来事に、あわてた教師たちが相次いでころんだことになった。
 参加した学生・青年たちの殆んどは、理論づけなどして無かった。極く少数のリーダーが、全共闘中核派や革マル派の理論を振り回し、「そうだ」と連呼したに過ぎなかった。
 一連の騒動が少し収まった時、彼らは行き場を失った。教会からも去った。その時から、教会は青年を失うことになってしまった。
 敗戦後、一貫して右肩上りだった教勢が、全く伸びなくなった理由である。歴史を停滞させることになった。

2.教団の会議制の崩壊
 九・一、二事件の十日後、教団の臨時常議員会が美竹、山手教会で行われた。
 九・一、二で飯議長が、教団総会の決定を覆してしまったので、その了承を得るためであった。この会の傍聴をした会場教会の平山照次牧師の見解を以下に抄録する。
 「日本キリスト教団は、1969年9月11日午後12時、私の眼の前で〈実質的に〉崩壊しました。
 教団の正式常議員会?は、出席議員の何倍かの数の姓名不審者も含む『万博反対者集団』に囲まれて、怒号と罵倒の一斉射撃を浴びながら開かれました。・・・・・
 最初『反博集団』の代表六名だけの傍聴を認めることになっていました。しかし、飯議長と高倉総幹事が、二階玄関で『反博集団』と折衝した結果、ついに数十名集団全員の出席を認めさせられたのでした。
 私は見ていました。一度に何人も立ち上っての激烈な発言、怒号、罵倒の中で、常議員会?は、司会こそ飯議長がしていましたが、会の運営は完全に『反博集団』によって主導権を握られていました。
 常議員の何人かの顔には恐怖と困惑と『反博集団』におもねるような表情さえ見えました。
 心理的圧迫の下で、かりに『万博反対』が決議されたとしても・・・・・・内容的に空しいものになります。私は、フッと拷問の鞭の下で意識もうろうとなって、無実の罪を自白させられる被疑者の光景をそこに見ました。
 私自身の意見は、靖国、万博、安保等に反対する点でこの『反博集団』と同じであり、長年、民主勢力と共に激しく闘い続けて来た者だが、この集団のやり方に反発と憂慮を感じます。・・・・・・」
 常議員会は常議員によって運営される。教会役員会は選出された教会役員によって開かれる、という、あまりに当然な原則が、吹き飛ぶように崩壊したのである。
 教憲第四条の「本教団は教憲および教規の定めるところにしたがって、会議制によりその政治を行う」は、無残に破られたのである。

3.教団の信仰の崩壊
 教会の信仰は、始まりから異端にさらされて来た。聖書がそれを明らかにしているし、教会の歴史もまた、その事を示している。異端と闘い続ける真剣な努力なしに、キリスト教はない。
 九・一、二事件をきっかけに、政治的プロパガンダが持てはやされ、万博反対イコール信仰という思い込みが蔓延してしまった。勢いがあり、暴力も伴って、学生・青年たちを熱狂させた。指導した教師も間違えてしまった。
 万博問題が冷えてしまった後は、信仰の崩壊だけが一人歩きすることになった。信仰議認、聖書正典、三位一体を否定することになってしまったのである。勿論、正面切って、三項を否定したら全くキリスト教とは無縁の人となる。この三項は、少しでも揺らいだら、日本基督教団ではなくなる程のものなのである。
 端的に言えば〈イエスはキリストである〉かどうかの議論といい換えてもよい。この〈イエスはキリストである〉に条件をつけたのである。万博に反対する、資本主義に反対する場合にだけイエスはキリストである、としてしまった。
 これらを飲み込んで了解した上で、暴力にも主張があるという戸田伊助議長が登場することになる。従って、この時代、教団は信仰に生きてはいなかったのである。

4.教団の伝道の崩壊
 伝道は、伝えたい側、教会教師、信徒の信仰がスタートである。この喜びを伝えたいというモチベーションがなければ始まらない。
 自らが確信を失った時、復活したイエスが信じられなくなった時、全く力を失なう。失なうだけではなく拒否的にならざるを得ない。問題提起者が教団を支配していた20余年間は、伝道は禁句だった。筆者を含めて数人の常議員は、覚悟を決めて「伝道が必要」と主張したが、大
変なやじ、怒号にさらされた。伝道は教勢拡張主義(岩井健作、外)だと言うのである。
ただ、このご粗末な伝道論議は、各個教会にはあまり届かなかった。届いた場合でも、はねのける力が与えられている教会が多かったのは、主のあわれみであった。
 教団における伝道拒否が停滞を招かない筈はない。戦後の教勢統計の概略をグラフで示してある。1970年を境に、教団は全く伸びていない。プロテスタント全体と、カトリックも含めたキリスト教徒全体は確実に伸びているのに、である。

5.万博反対の論旨
 九・一、二事件は、万博反対が中心であった。その後の紛争や論争の場面でも、枕言葉の如くに用いられた。そこで問題提起者・堀光男、大塩清之助などが出した、おびただしい論考やアジテーションを検討しておく必要がある。
 反万博の理論の柱は、①万博は大資本の繁栄のおごりである。②ベトナム特需ではないか。つまりアジアからの収奪である。③大阪地域には公害が拡がっている。④万博工事で四人もの労働者が死んでいる。となっている。貧しい主張の柱ではある。現に、20年後に開催された1990年大阪花の万博の際は、これらの人びとは、何の異議も称えなかった。
 ベトナム特需を除けば、事情は全く同じであるのに、一言も主張しなかったのは、万博反対の理論が、いかに、いい加減のものであったかを示している。
 しかし、これで、日本基督教団は徹底的に揺さぶられたのだから、許し難いと思う人が多いだろう。
 もともと造反者たちは、混乱を起すことが目的だったので、自分達の主張などは、何でもかまわなかったのである。